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王たちの機械  作者: 谷口由紀
プロローグ
2/33

人の容にあらしめるもの

 「精神」と、ユウリは小さく呟いた。


 ユウリの知る限りにおいては、精神とは思考のよりどころ。それ以上でも、それ以下でもないはずだった。だが、彼女が求める『精神』とは、それ以上の意味を持っているように思えてならない。

 ユウリの小さな戸惑いを察知したかのように、彼女は言葉を継いだ。


「そう。思考の源にして、その人に最もふさわしい姿を取らせるもの。生物と無生物との隔たりを埋める、このうえなく貴重なもの。……そして、わたしたち『機械』が、心から欲しても、己の力では決して生み出すことの叶わないもの……そう」


 と、彼女は片腕を広げ、その袖を引く。真白い膚が露わになる。


「…………?」


「ご覧なさい」


 女の言葉とともに、その腕を包む肉は徐々にその実体を失い、消え去っていく。

 あとに残されるものは、まるで甲冑のような外骨格だけだ。

 それこそが「機械」たちの実体にほかならない。


 女は骸骨のような掌を数度ひらめかせ、言った。


「この姿を見て、あなたは美しいと思う?」


「…………」


「答えて」


「……その姿が私の目にどう映ろうと、それにどんな意味がある? 美しかろうが、醜かろうが、敵であれば撃つ」


 嘘だ。ただの題目に過ぎない。ユウリはあえて、ほんとうの返事を避けた。女はその答えの真否を問いはしなかった。


「……そう。そうね。肝心なのは、あなた達がどう思うかじゃなくて、わたし達がわたし達をどう思うか」


 己に言い聞かせるかのようだ。彼女の冷たい眼差しは、肉を失った己の腕に注がれている。


「でも、わたしはね……わたしの身体を、少しも美しいとは思えないの。私だけじゃない。私の同族たちの、あの不格好な姿を見ても、そう」


 彼女の無機的な腕が、鈍い輝きを照り返す。肉体は思考の器であり、そこに美を感じることができるかどうか。ユウリは、自分の身体を愛していた。美しいかどうかは、ひとまず関係ない。この世で唯一の、父と、母へと連なる縁であるのだから。


 だから、ユウリには「己の肉体への嫌悪」が分からなかった。


 女はふたたび腕に肉をまとわせ、袖のなかに隠す。あたかもそれが最上の宝であるかのように。


「だから、わたしは取引を続けるわ。いちどきにこの人から『精神』を買い受けることはできないの。そんなことをしたら、この人は死んじゃうから。他の『機械』たちみたいに、根こそぎ吸い取って捨てていくなんて、そんな無粋な真似はしない。だから、少しずつ『精神』を買うのよ。──また今度、ここに来るわ」


 そう言って、彼女は踵を返し、ユウリに背を向け歩き出した。


(どうする)


 銃爪(ひきがね)にかけた指先を、ユウリは意識した。

 撃つべきだ。あの女は、邪悪だ。

 銃床(じゅうしょう)を右肩に深く押し当て、発射の反動に備える。

 狙いは一点。あの女の背だ。遠ざかっていく、あの赤のゆらめき。

 ひとたび銃爪を引けば、あの女の、いつわりの肉をまとった背甲は爆砕されるだろう。


 そう、すべきだ──。


 だが。


「…………」


 女に捨て置かれた「取引相手」が、わずかに腕をうごめかせて何かを言ったような気がした。

 その声を聞いたのだろう。女も足を止める。

 ユウリは銃を構えたまま、ゆっくりと声のもとへと近づく。幸いにも、女はその行動を阻害しようとはしなかった。


「大丈夫か」


 彼のもとに至り、その顔を、姿を、ユウリははじめて目にした。

 少年だ。小柄な身体。ユウリよりもおそらくは若い。


(……崩れて……いる)


 外套に隠れて見えなかった顔は、頬のあたりが既に崩壊しつつあった。

 崩れ、薄れかけた組織から、滲み出るように体液が漏れている。切り傷や打ち傷では、けしてこのような状態にはならない。

 認めたくはないが、あの女が言ったとおりだ。


(精神とは、人をかたちづくるもの……)


