この電話番号は……(前)
「い~っでででっ!! い~てえいってええ~!!」
友人たちの尋問は苛烈さを極め、2時間に及んで行われた。どっすんばたんと近所迷惑この上ないが、男子中学生が集まったら日常的にこんなものである。
「妬ましい! 妬ましい! なんでおまえばっかり女と仲良くしやがって、しかもなんだ、あれはなんだ、どうしてアイドルがここにいる! 説明しろ説明」
「うわわわ! ちょっ、おまっ! どこに上がってんだよ、それやばい! それ禁止! 床が抜けるっ!」
フライングクロスチョップ。
ロープに飛ばした相手が返ってきたところにダイブしながら、顔前でクロスさせた腕でチョップするという空中殺法。体重を乗せようとすれば、どう考えても頭から突っ込む羽目になり、そんな危険なこと出来るわけも無いので、無理な体勢から繰り出されるそれは、ぶっちゃけまったく痛そうに見えない。しかし普通にチョップされる程度には痛い。
武道家僧侶ナムさん(CV塩沢兼人)のフィニッシュブロー天空×字拳とも知られ、相手の首をへし折る必殺技と恐れられているが、多分その前に自分の手首がへし折れる。あと常人が食らえば10日間は起き上がれないとか言う設定があったが、それ死んでるんじゃね? と私は幼心に疑問に思った記憶がある。
「ぎゃあああああああ」
案の定、自分の手首を押さえてのた打ち回る友人を蹴っ飛ばし、別の友人が飛び掛ってきた。
「さあさあさあ! 俺の締めから逃れたければ、きりきり吐くんだ!」
「なっ、何をする!?」
オクトパスホールド、通称卍固め。
前かがみになった相手の左足に自分の右足を絡めながら、もう片方の足で首を極める。そして相手の体を捻るように、残った手を引っ張りあげ力を入れて締め上げると完成する、形が漢字の「卍」のようにも見える固め技である。
アントニオ猪木の得意技として有名で、がっちり固められると身動きがまったく取れなくなる、プロレスファンなら誰しもが一度は真似したことがあるくらいメジャーな技であるが、ぶっちゃけあまり痛くない。そして、響きがちょっと卑猥だ。体格差があると非常に極めづらい技であり、特に小さい人が大きい人を極めようとすると滅茶苦茶疲れる。
「おお! おおお! 動けない、まったく動けない! そしてじんわりわき腹が痛い」
「ぜいぜい……吐けっ! ぜいぜいぜい……は、吐けっ! ……おえっぷ……」
「おまえが吐いてどうすんだっ! ええい、俺に代われっ!」
真打登場か。私はいきなり顔を両手で挟むようにわし掴まれた。そして目と目が通じ合う。アラ、いいですねの波が押し寄せてきそうな微妙な間の後に、友人は意を決したかのように勢いをつけながら、私を逆さまに抱えあげた。バランスを崩しそうになり、他の友人たちが支えると、彼はそれを利用して私の足首を掴んで股を裂いた。誰からともなく声が上がる。
「ま、まさか、あれをやると言うのか!?」
筋肉バスター。国民的漫画キン肉マンの主人公、キン肉スグルの必殺技。その荒唐無稽な内容から架空の技と思われがちだが、実は漫画以前にも類似の技が存在し、今でも真似をする阿呆なプロレスラーが実在する。因みに海外にも居る。しかし殆どの団体では危険すぎるからと言う理由で使用を禁止されていると言う、結構笑えない威力の必殺技である。
肩の上に相手の首を乗せるブレーンバスターの体制で、さらに逃げられないように手で相手の足首を持って固定し、上空から共に落下することで、相手の首・腰・股関節を同時に破壊する、ついでにかけた本人の腰も破壊されるという、お約束込みの危険な技である。
かける方がダメージがデカイんじゃないか? とよくネタにされるが、実はかけられる方が痛い。体の柔らかい小学生ですらのた打ち回るほど痛いのに、体の硬くなった大人がやったらおそらく洒落にならないであろう。
「あがががががッッ! こ、股関節が! 股関節の筋がなんかピキって言った!」
「おお゛おふぅっ……ああ゛あ゛、や、やば……腰やった……」
もちろん、下手糞がやれば、かける方が悲惨である。二人ぶんの重量を背負ってんだから当たり前だ。
脂汗と脳汁を駄々漏らしつつ、墓場でさ迷うゾンビのような声を上げながら二人のた打ち回っていると、階下から、
「みんなー? ご飯できたわよー。食べていくでしょうー?」
母親の声が聞こえた。
帰ってきてるなら助けたまえ、あんたの息子がぼろ雑巾のように変えられているぞ。
