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コロンボかよ(後)

 沈む夕日が室内に差し込んできた。いつの間にか大分日も傾いていたらしい。


 焼かれるような西日の暑さに耐えかねて、学年主任が窓を開けた。


 静かだった室内は一転し、放課後のグラウンドから響く運動部の元気な声で満たされた。


「そうですか、昨晩は特になにもなかったと……それじゃ、富岳君、このビルのことは知っていますか」


 外の喧騒などお構いなしの野太く大きな声で刑事は続けた。私は写真を一瞥すると、


「はい、知ってます。芸能プロ社長殺人事件の現場ですよね」


 堂々と言ってのけ、刑事の目を見た。


「……事件に興味が?」

「ええまあ、それこそ昨日その辺を通ったわけですし。今朝にはもうニュースになってたでしょう? 出かける前にテレビで見ました」

「ならば話は早いな。この事件の目撃者を探しているんだけど、君は昨晩近所にはいたけど、特に変わったことは何も無かったと」

「残念ながら」

「……コンビニには何を買いに……いや、もって回った言い方はやめるけど、君は昨晩コンビニで、大量のお酒を買ってるね?」


 学年主任の目がぎらりと光った。教頭が腰を抜かしそうな表情で目を丸くしている。おい、この馬鹿刑事、何を抜かしやがるんだ……と思いつつ、冷静さをなくさぬよう心がけて返答する。


「あーはい、父に頼まれました」

「刑事さん。未成年者にアルコールを販売するのは、売るほうに責任があるはずですよ」


 学年主任が割って入る。物凄いせこい言い訳に、何をトチ狂ってるだんろうと思いもするが、元を質せば私が悪いので、苦笑いするしかない。それは刑事も同じで、


「いや、その点は問題にしていませんから。それで、君は深夜にリュックサックを背負ってコンビニに買い物に行ったと」

「ええ……マイバッグですよ、マイバッグ。て言うか、そんなことまで調べるんですか? まるで容疑者みたいに」

「……ただの偶然なんだろうけどね。被害者の死亡推定時刻に、君が近場のコンビニの監視カメラに映っていたから確認しないわけにもいかず」

「はあ、そうなんですか」

「しかし、それじゃ君は何故、こんな家から遠いコンビニまで買い物に来たの? もっと近所にもあるよね?」

「あー、それは、うちの最寄りだと年齢(とし)がばれてるんで。それにちょっと遠いかも知れませんが、自転車ならものの5分ですから」

「んんんー? それはちょっとおかしいんじゃないの」


 まるで我が意を得たりといった感じで、刑事は大きな声でそう言う。


「何がですか?」

「コンビニの監視カメラは店内だけじゃないんだ、外の駐車場にもついていてね。往来の人通りも確認出来るから、そっちの方も調べておいたんだよ。それによると、君はコンビニまで徒歩でやってきてるね? 自転車ではなく」


「え? いや、そんなはずは……」と言い掛けて思い出す。「……あっ!」そうだった。


 確かに私は、自転車を芳賀書店に停めて、コンビニへは徒歩で行っている。周辺は暗い夜道が続いているだけで、営業している店や何かはそれこそ件のコンビニしかない。自転車でやってきたと言うなら、店の前に停めない道理はないのだから、事情を知らない者からしてみれば、私がわざわざ時間を掛けて、徒歩でやってきたと思えるわけだ。


 私の「あっ!」に反応した学年主任と教頭がびくりと肩を震わせた。問題だけは起こすなよと言いたげな、強い眼力を感じる。


 対して、刑事のほうは落ち着いたもので、じっと私の返事を待っている。


 さて、どう返事すべきか……私は脇に置いたカバンをちら見しながら、


「いえ、自転車で行きました。ただ他のとこに停めたもので」

「何故? わざわざコンビニ前を避ける理由は無いと思うが」

「えーっと、それは言わなきゃなんないんすか? こういうのって任意っすよね。言いたくないんですけど」

「富岳えぇーーっ!!」


 私が感じ悪くそう断言すると、やはり刑事ではなく、教師二人のほうが動揺した。沸点の低い学年主任が激昂し、顔を真っ赤にして飛び上がり、教頭は青ざめて椅子に力なく腰を落とす。


 信号機のようなコンビに、苦笑いしながら刑事が主任を宥めようと立ち上がる。


 私はある程度の抵抗を見せたが、あっさりと折れることにした。別に話したところで困るものでもない。まあ、しかし、面食らうだろうなと思いながら、


「分かった分かった! 分かりましたから、ちゃんと言いますよ。エロ本です。エロ本買ってました!」


 刑事を押しのけて迫ろうとしていた学年主任が固まった。


 勢いを殺がれてバランスを崩した刑事がたたらを踏んだ。


 教頭はクエスチョンマークを浮かべて、事態についていけてないようだった。


「はあ!?」

「いや、そのコンビニの近くにあるんですって、エロ本売ってる自販機が。エロ本の自販機って知りません? 今日、学校の奴らに話してみたら、思いのほか見たこと無いって奴が多くって面食らっちゃったんすけど、先生らは当然知ってますよね? ね? ね?」