 ゆえに、それを失えば、人の肉体は滅びる。

 少年は、活力を失い青ざめた貌を、苦悶に歪めながら、言った。


「……撃たない……で……」と。


 そう言って、ユウリを止めるかのように、手を突き出す。

 指先が崩れて、ここからも体液が零れ落ちている。

 ユウリはその手を支えた。ひどく冷たく、そして強く握ればすぐにも壊れてしまいそうだ。だが、流れ出る体液だけは、人間のあたたかさを備えていた。


「なぜだ」ユウリは問うた。己の身体をここまで壊した相手を、なぜかばう、と。

 少年は答えた。

「……まだ、取引を続けなければ……いけないんだ」


 かれの回答に、ユウリは耳を疑った。だが、その瞳には、狂気や混乱の色は見られない。


「ばかな。自分自身を切り売りするような真似をしてまで、なにが欲しいんだ!」


 少年のもちものに、金目のものはない。ゆえに。


「……僕の力では……手に入れられないものが……要るんだ……だから」


 だから、殺すな、と。


 ユウリは改めて、遠ざかっていった女の姿を見た。

 女は歩みを止めて、こちらを見ていた。その貌には笑みはない。

 女はユウリに問うた。


「どうするの? ここで私を撃って、私たちと人間の関わりを断つか。それとも、そこに倒れてる彼の言葉に従って、うさん臭い取引を続けさせるか。選ぶのはあなたよ」


 挑発するかのような言葉に反応して、ユウリは銃口を彼女に向ける。

 これまでの状況を、ユウリの脳は整理しかねている。

 だが、雑多なできごとは、つきつめればただの雑音にすぎない。

 いま下すべき判断はひとつ。

 銃爪を引くか、引かないか。


(私は)


 ちらりと傍らの少年を見る。

 かれは無言のまま、わずかに首を振った。それだけで、崩壊しつつある身体はぐらつく。

 ユウリは視線を戻し、銃の狙いを定め。


 ──撃った。


 銃口から弾丸が放たれたその瞬間、女がわずかに意外そうな表情をした……と、ユウリには見えた。もちろん、わずかな時間でのことだ。錯覚に違いない。

 そして、激しい衝撃音とともに、弾丸は女の頭部の真横を通過した。


「……命拾いしたわね」と、女。どちらが、とは言わない。浮かべたその笑みはぞくりとするほど美しい……が、獰猛だ。

 ユウリは銃の槓桿を引き、次弾を装填しながら言った。


「機械。貴様の命などに僅かな興味もない。奪う価値もない。だが、次に相見えた時には、この男を……人間を傷つけた対価を支払ってもらう。必ず」


「気の乗らない取引ね。でも、いちおう覚えておくわ。あなた、名前は?」


「ユウリ」


「わたしはナイマ。あなたとは、縁があればまた会うこともあるでしょう。でも、そこにいる彼には、近いうちに会いたいわ。それじゃ、ね」


 ナイマと名乗った『機械』は、そのまま軽やかに反転すると、まるで砂塵の中に溶け込むように遠ざかっていった。

 彼女が見えなくなったところで、ユウリは携帯担架を組み立てた。

 少年はいつしか意識を失い、砂に埋もれるように倒れていた。その身体をそっと抱え上げて、担架に寝かせる。手足の先はおろか、腹、胸も崩れ始めていた。漏れ出た体液が、ユウリの手を濡らす。


(助かるか)


 この地で生き残った者を見つけたのは、初めてのことだ。だが、衰弱は著しい。

 集落まで戻るには、あと数時間。保つか。

 考えたところで、浮かび来る答えは不吉なものばかりだ。ユウリは担架のハンドルを握り、歩き出そうとした。

 が、その時。どこからか伝わる声を、ユウリは聞いた。


「──待って」


 何だ、とユウリは周囲を見回す。人影はない。


「そのまま行ってはだめ。死んでしまう」


 少女のような、かぼそい声だ。ともすれば、風鳴りにまぎれてかき消されてしまいそうなほど。

 ユウリは無視して、担架を曳こうとする。


「だめ」


 再び、耳元に囁くような声。

 いい加減、ユウリは不愉快に思った。


「だめもなにもあるか。こんな事ははじめてで、どう手当をすべきか、それすら分からないのに」


 八つ当たりするかのように、ユウリは声に出して言った。すると、声はその苛立ちを宥めるかのように、優しげな声で言った。


「わたしに……任せて」


 その言葉が耳に届いたとき、ユウリは背後に気配を感じた。


(…………)


