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王たちの機械  作者: 谷口由紀
プロローグ
1/33

砂嵐の彼方


 眼を開いて、砂嵐の彼方を見るんだ。

 そうすれば、きっと見えるはず。

 生命なき大地より生じ、

 低く厚く立ちこめる雲を貫く、

 あの歪んだ塔……『脊柱』が。

 だから、眼を見開け。


 ――私よ。



 自分を奮い立たせる言葉を、いつからか探していた。

 砂塵を含んだ風が頬を吹き過ぎる。まるで顔の皮膚を削っていくかのようだ。つい閉じそうになる瞼を開き続けるために、なにか言葉が欲しかった。意思だけではだめだ。心のなかにゆらめく形のないものを、たしかな構造にしてくれるものが、いる。

 この砂嵐のなか、そうでなければ、『脊柱』を見失ってしまう。


(見失ったが最後。私はきっと、「機械」たちの餌食となるだろう)


 背負っている対甲銃の重みを、あらためて意識する。使い慣れた銃だ。自分自身の、非力な腕に、たしかな力をあたえてくれるもの。



 すでに集落を離れて数時間ほどもたつ。

 ここまでは、地図とコンパスさえあれば、あるていどは安全に近づくことができる。

 だが、ここからは違う。

 『脊柱』とその周辺は、『機械』たちの領域なのだ。


 『脊柱』。それは、この世界において、天と地をつなぐ塔のたとえだ。

 その外見を、このうえなく的確に捉えた言葉だと、ユウリは思っている。

 ゆるやかな湾曲を描きつつ雲のかなたに伸びていき、階層ごとに、空中に張り出すようなバルコニーが設けてある。ふしぎな造りだ。


 『脊柱』を初めて目の当たりにしたときの気持ちを、ユウリは今でも思い出せた。


 ──不可解だ、と思った。


 仮に、集落に住まう石工の老人達がおなじものを作ったとしても、その不自然なかたちゆえに、おそらくは自重に負けて、すぐに折れて崩れてしまうだろう。

 そんな不可解なものが、当たり前のように立っている。


 うねりの多い地形を、這うように進んでいく。風と砂塵に負けぬよう、身体をひくく構える。風を受けてばたばたと暴れる外套を、強くかき抱きながら。防塵眼鏡があれば良かったが、近頃は他の街でもよいガラス材が手に入らないという。


(……あれは)


 領域に踏み込んで数十分ほども歩いたところで、ユウリは転々と散らばる何かを見つけた。

 それがなにかを、ユウリはもう知っていた。これまでに何度か、おなじものを目の当たりにしたことがある。


 人間の骸だ。


(…………)


 死者たちのもとへ赴くと、ほとんどの者たちが、なにかを大事に抱えている様子が分かる。

 胸の前に散らばり、いまにも砂塵に埋もれつつあるもの。それは、貨幣だった。

 きらきらと輝き、どんな職人でも決して鋳込(いこ)めぬほどに精巧な文様があしらわれた、価値ある硬貨だ。人間には決して作りえない、そして、そのゆえにこそ求められるもの。


 ユウリは骸を子細に調べる。まとっている衣服はまだ新しい。だが。


「……また、崩れている」


 身体の各所が、まるで張力を失ったかのように、崩れ、こぼれ落ちていた。決して腐敗によるものではない。このあたりに吹く乾いた風の中では、肉体は容易に腐らないことをユウリはよく知っていた。

 そう。それはまさに、ひとがひとの形を失ったかのように、崩れているのだ。

 他の者たちはどうか、と、ユウリは点在する遺骸を調べて回る。だが、すべては同様だった。貴重な貨幣を抱いたまま、まるで力尽きたかのように倒れている。いずれ風と時が過ぎていけば、人間の身体は滅していく。その傍らで、ただ貨幣だけが真新しい輝きを保ち続ける。


 ユウリは短く祈りの言葉を捧げ、その地を離れようとした。

 そのとき、より『脊柱』に近い彼方の砂丘に、何か人影のようなものが立っているのを認めた。


(──だれか、ここにいるのか?)


