ぬるま湯の囚人たち
【憲法第27条 すべて国民は勤労の権利を有し、義務を負ふ】
「ああ、朝起きたら突然MMOの世界に迷い込んでて、幼馴染設定の美少女と二人で世界を救う冒険が始まったりしねーかなー。」
言いながら睦朗は、ろくに挨拶も無いままに、この名も無きオタクサークルの活動部屋に入ってきた。新入生歓迎イベントに忙しい4月半ば。4年生ばかり、全員で4人しかいないこのサークルの、来年には廃部になることがほぼ確定しているこのサークルのメンバー全員が揃った形になった。8畳の部屋に並べられた長机に鞄を置き、「オレ用」と書かれたパイプいすにどっと腰かけた。
「そうしたら、オレ、本気出すのにな」
「あ、そんときゃ私ヒーラーやるから。後衛バンザイ」
よう子が茶化しながら迎え入れた。
「じゃあ、私はアーチャーかな?りっくんは何がいい?」
ナナカが継げる。よう子が割り込む。
「やっぱり前衛っしょ?女子二人が後衛に行くんだから、男子は前衛で死にまくれ!」
「いやいや、オレは幼馴染と二人で世界を救うわけ。何を勝手にパーティに参加する前提なんだよ」
「むっつんは、素直じゃないねー。ようちゃん、りっくん、三人で旅しよう、そんで、世界滅ぼしちゃおう」
僕は勝手に前衛職にさせられた挙句、世界を滅ぼすパーティに入れられてしまった。
「よし、わかった。ナナカ、リクオ、3神官的な感じで滅ぼそう。」
「えー、そこは『魔王と左大臣と右大臣』的な割り振りじゃない?」
「そうなると、やっぱりリクオが魔王で、私が左、ナナカが右、かな?」
「なんで?」
「いや、私、左利きだし。」
「そこじゃなくて、なんでりっくんが魔王?りっくんは魔王っぽくないよ。魔王は絶対によう子だよ」
「それだと助かる。リクオやナナカが魔王だと、なんか遠慮しちまう。その点、よう子なら、全力でつぶせるいでででで」
割と本気で睦朗が苦しんでいる。よう子が割と本気でほっぺたをつまんで捻って引っ張っている。
「あんたらそう言うけど、リクオも意外と腹黒いよ?割と魔王が適任だよ?」
「そんなことないよ、りっくん、すごく真面目に世界滅ぼしそうだもん。魔物の雇用契約とか、すごくホワイトな就業規則作ったりして。スライムとかには『定時で帰っていい』『勇者と遭遇した際は、上級魔王の指示を仰いで待機する』とか指示出したり。OJTで研修したり、ブラザー制度の導入で魔物同士の信頼関係を重んじる現場を構築したりね。なんか律儀すぎて、勇者を混乱させちゃうタイプ。あれ、意外と魔王向き?」
「いやいや、魔物って魔王軍に就職すんの?勝手に勇者を滅ぼすんじゃないの?」
「え、雇っているんじゃないの?就活して魔王軍に入るんじゃないの?筆記試験と実技試験と面接で、勤務地とか希望だしたり」
「うーん、『魔王軍』って言ってるんだから、どっちかっていうと軍隊じゃない?」
「軍隊だって、雇われて兵隊やるんじゃないの?」
「うーん、それはそうだけど、それって就職とは違うんじゃない?」
「でも、キャリアセンターに自衛官募集のポスター貼ってあったよ?」
「うわ、自衛隊は軍隊発言だ!罷免だ罷免、総理解任だ!ナナカ総理!つか、キャリセン行ったの?」
「うん、様子見に。てかさ、罷免って、総理大臣の権利じゃなかった?」
「罷免は天皇でしょ。どうだった?」
睦朗はトークに飽きたのか、鞄から携帯ゲーム機を取り出し、目線をそちらに落としつつ、
「罷免はいいけど、オレは避妊しない方がいいわ」
言い放った睦朗を女子二人がボコボコにしていた。何でも話せる女子だけど、自発的な下ネタは許容するが、受動的な下ネタには全くもって容赦がないのである。
いつも通りのサークル風景だ。
「たまにはリクオをボコボコにしたいもんだね」
「りっくん真面目だもんね、なかなかボコボコにできないね」
さらっと怖いことをいう二人である。
