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王たちの機械  作者: 谷口由紀
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対価

「──僕たちは、べつにあなたたちに喧嘩を売りに来ているわけじゃないんだ。どうかこのまま友好的に別れることはできないかな」


キリアは目前に佇む、岩肌色の外套をまとった者に告げた。

 だが、その者はこう答えた。


「ここで私と別れても、このまま『脊柱』に近づいていけば、また何者かに見つかることになる。その者が君たちの言葉に耳を貸すかどうか、それは運次第だ」


 声そのものは、意思のこもった、どこか心を寄せたくなるような声だ。この声の響きは……と、ユウリは思い出す。


(そうだ、トウカに似ているんだ)


 トウカならば、きっと敵対する相手でさえも、このように惹きつけてしまうだろう──。


 そんな場違いでとりとめのない思いつきを、ユウリは頭を振って追い払った。

 声も、容貌さえもどうでもいい。目の前の者は、つきつめてしまえば、ただの障害にすぎない。

 考えるべきは、障害をパスする方法。それだけだ。


 ユウリはその者を見た。身体の輪郭は、外套に隠されている。その中にあるものは、武器か、あるいは交渉の意思か。


 傍らのキリアが、ユウリだけに聞こえるほどの声でささやいた。


「ユウリ、武器を下ろして」


 ユウリは頷き、銃口を足下に向けた。


「…………」

 

 その様子を見て、外套の者もやや敵意を潜めたように見えた。相手の態度が和らいだのを認めたのちに、キリアは問うた。


「すまないが、あなたの名前を教えてくれないかな? そうでないと、話をしづらいんだ」


 そう訊くと、外套の者は短く名乗った。


「ベリテー」


「ありがとう。僕はキリア。後ろの彼女はユウリだ。……僕たちの目的は、君の言うとおり、『脊柱』に向かうこと。あそこには僕の家族がいるかもしれないから。ユウリは僕の護衛だ。……これだけだ。いま喋ったことが、僕たちの全てだ」


「なるほど」と、外套の者は頷いた。心底から納得しているかどうかは、まだ分からない。


「僕たちを行かせてくれるかい? もし邪魔立てをするのであれば、僕たちも……それなりの抵抗をする」


 キリアが放つ、はじめての恫喝めいた言葉。

 だが、外套の者は、その言葉にはさしたる反応を示さず、言った。


「私は君たちの道行きを止めようとはしていない。ただ、警告するだけだ。このまま進めば、君たちは、『必ず』何者かに見つかる。その者に害意があれば、君たちは『必ず』抹殺される」


 必ず、か──。ユウリにはその言葉が、自信や慢心などではなく、まるで知れきった事実として語られているように感じられた。


「ベリテー。『機械』たちには、私たちを見落とす可能性はないのか?」


 ユウリがそう訊くと、ベリテーは確かに頷いた。


「見落とすことはない。……君たちが目指す『脊柱』からは、幾百、幾千もの感覚枝が、地下茎のように伸びている。もちろん、その範囲は限られているし、脊柱から離れたところでは、その密度も粗くなる。だが、脊柱の周辺は、きわめて密にいきわたっている。近づく者は確実に捕捉され、それなりの処遇を受けることになる」


「つまり、私たちは既に『感覚枝』に見つかっていた、というわけか」


 かなうならば、見つからずに近づきたいとユウリは思っていた。だが、その試みは、最初から破綻していたというわけか。


「そうだ。このあたりでは感覚枝もまばらにしか行き渡っていない。運さえ良ければ、もう少し先までは隠密裏に進めただろう。だが、こうやって見つかってしまったということは、君たちのもつ『運』とやらも当てにはならない、ということだ」


 地雷原を渡ろうとして、踏み出したその足で地雷を踏んでしまった、ということだ。幸先の悪いできごとだ。


 そして、ユウリはなおも訊いた。


「では、ここであなたに捕捉された私たちは、ただちに抹殺されるのか」


 ベリテーは首を振った。


「このあたりでは、まだ確度の低い情報しか得られない。人か、あるいは野生動物か、その区別すらも難しいほどだ。だから、やってくるのは、物好きな『機械』だけだよ。……私のように。そして、私は他の『機械』たちに、君たちの情報を伝えることもできるが、今のところはそうするつもりもない」