 振り向くと、そこには少女の姿があった。

 見る限り、年はおそらく十代の中ごろか。幼くとも涼やかな顔立ちに、髪は夜闇の黒を宿す。身にまとう衣服は、およそ場違いなほどに軽やかな、純白のトーガ。(はだ)もまた真白く、透き通るような色をたたえている。それは、先程のナイマと全く同じような風合いだ。


 だが、その密度ははるかに濃く、内部の構造を窺い知ることはできなかった。


「貴様も、機械か」まず、問うた。


 その少女は、しばし躊躇(とまど)ったのちに、ええ、と答えた。


 ナイマの理屈で言えば、この少女の肉体も、おそらくは誰かから奪った精神によって、人のかたちを取っているのだろう。だが、いまはそのことの是非を問うている場合ではない。


「……手当ができるのか」


 少女の言うとおり、ユウリも薄々は分かっていた。

 かれは、このままでは死ぬ。そして、ユウリにかれを救う力がない以上、目の前の少女を頼るほかに道はない。


 少女は、ただ一言、やってみます、とだけ言った。


 ユウリがしずかに担架を下ろすと、少女はその傍らに(ひざまず)き、かれの血に濡れた外套をはだけさせた。青白く生気を失った、裸の胸が露わになる。


「ひどい……」少女が呟く。


 崩壊は内臓にまで達していた。臓器の内容物が体外にまで零れており、生々しい臭いが漏れている。

 これでは助かるまい、とユウリは思った。ナイマ……あの女は、やはりこの少年を殺すつもりだったのだろう。


(何が、つぎの取引だ)


 ユウリは少女の横顔を見た。この瀕死の少年を、どう救うのか。


「待ってて……」


 少女は呼吸を整えると、掌を少年の胸に当てた。

 そして、ごく小さな声音で、呪文めいた言葉を発する。


「       」


 それがどのような意味なのかは、ユウリには分からなかった。だが、この世界に魔術などは存在しない以上、それはいま発せられるべき、意味のある言葉にほかならない。


 少女の紡いだ囁きが、すべて虚空へと溶け落ちたとき、少年の胸に押し当てられた掌の輪郭がわずかに揺らいだように見えた。

 そして、少女の腕は薄れ、消えてゆく。

 そのかわりに、かつて少女の腕であったものは、暖かい光を放つ粒子となって、少年の身体へと降りかかり、浸透する。


 その様子は、まるで生命を分け与えているようにも見えた。


 ユウリは少年の表情を(うかが)った。ゆっくりと、だが確かに苦痛が和らいでいく様子が見て取れる。

 その行為は、少女の詠唱が途切れるまで続いた。少年の苦しげな喘ぎは落ち着いた。だが、少女の腕は、もはや半ば以上が消え失せていた。


「……これで、あなたが街に戻るまでは保つでしょう」


 そう言って、少女は少年のそばから立ち上がった。その表情からは、わずかな時間には見合わぬほどの濃い疲労が見てとれた。

 ユウリも立ち上がり、言った。


「訊きたいことはたくさんある。率直に言えば、不可解だ。あなたも、ナイマと名乗った機械も。……だが、今はその時ではない。これで失礼する」


 いますべきことは、ただひとつ。この少年を死なせないことだ。

 その言葉に、少女は黙ったまま頷いた。唇にはわずかな笑み。


「その方を、よろしくお願いしますね。わたしはスーラ」


 スーラ、と心のなかで呟いたときには、ユウリの眼前で、その少女は大気に溶けるように消えていった。

 砂塵の舞う風のなか。残されたユウリは、担架のハンドルを再び握り、集落への帰途を辿ることにした。


 あとに残されたものは……死体、貨幣、そして、ふたつの小さな疑念。


 ナイマとスーラ。再び相見えることになるかどうかは、ユウリにはまだ分からなかった。

 だが、背後にいまもそびえ立つ『脊柱』が、あるいはその答えを内包しているのかもしれない、と、ユウリはちらりと思った。


 その根拠など、どこにもありはしないのに。

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