「つかお前ら、おれは現実逃避がしたいからMMOに行きたいって言ってんだ、ファンタジーの世界の話にまで、『就職活動』のワードを持ち出すんじゃねーよ」
3年間、このぬるま湯のような部屋の中で、
ゲームの事だけを考えて生きてきた神座睦朗と、
コスプレの事だけを考えて生きてきた九重よう子と、
イラストを描くだけを考えて生きてきた細波ナナカと、
アニメを見ることだけを考えて生きてきた僕、
勿月リクオに突き付けられた現実。
すなわち、「お前らいい加減に就職活動をしろ」ということだ。
事の発端はこうだ。
どこの大学でもそうであるように、学生に対して「就職活動は大事です」という講義やガイダンスを遅くとも3年生の頃から行い、学生の就職活動に対する意識を高める。この大学でもそれは同じで、おそらくそういった講義やガイダンスを散々実施していたのだと思う。
思うというのはすべからく、僕たちの周りに就職活動に関するガイダンスに出席している人間が一人もいなかったのである。確かに僕たちの大学は世間で評されるところの「Fラン」大学である。就職に関してもハイエンドな意識を持った学生がわんさといるというわけでは決してないだろうが、それでも学生の半数以上はこうしたガイダンスに出席し、就活の意識を高め、自ら行動するようになるのだろう。
しかし、だ。
前述のとおり、我々はオタクであり、オタクという生き物は、必要最低限の生活コミュニティを維持していれば、それ以上に活動の場を広げることはない。色々なパターンのオタクが存在していると想像するが、睦朗は「ゲーム以外の物に興味が無い」し、よう子は「コスプレに興味が無い人間に興味が無い」し、ナナカは「絵を描く場所さえあれば、他には何も要らない」し、要するにみんな、「趣味範囲内自己完結型」の人間だ。僕も積極的に人とコミュニケーションを取っては来なかった。大学3年間で出来た知り合いは4人だけ。ゼミに知り合いも居ないし、大学の中で顔を思い出せる人は、職員を除けば0である。
おそらく他人もみな、僕の顔など覚えていないだろう。
そんな奴らが何の縁だか集まってしまったものだから、この4人が共有する情報以外の情報が何も入ってこないわけである。それでも講義の情報なんかに困ることは無かったし、学生生活に必要な情報はこの狭いコミュニティの共有情報だけでも問題なかった。
しかしこの「就職活動の情報」に関しては、誰一人、向き合おうとはしてこなかった。
根がオタクなのである。
興味があること以外には何の興味も無い。今困らない面倒事については、出来るだけ後回しにして、出来ることなら事なかれ主義でやりすごし、メリットは皆無でも構わないから必要最低限のデメリットを享受する代わりに現状維持を至高とする考えがあるのだ。就職活動に関するガイダンスは必修単位には関係なく、なんなら単位に何ら影響を及ぼさない「自由参加型」のガイダンスである。
そりゃあ、行かない。
行くわけがない。
単位が取得できないというデメリットは、卒業できないというデメリットに繋がる。そうなれば現実的な「面倒」が待ち受けている。この面倒にぶち当たるデメリットを考えれば、出席した方がデメリットは少ない。現状が変わってしまうという変化こそが、一番のデメリットなのである。
そうなれば、ガイダンスに出席しないことで就職活動が思い通りにいかない、というデメリットは、現状の変化に対してのデメリットは少なく、遠い未来に「内定がもらえなくて困る」「ブラック企業に入って辞めてしまうことになって困る」というはるか遠くに感じるこのデメリットは、そう大したデメリットではないのだ。
だから就職活動を他人事のように考えて、1年生が2年生になるように、2年生が3年生になるように、何事も無いことのように4年生になった。
何事も無いままに時は流れ、卒業間際になって誰かが職を用意してくれて、いやいやながらもその会社で働くことが決まり、何事も無かったかのように卒業していくと思っていた。僕だけじゃないと思う。みんなもそう考えていたと思う。