 そう言って、彼女は眼を細めた。微笑んでいるのだろうか。

 だが、その言葉を聞いたキリアは、心穏やかではいられなかったようだ。


「では、僕たちはどうしたらいい? 今のところ優位に立っているのは、ベリテー、あなただ」


「そうだな。私たちの流儀でいくのならば、『取引』を望みたい」

 そう、ベリテーは告げた。


 ああ、この理屈だ。目の前の者が、トウカに似た誰かではなく、ただの『機械』に過ぎないことを、いまさらのようにユウリは意識した。


「やはり、人間の精神を欲するのか」

 キリアが訊くと、ベリテーは「そうだ」と答える。


 キリアはわずかに考え込むようなそぶりを見せたが、やがて答えた。


「わかった。ならば僕の精神を差しだそう。そして、僕たちが求めるものは、僕たちの存在を他の機械に知らせないことと、これからの行路の安全。これでどうだろうか」


 だが、その提案を受けたベリテーは「だめだ」と、短く告げた。


「なにがだめなんだ」


「私が欲しいのは、キリア、君の精神ではない。ユウリの精神が欲しい」

 そう言って、ベリテーはユウリに向き直った。


「彼女は僕の護衛をしているだけだ」

 かばうように、キリアが言う。「それだけは飲めない」と。


 だが、ベリテーはその声を冷然と否定した。


「ならば、取引はこれまでだ。そのまま運を天に任せて進むといい」


 キリアは俯き、肩を震わせた。


「どうする? ユウリ、君次第だ」


 ベリテーは、まるで誘うかのように問いかける。だが、その眼差しはひどく鋭い。ユウリをまっすぐに射抜くかのように。

 ユウリは、その眼を真っ向から受け止めつつ、言う。


「……『機械』か。そうやって、人間を餌で釣って踊らせる。私が子供だったころに、貴様たちとの大きな争いがあったというが、その理由ははっきりと分かる。……貴様らは不愉快だ」


 そう告げた。軽蔑をこめて。

 だが、ベリテーはその返答に怒りはしなかった。


「……争い、か。不思議な話だ。私たちはただの『機械』。君たちの入力に対し、何らかの出力を返すだけの存在だ。私たちを消し去るのは簡単だ。無視しさえすればいい。それをせずに、私たちに致命的なコードを入力したのは、君たちだ。私たちは、それに対し、しかるべき出力を行ったにすぎない。それが真実だ。……被害者のような、そして抵抗者のような口ぶりはよすがいい、自覚なき歴史修正主義者よ」


「長い口上だな」と、ユウリ。


 その言葉に、ベリテーはわずかに視線を落とした。


「……そうだな。私も、むきになっていたのかもしれない。まっすぐに敵意をぶつけられるのは、本当に久しぶりだったんだ。しかし、何度でも言おう。私たちは『機械』だ。つきつめれば、使うか、使わないか。それだけのことだ」


「…………」


「それで、取引には応じるのか」


 答えは決まっていた。


「……そうしよう」


 ユウリは告げた。胸の奥からの吐息とともに。


「意外だな」と、ベリテーが言う。なにが意外なものか。キリアが求めた「情報の秘匿と、行路の安全」が、これからの行き先に絶対に必要になるのだから。支払い元が変わるだけだ。


「ならば、今から君の『精神』を貰い受ける」


 ユウリは頷いた。そして、跪いて銃を足下に置き、ベリテーの接近を許す。

 そして、『取引』が終わるまでは、己の安全、そのすべてをキリアに託すことにした。


 ユウリはキリアを見上げた。彼は頷いた。

 もしもベリテーが、ナイマのように根こそぎ『精神』を奪おうとするのであれば、それを阻むのは彼しかいない。


 ベリテーも、ユウリの傍らに跪く。

 そして、ゆっくりと頭巾と口布を外す。

 露わになったのは、穏やかな茶灰色の髪。

 そして、その貌は、意志の強さと優しさが同居しているような、凛々しい女性のもの。


(やはり、トウカに似ている)


 輪郭などは違う。だが、雰囲気がよく似ているのだ。


 だが、最後に残すべき警戒心まで蕩かすわけにはいかない。


「……私の貌が、どうした」

 ベリテーが訊いてくる。その瞳は、深い鳶色。


「何でもない。似た人がいるというだけ。よくあることだ」


「そうか」


 そして、ベリテーはユウリのおとがいに手を掛け、そっと上に反らせる。


「う……」

 

 触れる指は、ひどく冷たい。

 晒されたユウリの首筋に、ベリテーはそっと唇を寄せて、口づけた。


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