「……ま、まあ」

「昨日、昼間なんですけど、ちょっとした成り行きでエロ本を買いに行く羽目になりましてね? で、別にそのときは欲しくなかったエロ本が、夜中になって急に欲しくなりまして。いや、そういうことってあるでしょ? 夜中のよく分からないテンションで、いつ買うの? 今でしょ! みたいな流れが。 ……でもねえ、これがホントひどいんすよ」


 私はカバンの中から例の二冊を取り出して見せた。


「夜中にえっちらおっちら、チャリで遠出してまで買って来たはいいものの、めくるめく官能の世界へいざ行かん! とページをめくってみても、これが一向に興奮しない。これっぽっちも捗らない。要するに勃起の気配がない。中学生男子がですよ!? 中学生男子が! 俺、有り得ないと思って二度見しました! 逆に縮む思いがして、急いで本を閉じましたとも! さあ、とくとご覧ください、これがその証拠です」


 刑事は突き出されたエロ本を、どうしていいか分からないといった感じで、不承不承受け取った。取りあえず、本をめくったら、仏頂面だったその顔が能面のようになった。


「……これを買ってたの? わざわざ? 夜中に?」

「なんですかその有り得ないみたいな顔は。ええ、ええ、信じられないでしょうとも。でも事実です! 俺だって……俺だって、こんな間抜けな過去なんて否定したいんだ。出来れば嘘だと言いたいんだ! だけど、あんたがっ! あんたが、どうしても昨日のことが知りたいって言うからこんなことになってるのに、そのあんたが信じないって、そらあんまりじゃないですか」

「あー、分かった分かった。えーと、あの辺にエロ本の自販機? があって、そこに自転車を停めてたと」

「そうですとも。コンビニの方は、ついでだったんです。デイバッグ背負ってんのは、むき出しのエロ本を抱えて帰るわけにはいかないからです」


 刑事はうーん……と唸りながら黙りこくった。私の理路整然とした証言にぐうの音も出ないのであろう。呆れているわけではない。きっとそうだ。


 これで刑事の追及は逃れたぞ、あとは何も見なかったの一点張りで通すだけだ。学年主任と教頭が、こちらの様子を心配そうに窺っている。安心して欲しい。私は身の潔白は証明されましたよと、ドヤ顔でウインクした。どやあ。学年主任がしかつめらしく、うんうんと頷いている。


「なんにしろ、それ没収な」

「はあ!?」


 とんでもない返事が返ってきた。


「当たり前だろう。学校にエロ本持ってきてタダで済むと思うな」


 いやいや、こんなもの没収されても痛くもかゆくもないのだが、だからって、


「そりゃないでしょう!? もちろん、学校にエロ本を持ってくる。それが悪いことだってのは分かります。でも、別に見せびらかして歩いていたわけでもないんですよ? ここで刑事さんにいろいろ指摘されなければ、日の目を見るもんじゃなかったんですよ? 言うなれば、事件解決に協力したが故の、善意の発覚じゃないですか。それを没収するっていうのは、いくらなんでも横暴だ!」

「規則は規則だ。発覚するしないに関わらず、エロ本を持って来たという事実は覆せないから、アウト」

「因果関係無視して、俺がルールみたいに言わんでください。今回の件が無ければエロ本は、在るけれど無い、重ね合わせの状態だったってだけです。シュレーディンガーもそう言ってますよ! って、ちょっと、刑事さん、あんた他人事みたいにしてないで、何とか言ってやってくださいよ。そもそもあんたの責任でしょうが」


「……え? 僕?」いきなり話を振られて面倒くさそうに、「あー……先生、彼の言うとおり、私が悪いんですから返してやってくれませんか」


「刑事さん、これは当校の指導方針ですから、口を出さんでください」

「分かりました」


 刑事はあっさり諦めた。


「はやっ、ちょっとは抵抗しろよ。あんたのせいだろうが」

「確かにそうだが……そんな詭弁を弄してまで、君はあれを守りたいのか」

「おもむろに核心突くんじゃねえよ! ああ、そうだよ! はっきり言って要らないものだよ! だけど、引くに引けないだろ、こんな理不尽」


 学年主任の横暴は止まらない。


「理不尽ではない、校則だ。漫画、雑誌、携帯ゲーム機、授業に関係ないものを持ってきたら即没収と生徒手帳に書いてある。それから分かってるな? 反省文10枚だ」

「ふ・ざ・けっ……」


 さすがにここまで来ると笑えない。私はこの理不尽に全力で立ち向かうために、歯を食いしばり策を練った。なにか良い方法はないか。


「が……学力の向上……および部活動における備品、また参考となる書籍類の携帯は認められているはずですね」

「……おまえはこれが何らかの参考書だとでも」


「いかにも」失笑する学年主任に私は言い放った。「これは裸婦デッサン資料集、即ち美術教材です」


「ありがちな。もっとマシな言い訳を考えろ」

「いえ先生、俺は言い訳なんかしませんよ。ここに現物があるのに、言い逃れなんて出来ないでしょう? 俺はただ、それそのものを見て、判断してもらえればと言ってるんです。だって一目瞭然でしょう」