だからキャリアセンターという得体のしれない場所からメールが届いた時には驚いた。単純に「ああ、僕のことを知っていたんだ」というレベルの認識だった。最初はメールマガジンみたいなもので、「こんなガイダンスがあるから出席しろよ」という案内だけだったのだが、4月に入り、新学期が始まった次の日には名指しでメールがやってきた。
そして「とりあえず一度連絡しろ」という内容だった。
それは僕だけでなく、僕以外のサークルメンバー全員の所に来ていた。
恐ろしいと思ったのは、それがこれまでのような一斉送信メールでは無く、個人アドレス宛に送られたメールで、内容も、大きく違うことは無かったが、取得単位数や空いている曜日、時間帯、帰省先の情報など、ディテールの部分で個別の状況を調べて書いた形跡があり、それが一層僕たちの恐怖を煽った。
それでも僕たちは、無視を決め込んだ。
まぁ、そのうち相手も僕たちの事なんか諦めて、就職活動に熱心な奴のことで手いっぱいになるだろう。そうすれば僕たちの平穏な日々は守られる。
次の日も、その次の日もメールは来なかった。週末を迎え、そんなメールが来ていたことも忘れていた。
そして月曜日。
午前9時ちょうどにメールの着信音が鳴った。
内容は「連絡をよこせというメールを送っている。メールが届いているのかいないのかの連絡だけでもよこしやがれ」
要約すればこんな感じのメールが送られてきた。少しだが、1回目に来たメールに比べて語調が荒い。
これはヤバい。
そう思ってからがオタクの真骨頂である。
それでも、僕たちは行動を起こさなかった。
ナナカは「さすがにメールの返信だけでもした方がいいんじゃない?」と言った。
僕も同調したし、睦朗もよう子も「うん」と言った。
しかし、行動を起こした者は誰もいなかった。言い出したナナカですら。
次のメールは2日後だった。
再び午前9時ちょうどにメールの着信音が鳴った。
まさかと思って調べてみたら、キャリアセンターの開所時間は午前9時であった。
「ゲームの世界の就職なら、簡単に考えられるんだけどね」
睦朗は一度ゲームをやり始めると、目の前でよう子がコスプレ衣装に着替えるために、下着姿になろうとも、ゲーム画面から視線を逸らすことは無い。彼は今、携帯型ゲームと交信中だ。彼は典型的な「ゲーマー」である。女の裸よりもハイスコアとレアアイテムとレアエンカウントのモンスターの方が重要なのである。
ただ、ゲームにしか興味が無いというわけでは無く、興味の大部分と、その優先順位の先頭にあるゲームの割合が極めて高いだけだ。お金はかかっていないが僕から見て平均的な大学生のカジュアルな服装をしているし、髪形もボサボサとナチュラルヘアのグレーゾーンだが、元が悪くないので様になっている。女の裸にだって興味が無いわけではない。ただ極端なだけなのだ。
「私はゲームでもけっこう悩んじゃうタイプだよ。ゲームによってはお嫁さん選ばされたりするじゃない?もうドキドキですよ。選ばなかった方のヒロインはどんなことを思うんだろう?って、主人公になりきって、感情移入している分だけ選ぶのも一苦労だよ」
誰に向けて話していたというわけではないであろう、よう子の言葉を、ペンタブを動かす手を止めることなく、ナナカが拾った。
ナナカとよう子は対照的なキャラクターをしている。明るく外交的で人前に出ることを厭わないよう子と、自身は積極的に前に出ず、前に出ていく人を影からサポートしたり、指示を出したりするのがナナカだ。
これは二人のオタクジャンルにも表れている。よう子はコスプレを嗜んでいる。もちろんナースだの婦警だの(府警という表現は現代では正しかったか?)、いわゆる一般的なコスプレでは無く、アニメやゲームのキャラクターの衣装を着て楽しんでいる。衣装も出来合いのものを着るのではなく、自作する。