夕飯を辞退して帰るなどという殊勝な者など存在せず、食卓は戦場となった。
中学生男子と言う名の欠食児童が何人も居れば当たり前である。
「おい、俺の肉取んな」「おまえこそ、野菜でも食ってろ」「誰かそっちの片付けろよ」「ちっ、まあだ生焼けでやがる」「このタレどこの? あ、お母さんおいしいです」「ありがとござます」「にく……うま……」
パートタイマーで働いているスーパーの閉店間際のおつとめ品、牛のブロック肉2キログラムを冷凍しようとしていた母は、「どんどん食べてね」と言いつつ、顔が引きつっていた。肉切り包丁を振るう手つきが雑である。
8合炊いてあったご飯も瞬殺だった。こりゃ、父親はコンビニ弁当だな……と哀れに思っていると、友人の月山が代表して聞いてきた。
「で、結局おまえらどういう関係なの?」
谷川あさひのことであろう。
「どういうって、小学校が同じだったんだよ」
「お隣さんなのよね」
母親が要らん情報を付け加える。まあ、ちゃんと話した方が追求も軽く済むだろう。
「……ああ、隣のでかい家? なんかいつも暗くて薄っ気味悪いと思ってたが」
「そう言ってやるなよ。売れ始めた頃にファンを自称するストーカー軍団が大挙してやって来てさ、以来あんな感じなんだ。以前はうちの敷地も踏み荒らされてったんだぜ? 学校から帰ったら、なんか知らないキモオタが庭に三脚立ててんの。警察官があれほど頼もしく見えたのは、生まれて初めてだった」
「有名税ってやつか。実際に聞くとえぐいな」
「ま、そんなわけで今日見たことは学校のやつらにも内緒な。下手に騒ぐとマジで警察来るから」
「あー、なるほど、わかったよ」
他の面子もうんうんと頷いている。
「でも家に上がるくらいだから仲良いんだろ? 紹介してくれよ」
高尾ががっついて来た。女に対してアグレッシブな奴である。因みにモテない。
「全然仲良くなんかねえよ。うちに来たのだって3年か4年ぶりだぜ? 紹介しろって言われても、じゃあおまえら、小学校時代の女友達、誰でもいいから俺に紹介してみせろよ。出来ねえだろう」
全員が目を逸らした。
「あー……まあ、そうかも。ところで何しに来たん?」
「さあな。それを聞く前におまえらのせいで有耶無耶になったんだよ。最後のあれは絶対トラウマになったと思うぜ」
「お、おう……」
言われて思い出したか、全員の食欲が落ちる。飯時の話ではない。というわけで、その話は終わった。まだ色々気になってはいたようだが、何をどうこう出来るわけでも、したいわけでもないのだし、有名人の知り合いがいたんだな、と言った程度の話である。
その後、谷川あさひがどういう子供だったのか、いくらか質問が出たが、それは母親の方が嬉しそうに語るので、私は何も言わずに黙々と肉を食べ続けていれば良かった。
父親のカロリーと我が家の床の寿命を奪って友人たちは帰っていった。
彼らを見送るついでに近所のコンビニで弁当を手に入れる。
帰り際に谷川家を見上げると真っ暗であり、普段ならカーテンは閉められていても、灯りくらいは漏れてるものだがそれもない。どうやら完全に無人、彼女の母親も留守であるようだった。
家に帰り、しょぼくれながらコンビニ弁当をかっこむ父親を尻目に自室へと上がる。
そう言えば、いろいろあって結局無修正は見れなかったな、残念……と思いきや、パソコンになにやら見覚えのあるUSBメモリが刺さっている。これはもしやお宝ではなかろうか? 慎重に中身を確かめ、それが例のブツであることを知って、私は狂喜乱舞した。
取りあえずコピってから、Dドライブの深い深い階層に、新規にNHKスペシャルフォルダを作ってそこに保存する。そして忘れないようにUSBメモリをカバンにしまおうとして、ふと充電中のスマホに目が行った。
そういえば、昨夜写した谷川あさひの写真がこの中に入っている。これの証拠能力とは、一体どんなものか分からないが、このままにしておいて良いのだろうか。
私はスマートメディアを引き抜くと、中身のデータをパソコンにバックアップすることにした。自分にもしものことがあったらサーバーにアップロードするためとか、そんな小説みたいな話ではない。なんとなく、これ一つしかないと言うのが落ち着かなかったからだ。
スマートメディアスロットをUSBにぶっ刺し、やはり深い深い階層に火曜サスペンスフォルダを作り保存する。ついでに画像処理ソフトを起動して、問題の写真を画面に表示してみた。