「なんだと?」

「先生、大体エロ本とはどんな物でしょうか? いやそもそもエロスとは? ただ、女がマッパになってりゃそれがエロスですか? 違うでしょう。そんなこと言ったら美術館なんざ、ただのエロの殿堂です。じゃあエロ本とそれらの違いとは何か。それはスケベ心ですよ、スケベ心。それそのものによって、性欲が掻き立てられるか否かが、エロ本とそうでないものとの判断基準だと思うんです」


 私は力強く断言した。


「従って、それはエロ本では有り得ない。間違いなく美術資料集であります」

「詭弁を言うな」

「なら先生、あんたはそれを見て勃起すると言うんですか? エロ本なら勃起しますよね? 先生が身を持って証明してくれるってんなら、俺だって認めますよ。俺は単にエロ本じゃないのに、エロ本だと決め付けられ、糾弾されているこの状況が許せんのです」


 学年主任はエロ本の表紙をめくる。すぐさま


「うーむ……おまえ、本当にこんなの買いにわざわざ夜中走ったのか?」

「くっ……あんたたち揃いも揃って、人の傷口に塩擦り込みやがって。ええ、そうですよ、そうですよ! そんな有り得ないもんを、夜中にこそこそ買ってたんですよ! だから、見て分かったでしょう? それはもう、エロ本なんてチンケなもんじゃないってことが。逆に問いたいくらいです、先生はそれをエロ本であると認めちゃうのですか? 認めちゃっていいんですか?」

「いや、しかしおまえ……アダルト女優本番・生撮り写真集かっとび爆走レディスFUCKって、どう考えてもエロ本のタイトルだろう。あとなんだ、この2500円って値段は」

「タイトル詐欺って言葉があるでしょう。こっちなんてロッテvs日本ハムですよ!? それにほら、よく言うじゃないですか、大事なのは外見じゃなくって中身だって。あと値段のことは言うなっ!」

「……この学校って偏差値いくつですか」


 と、呆れ顔で刑事がぼやく。


「先月の県下統一学力テストでは80を超えましたなあ」


 客に出すこともせず、ポットのお茶を一人だけ飲んで一服しながら、誇らしげに教頭が言う。私たちを止める気も、付き合う気も毛頭ないらしい。


 結局その後、勃起するしないの論争が数分間続けられ、埒が明かなくなった学年主任が何故か刑事に突っかかり、私がボケ、教頭が事態収拾を図り、エロ本は没収されないが、反省文5枚(理由は教師に楯突いたから)と言う条件で手を打つことになった。


 それでも正直納得いかなかったが、いつまでもこんなことを続けていても仕方ない。当初の目論見も達成したのだ。私はそれを甘んじて受け、指導室から開放された。


 阿呆なことを続けていたら結構時間が経ってしまった。部活の時間は残ってはいたが、今から出ても何が出来るわけも無し、私は反省文提出を理由に部活を欠席する旨を報告しに、職員室へと向かった。職員室前には目安箱のように、欠席届を提出するための箱が設置されていた。


 背後から刑事がついてくる。


「あーそうそう。ところで、谷川あさひと隣人だそうだけど」

「……ええ、まあ。あの、そんなことまで調べるもんなんですか?」

「仲は良いのかい?」

「いいえ、これっぽっちも」


 ふーん……と、鼻白んだ様子で刑事は私の脇を抜けると、私の問いには答えずに、職員室へと入っていった。室内では校長が目礼をして立ち上がり、なにやら真面目な顔をして会話を交わしているのが見えた。


 コロンボかよ。


 たかが一介の中学生の身辺を、そこまで熱心に調べるものか?


 いや、谷川あさひを調べていて、逆に私にたどり着いたのか……


 上の空で欠席届を記入し、握りつぶすようにして箱へ押し込んだ。刑事の行動は気になったが、気にしてる素振りを見せるほうが嫌だった。私は何食わぬ顔をして、足早にその場から遠ざかり、上階へあがると、職員用玄関が見える場所へと移動した。暫くすると刑事が現れ、わき目も振らずに校門を出て行った。警察車両は見当たらない。遠くに止めたか徒歩なのか。


 はぁ~……と、ため息を吐いている自分に気づく。どうやら緊張していたらしい。


 それにしても、何故言わなかった。


 別に言ってもかまわなかったではないか。谷川あさひが昨晩、怪しげな行動を取っていたのを目撃しましたと。


 言えばいい、私には関係ないのだから。


 それにあの様子だと、警察もとっくに知っているのではないか?


 後悔が去来し、思考がかき乱されて何も考えられなかった。何故こんな行動を取ってしまったのか、理由を考えるのも怖かった。


 私は頭をぶんぶんと振ると、それ以上考えることを止めた。


 スマホを取り出し、月山へ『反省文を提出するから遅れる』とメールする。


 1分もかからず返事が来る。『おまえ、なにしたの?』


 そんなこと、私のほうが聞きたい。


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本作が映画になりました。詳しくは下記サイトにて。2月10日公開予定。
映画「正しいアイコラの作り方」公式サイト
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