ナナカの趣味はイラストを描くこと。暇さえあればタブレットを開き絵を描いている。これも、アニメやゲームのキャラクターを描いている。漫画を描くこともあるらしいが、それも1ページ漫画であることが多いらしい。
つぶやきをネットに投稿するSNSで自身のコスプレ画像を発信するよう子と、同じくSNSを利用しているが、決して自分自身のことはつぶやかず、自身のイラストを発表することに徹しているナナカ。
いつでもがっつりとメイクをし、ヘアースタイルにもこだわりを持ち、日々コロコロ変わる色とスタイルのよう子。メイクとヘアースタイルだけでギャルにもなれるしゴスロリお嬢様にもなれる。一方、ほとんどメイクはせず、髪形もほとんど変わらないのがナナカ。本人曰く、「小学4年生の頃から見た目が変わっていない」のだそうだ。軽いロリババアである。
そんな二人でも、オタクであるということ、アニメやゲームが好きという1点で強く繋がっている。
「そこは、ナナカと大きく違うな。私は直感で選んじゃう。自分の人生はさ、どうせ何でもかんでもは自分で選べないし『今しかないんだ』っていうプレッシャーがあるから怖いけど、ゲームくらいは何選んでも誰に文句言われる筋合いないじゃない?お嫁さん選びにしたってさ、『お、こっちの娘さんの方が自分のおっぱいに形が似てるし、こっちの衣装の方が可愛いから、こっちを選ぼう』って感じ」
「結局そこだよね、よう子は。よう子にとっての現実っていうのは、その『そのモノになれるか否か』みたいな基準が前提にあるよね」
「それは、ちがうよ。なれるか否かじゃなくて、なりたいモノになる、だよ。さっきのおっぱいの話は、単にまずはそんなところに目が行くっていうだけの話で」
よう子はきっぱりと答えた。自慢するような要素は全くなかったがその言葉と容貌が自信に満ち溢れている。だが手元はチクチクと針を布に通すという地味な作業を黙々とこなしている。今度のコスプレ衣装に使う小道具の制作をしているらしい。
「じゃあ、ゲームをするのも、なりたいキャラを探す為ってこと?」
「うーん、そう聞かれると…。純粋にゲームを楽しんでいる気持ちはあるよ。でもなんだろう、大事なところは自分の妄想の中で補完しちゃうから。補完じゃないな、再構築?ストーリーそのものに大きな意味は無いというか、ゲームをプレイすることによって『共有認識』を与えられて、要するにそこはスタートで、そこから『描かれなかった部分』を自分が紡いで、どう表現していくかっていう所にこそ意味があるとおもう。だから下準備っていう意味合いが強いのかも」
「その辺の話は私も同じかもしれない。共有認識の先にある「ゴール」がいくつもあって、そこに辿り着いたものを表現した時に、それを誰かが『そう、そうなんです』ってわかってくれた時の感動っていうのは、純粋にゲームの感動を越えているというか、それはもう別物の感動なんだよね。それで、そっちのがよりリアルなの。ゲームは第二のリアルっていうか、ガラスの向こう側にあるリアル。でも私の場合は、そこに至るまでに、どれだけ自分が感動できたかが無いと嫌なんだよ」
「ゲームがツールであるということは同じなんだろうね」
「私は絵で表現する時に、『ソコ』に立たないと、描けないから。でも、よう子はきっと『ソコ』から何かをこっちに連れ出してきているんだよ」
「ん?んん?ちょっと難しい話でお姉さん分からない」
「同い年だよ?んっとね、私は絵、よう子はコスプレ。私はどっちも2.5次元だと思っているのね。当たり前だけど、平面の中にあるのが2次元で、今私たちがいるのが3次元。この中間にあるのが2.5次元だよね?だったら、『3次元から2次元に向かっている2.5次元』と『2次元から3次元に向かっている2.5次元』があるんだよ」