 死者たちは、もとより死者として生まれたわけではない。生者が、ここで死ぬのだ。ユウリは走った。もしかしたら……ここで失われる誰かの命を守れるかもしれない。だから、一心に走る。砂地に脚を取られて、転倒しそうになりながら。だが、警戒心だけは心から飛ばしてしまってはいけない。背負っていた銃を下ろして、脇に抱えるようにして構える。


 近づいていくと、そこにいる何者かの姿がだんだんと明らかになっていく。

 背の高い、細身の姿だ。風を受けて、かの者の鮮赤色の外套が激しくはためいている。まるで、あかあかと燃える、地上の炎のようだ。


 この強風のなかで、揺らぐことなくすらりと立つその姿に、ユウリは違和感を覚える。しかし、もはや足を止めるわけにはいかない。かの者も、既にユウリに気づいているようだった。


 距離、およそ十メートル。

 ユウリとその者は対峙した。


 まだ、遠い。

 銃を構えたまま、じりじりと距離を詰めていく。

 初弾は装填済み。相手から眼を離さぬまま、安全装置を解除する。

 引き金に指を掛けるかどうかは、相手の出方次第だ。

 ユウリが全身で示している警戒心を、かの者はとがめる様子もない。

 やがて、お互いの姿を正確に認められる距離に至る。

 ユウリは、訊いた。


「何を……している」


 その言葉を受けて、外套をまとった者は、まるで声高く告げるかのように言った。


「取引をしていたのよ。ここにいる彼と」と、足下の何かを指さす。その声は、まるで水辺の花のように、みずみずしく華やかだ。吹き抜ける風の音にも負けぬしなやかな響きが、ここではひどく場違いに聞こえた。


 だが、その言葉が意味することには、はっきりと不快感を覚えた。


(取引、だと)


 それがどのようなものであるかは、ユウリは知らなかった。しかし、辺りに散らばる骸たちを見れば、分かることもある。

 「奴ら」は、奪ってはならないものを奪っている。


 視線をわずかに落として、外套の者の足下を窺う。言葉通りに人が倒れている。

 やや小柄な人物だ。身動きはしていないが、生死のほどは分からない。生きていてほしいと思う。

 真実を知りたければ、目の前に立つ者を退ける必要があった。


「貴様は『機械』か」ユウリは問うた。


 眼前の者は「そうよ」と答えながら、外套の頭巾を払った。

 黄金色に輝く長髪がこぼれ出て、風を受けて激しく踊る。

 はじめて見るその相貌は、女性のようだった。


「……人間? いや、違う」


 子細に観察すると、どこか透き通るような肌の奥に、これまでに何度も目にした、『機械』の実体がちらつくように見える。陶器のようにすべらかな、そして甲冑のように無骨な、人形の、人ならざるもの。


「なぜ、そのような姿を身にまとっている?」


 ユウリがそう訊くと、機械はこう答えた。


「……美しいでしょう? 私がいま晒しているこの肌。これは、彼から譲り受けたものなの」

 と、笑みを浮かべつつ、足下にうずくまる者を指さした。


 姿を、譲り受ける。

 どのような手法によるものか、それを解明することも必要だろう。

 だが、それは今でなくてもいい。


 ただ、不快だ。


「……それ以上、喋るな」


 心の中にわき上がる苛立ちを、もはや押さえる術はひとつしかなかった。

 ユウリは素早く銃の照準を定める。

 射抜くべきは、あの者の胸。薬室内に装填された撤甲弾は、この距離ならば確実に「機械」の装甲を貫くはず──。


 しかし、目前の者は、このとき初めて微笑を捨て、やや硬い面持ちを作った。


「……私を撃ったならば、この人の望みもまた潰えるわ」


「望み、か。命と引き替えにするような大望が彼にあったとしても、それを馬鹿正直に叶えてやるような者は、すくなくとも善良ではない」


 望みを叶えるために、とりかえしのつかない代償を必要とする。それは悪魔のやりくちだ。

 それに……と、ユウリは思った。


(悪魔に助力を求める者も、その心根は同じだ)


 機械たちに足下を見られて朽ちていくのだとしたら、その者の誇りはどこに消え失せてしまうのだろうか? それは決して手放してはいけないものだ。


 だが、『機械』はそんな思考を見透かしたかのように、まるで哀れむような笑みさえも浮かべていた。


「……嫌な目をするのはおやめなさい、お嬢さん。あなたには彼や、ここに倒れる者たちを嗤う資格はないわ。命を差し出さなければ得られないようなもの、そういうものを欲せざるをえないひとは、つまるところ、あなたたちの社会では救われることのないひとなのだから。……あなたもじきに分かるわ」


「人殺しの説法か」


「私たちにとっては、あなた達が差し出せる唯一の価値、それを頂くだけのことよ」


「そうやって人間の外見を奪い、殺すことが『価値』か」


 話せば話すほどに、心の芯が冷えていくように感じる。おそらく、分かり合えるのは「相容れない」という事実のみ。


「命を奪うのではないわ。『人を人の容にあらしめるもの』、それを頂くの」


「それは何だ」


 ひと呼吸ほどの間をおいて、『機械』は答えた。


「それは、精神」


 その言葉とともに、彼女は艶やかに微笑んだ。

 まるでその言葉が、かけがえもなく貴いものを示すかのように。


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