デジカメの画像はスマホでは縮小されていて分からないが、実際には画素数というか解像度が高いので、パソコンで表示すると思わぬ大きさに驚くことがある。
今回の写真もそれ式で、画像処理ソフトで表示してみれば全画面でも入りきらないほど大きく、いきなり谷川あさひの恐怖に慄く表情が画面いっぱいに映し出されるものだから、心臓がどきりと跳ね上がった。
まるでブラクラのようであるそれに苦笑いしつつ、使い慣れていないアプリに手間取りながら画像を縮小表示する。縮小したとは言えスマホの4インチ画面とは違い、細部まで鮮明に映し出されたそれは無駄に緊迫感を煽る代物だった。
目線は完全にカメラを向いており、おそらく写されるより先に私に気づいたように思える。そしてまったく予期せず突然フラッシュを焚かれて「あっ!」と声を上げている、そんな場面である。
背景のビルの窓ガラスにフラッシュが反射したせいで少々見えづらいが、テレビや新聞で何度も報道された『TKビル』の表記もばっちり映っており、ファイルのタイムスタンプも併せて、昨夜あの場所に彼女が居たと言う証拠には十分であろう。
昼間、私の部屋に訪れた彼女は、もちろんこの写真の存在にも気づいていただろう。次に会うときは、この写真についても言及してくるはずである。なら、この写真があることを前面に押し出せば、交渉もスムーズに行えるはずだ。
昼間はいきなりであったから無様な姿を晒したが、今度はそうはいかない。彼女とエッチなことがしたくないと言えば嘘になる。しかし、だからと言って見てみぬ振りは出来ないだろう。
直接には何の関係も無いはずである私の学校へ刑事が来たのだ。おまけに夕方、家の周りを張っていた様子からして、もうすでに彼女は捜査線上に上がっているはずだ。駆け引きなどやってる場合でなく、事件のことをさっさと質して、可能であるならば自首を勧めるべきだろう。
惜しいことをしたかもな……あの時友人らが来なければ……
もしもの話を考えても詮無いことか。どうせそんな度胸もないのだ。私は首を振って邪な考えを捨てると、表示していた画像を消すためにタブをクリックしようとした。
しかしその手がふと止まる。
「それにしても、なんかこの顔、どっかで見たことあんだよなあ……」
別に彼女そのものではなく、その表情と言うかシチュエーションと言うか、似たようなものを見た記憶がある。
私はブラウザを起動して検索エンジンの画像検索に『カーセックス』と打ち込んだ。
「……っと、ああ、これだこれだ」
おびただしい数のデバガメ写真が表示され、その殆どが谷川あさひのような驚愕の表情を浮かべていた。
まったく不意打ちの恐怖に出くわしたら、みんな同じような表情になるのかも知れない。恐怖に慄くその面は、どんな美人であっても台無しに変える。
私はその中でも顔全体が鮮明に映ってる適当な一枚を選ぶと、それを画像処理ソフトにドロップし、続けて谷川あさひの写真から、彼女の顔の部分だけを切り取って、ぺたりとコピペした。
同じ暗闇の背景であるから色調補正は殆ど要らず、拡大縮小を繰り返して大きさを調整して、あとは首の部分を上手く誤魔化したら、アイコラ画像の一丁上がりである。
「うわあ……こら、抜けんわ」
しかし、残念ながらまったく使い物になりそうもないその一枚に、ちょっとがっかりしてしまう。シチュエーション的にエロいと言うより、馬鹿っぽいのが問題か。知人がモデルであるという罪悪感もあるし、これはアイコラというよりもネタコラである。
思い立って、彼女の顔を男の方に移動する。
「ぶははははっ!」
笑えるぶんだけ、こっちのほうがよっぽど良い。この路線で行くならば、次はもちろん男性ボディビルダーである。その次は犬とかアニマル路線も良いなあ――
――と、阿呆なことを続けていたら、いつの間にやら夜も更けて23時を回っていた。私は急いで着替えを出して風呂の用意をすると、カーテンを開けて隣家の様子を確認した。
相変わらず隣家は真っ暗であり、人の気配が無い。
おそらく、私の母親に聞けば隣家のことは分かるのだが、からかわれるのが癪だった。まあ、今日、なんの収穫も無かったのだから、ほっといてもまた明日うちに現れるだろう。そうしよう。
そうしてまた結論を引き延ばし、私はその日を漫然とやり過ごした。
夕方のあのやりとりが、谷川あさひとの最後の会話になるなんてことは、その時の私は露ほども考えやしなかった。