「えーっと、向かっているということは、2.5次元は通過点なの?」
「そうだよ。2次元が宇宙空間だとしたら、3次元は地上。だから2.5次元は衛星軌道上。でも、2.5次元から先は、それこそ慣性と大気が邪魔をして地上には降りられない。宇宙に出ようとしても重力が立ち塞がる。第2宇宙速度は出せない。人間の力では、その先には進めないの。どんなに頑張って宇宙に向けて走っても、Bダッシュでは宇宙には出られない。どんなに頑張って地球に降りようとしても、軌道が変わるだけで同じところをぐるぐる回るだけ。2次元と3次元には、決して超えられない壁がある」
「もし超えちゃったら?」
「それは、燃え尽きちゃうだけでしょ?」
「なるほどね。で、ベクトルの違う二つの2.5次元の違いは?」
「簡単に言えば、『モニターの中に入りたい』のか、『この世界に嫁を連れてきたいのか』だよ。コスプレで例えるのなら、自分自身がそのキャラクターと同化したいと思うのであれば、モニターの中に入りたいってこと。逆に、そのキャラクターになりきりたい、自分自身をキャラクターとして存在させたいと思うのであれば、それはこの世界に嫁を連れてきたってことだよ」
「自己を捨てているかいないかの違いがあるってこと?じゃあ、イラストならどうなの」
「自己を捨てているか、その表現で合っているかも。イラストの場合、さっき私が言ったその世界に感動して、それを持って帰ってくるっていうのは、あくまでイラストで表現するのは私であって、私が見た世界を私が表現することに意味がある。逆に、私がイラストの中に入りたいと思うのなら、絶対に他人の作品なんかに感化されない。なんなら人物なんて描かないかも。私の中にある2次元を、ペンとタブレットで表現しなきゃ、意味ないもん。誰にも理解されないかもしれない。運よくエンターテイメントになればいいけれど。多くの場合、それは孤独な芸術だよ。」
「なるほどね。うんうん」
僕には分かる。今、よう子のキャパシティがオーバーフローした。
「ま、まぁ、よう子は衣装を布で作っている時点で、私はこのペンタブで表現している時点で、3次元の呪縛からは逃れられない。当たり前だけど、2次元に行くことは出来ないし、二次元を私たちが誰にでも理解できる形で表現するには、3次元にある何かを使うしかない。その時点で必ず「てんご」が混ざるんだよ」
それ以上、よう子を苦しめてあげてはいけない。
ナナカはたまに、「ナナカワールド」を展開する。彼女独自の視点から繰り出される理論は時によう子の思考を停止に追い込む。
横でアニメを見ながらそれとなく話を聞いていただけの僕にもすべてが理解できたかどうか怪しいけれど、つまりナナカは、イメージを具現化することと、イメージを表現すること、その違いについて述べていたのではないか。
本当にそのキャラクターが好きで、そのキャラクターになりたいと思ってコスプレをする人と、そのキャラクターの魅力を何とかして表現しようと思う人。そのキャラクターになりたいと思う人には、自分自身という人間は要らない。しかし、キャラクターの魅力を表現しようと思うなら、自分自身という器が必要になる。イラストも同様、イラストで2次元に入りたいということはつまり、自分自身が2次元になりたいということだ。その為には自分は自分の中にある2次元を書き写すための機械であればいい。しかし、2次元の魅力を表現しようとするのであれば、自分自身の技量や感受性をもって、表現しなければならない。
自分自身と向き合っているのか。
他者と向き合っているのか。
内側に向かって進むのか、外側に向かって進むのか。
慣性と重力。
その通りかもしれない。
だとすれば僕は、地上からただ空を見上げているだけのか?
いや、真昼の空を見上げているように、眩しさに目をつむり、そこに何があるかも分からず目を逸らしているのか?
もしかすると、地下で眠っているのか?
「本題に、移ろう。就活だよ、就活。どうするの?」
よう子がたまりかねてリセットボタンを押した。ナナカも満足していたらしく話を切った。
「そうだね、やっぱり就活しなきゃだめかな?」
ナナカがペンタブのペンを置いた。真剣に話をしますという合図だ。
「根本的な質問なんだけどさ、二人は就活が何か、知ってる?」
よう子の問いかけに僕は顔を横に振る
「やっぱり知らないか。」
「ナナカは知ってるの?」
「やり方だけは、一応」
僕はパソコンのアニメを止め、ブラウザを立ち上げ検索バーに「就活とは」と入力した
ナナカが僕らに説明をはじめた。大ざっぱに言うとこうだ。
就職活動というのは、3年生の頃から準備をしておくもので、大学でもガイダンスを開催している。そういったものに参加して知識と意識を高めておいて、3年生の3月1日に開始される広報活動の始まりを待つ。広報というのはつまり、会社が「うちの会社はこんな人材を募集しますよー」と社会に向けて発信していくようだ。なんだ広報活動かと思いきや、戦いはココから始まっている。
会社の広報活動というのは大きくはホームページで展開されるが、より詳しい情報を手に入れるには「説明会」に参加しなければならない。この説明会の参加チケットを争って、3月1日からクリック合戦が始まっているらしい。会社に興味を持った学生が企業に対して「私はあなたの会社に興味を持っています」という意味の登録をする。これが「エントリー」だ。エントリーをした者には説明会の案内が届く。
案内が届いたからといって参加できるわけでは無く、Web上でこの説明会の席を確保しなければならないのだ。そしてこの説明会に参加出来た者だけが、「エントリーシートの提出」「適性検査」「筆記試験」「グループワーク」「面接」という実際の選考を受けられる。
そうして勝ち残った者たちが8月から開催される「選考活動」を受ける権利が与えられ、これに勝利すれば晴れて「内定」というプラチナチケットが手に入るということだ。
あれあれ?広報活動なのに選考を受けているぞ?という疑問を持つのが普通だろう。しかし、これにも訳があるようだ。
驚いたことに、今年の就職活動からは、去年までとは大きくスケジュールが変わっているらしい。去年までは3年生の12月にはこの広報活動が始まり、4月からは選考が始まり続々と内定が出ていた。しかし、今年からは「大学生が大学生活を満喫できるように」という政府の方針の元、就職活動が後ろ倒しになって、期間が狭まったのだ。
これに困るのは企業である。短い期間に優秀な学生を捕まえなくてはならない。しかし、8月からの選考というルールを守っていては、とてもじゃないけれど学生を確保することが出来ない。
そこで、広報活動と銘打ちながら、こっそりと選考を行う企業が多くあるようなのだった。
つまり、就職活動とはエントリーをして、説明会に参加して、書類選考、筆記試験を突破し、面接を潜り抜けた先にある内定を獲得する、一連の作業を指すようだ。人気の会社となればエントリー希望者が一万人を超え、エントリー出来るのはこのうちの数千人、説明会に参加できるのが数百人、その先の様々な選考で振るいにかけられ、最終的に内定を獲得できるのは数人から十数人程度らしい。
しかも当たり前だが、学歴の高い順に選ばれていく。あるいはシード権が与えられているらしい。
「はい、ゴメン、もう無理、戦える気がしない」
「ははは、だよね。」
よう子と僕は、この一連の流れを知って、改めてこれは無理だと感じた。
どんなムリゲーだこれ?
いや、クソゲーだろこれ。
昭和に流行った家庭用コンピューターゲームであれば「クソゲー」という評価は褒め言葉である。難しすぎてクリアーすることのできないゲームにあえて挑戦し、苦難を楽しみ、理不尽を嗜む。
それを、この就職活動でもやれというのか?
これは、罰ゲームか何かなのか?
ここまでの人生を、例えば勉強とか、例えばスポーツとか、何か他人より秀でた何かがある奴や、いつでもクラスの中心にいて、誰とでも話し、誰とでも笑い、そこに世界を創り、空間を支配するかの如く誰からも慕われて仲良くなれるような奴にとって、これはボーナスゲームなのかもしれない。だけど、人生の大半を、アニメを観ることに費やしてきた人間にとってどうだ?
僕にとって、この就活というゲームは、どうしようもなく、駄作だ。
ノーセーブ、ノーコンテニュー
まさに昭和のテレビゲームだ。
昭和のテレビゲームにも、RPGには復活の呪文というものがあって、パスワードのようなものを入れると続きから出来たらしい。
この就活にはそれも無い。
いや、留年すればもう一回遊べるドン?
ふざけるな。
やはり、僕に就活は無理だ。
内定なんて、獲れるわけがない。
僕自身が、会社の人事担当者だとして、僕みたいな奴を絶対に雇わない。
自信を持って言える。もっとまじめで、色んな事に取り組んで、自分から物事に積極的にかかわっていこうとする奴を選ぶ。
終わった。
急に、見えてきた。
漠然と、今までうすぼんやりと見えていたもの。
自分一人で考えていた時には、あえて意識せず目を背けてきたもの。友人と共通の意識を持つことで、はっきりと見えてしまったもの。
このまま卒業までに、誰かが何とかしてくれるという根拠のない楽観の看板の向こうにある。
僕はもしかしたら、卒業しても何者にもなれず。
世間一般で言われるところの「ニート」というものに、
僕はなるのかもしれない。