コロンボかよ(前)
私立清開高校付属中学校は県下に名を轟かす有名進学校である。
旧帝大への進学率30%、一流私大への進学率50%。その他大学進学率においては98%を下回ったことが無いという、言うなれば超進学校だ。
その群青色の詰襟を見れば県下の者ならば誰もが目を輝かす。かつて神童と呼ばれた、選ばれし者たちだけが集う学び舎、末は博士か大臣か、質実剛健、文武両道を信条とし、学業のみならずスポーツの分野にも秀で、全国的にもその名は知られている『男子校』である。
つまり頭は良いが女子にからきし弱かった。
毎年120名ばかりの新入生が希望を胸に校門をくぐるのだが、始めの1年目はいざ知らず、第二次性徴期を向かえる2年目辺りで、あれ? もしかして俺はとんでもない間違いを犯しているんじゃなかろうか……と漠然と考え始め、中学3年にもなると、明らかに自分の置かれている境遇に打ちのめされる。
高校1年になるとその様子も顕著で、清開ブランドをかさに着てナンパに明け暮れては玉砕を繰り返し、高校2年の夏までにはあらかた勝ち組と負け組みが決定され、そして高校3年になると自棄になった集団が一人では心細いからと、揃いも揃って駅の向こうのソープランドへ突撃を図る伝統があった。
創立100年を迎える校舎も更に追い討ちをかけた。
汚い校舎、臭いトイレ、おまけに何故か知らないが、学校の回りは5メートルもの壁に囲まれていた。フェンスではない。コンクリートの壁が5メートルである。外部から中は見えない、もちろん内部から外部もだ。
かつて大戦中は外国人捕虜の収容所として使われていたという噂があるが、まあ、それは噂として、防空壕は本当にあった。
一つしかない校門も不自然なくらい間口が狭く、混雑緩和のためと称して、まるでソ連の配給所の如く一列縦隊を義務付けられており、授業開始時になると、重厚な鉄扉が閉められる。ガードマンが24時間常駐し、遅刻、脱走は許されない。
何だか臭いものに蓋をされている匂いがぷんぷんする中、文武両道の名の下に、部活動は絶対参加とされており、言うなれば強制労働まで強いられている始末である。
「いつ来ても刑務所みたいなとこだな」「娑婆の空気が恋しいぜ」「お勤めご苦労様です、兄貴」
校門前で登校して来たクラスメートと出くわし、私たちはそれぞれ挨拶を交わしながら、屈強なガードマンが守るゲートを潜った。
そこかしこから、にゃんぱすー、○○様ごきげんよう、などと挨拶が聞こえてくる。どいつもこいつも馬鹿にしか見えないが、残念ながら頭は良い。
始業開始5分前の予鈴が鳴る。
鐘の音に急かされるように、周りがバタバタと慌てふためく中、私たちは悠々と靴を履き替えていた。
我が校は成績さえ良ければ生活態度に関しては結構ゆるいが、遅刻だけはやたら厳しく取り締まった。1秒でも遅れると、反省文を書かされる上にミニテストまでついてきて、すこぶる面倒くさい。
だが面倒くさいと思う気持ちは教師も同じで、我がクラスの担任はミニテストを作るのを嫌がって、わざわざHRに遅れてやってくる習性があった。従って校門を無事通過することさえ出来れば、ほぼ遅刻は免れるといった寸法である。
雑談をする友人たちの後ろで一人、スマホを弄りながら歩く私が目についたのか、昨日共にエロ本を買いに行った穂高が声を掛けてきた。
「おまえ、さっきから何見てんの?」
「昨日、うちの近所で事件あってさ。つーか、ほら、あのオモーロビデオ」
「……? ああ、あれがどうした」
「あのすぐ傍で殺人だって」
私はストリートビューを開き、芳賀書店を表示してから、一回だけスクロールさせる。赤茶色のTKビルが映っているのを見せて、続けてニュースサイトで見つけた現場の写真を指し示すと、穂高は滅茶苦茶興奮した。
「うおっ、マジでか!? 近いなんてもんじゃないじゃん。もろ隣じゃん。数メートル? すっげ! えー! いつ死んだんよ。俺らがいた時? 俺らもしかして参考人?」
教室に入るとハイテンションの穂高に釣られて、「なになに? 何の話?」とクラスメートが集まり、気づけばあっという間に事件の話が広まった。
昨日、現場に行った連中を中心に話が盛り上がり、必然的に、そもそも、なんでそんなとこに行ったの? と言う話になって、私は思い出す。
「そうだった。エロ本を買いにいったんだった」
アダルト女優本番・生撮り写真集かっとび爆走レディスFUCK。それとついでにロッテvs日本ハム。こんな持っているだけで男廃業になりそうなものを、いつまでも後生大事に抱えてなんていたくない。
さっさと友人たちに押し付けてやろうとカバンをごそごそやっていたら、タイミング悪く担任が教室に入ってきた。
「ほら、おまえら席につけ。出席取るぞ~」
うっかりしていた自分にも非はあるが、どうしてこうも手放すことが難儀なのであろう。呪いのアイテムか。それを捨てるなんてとんでもない。
梅雨の晴れ間の穏やかな陽気の、特に何のイベントもない物憂い一日であったためか、退屈しのぎにうってつけの事件の噂はなにやらあちこちへ飛び火し、気づけば特に何もしていなくても、色々なやつらから情報が入ってきて、昼休みには自分の机の周りが捜査本部のようになってしまった。
事件そのものもそうであったが、エロ本の自販機という存在に食いつく者が驚くほど多く、あれ? そんなに、みんな知らないもんなの? と意外に思いながら現物を渡してみたら、昨日の面子が面白おかしく虚構を交えて語り出したせいで、学年を飛び越えて話題になった。
そしてやはりあのED養成ギブス(と書いてエロ本と読む)の存在は凄まじく、中学生男子の股間に別の意味で衝撃を与えたのであった。
「あっ、富岳先輩。ちっす。事件の情報集めてるんすよね」
「いや、別にそういうわけじゃないんだけどね……」
といったわけで、怖いもの見たさで事件の情報と引き換えにやってくるものが後を絶たない。
食堂でうどんをすすっていると、次から次へとたれこみが舞い込んできた。メシを食い始めて、これで5件目である。
「それでその……見返りと言っちゃ何ですが」
「おまえもか」
どんな噂になっているのだろうか……?
やってくる奴らの期待に満ちた表情を見ていると多少の罪悪感は感じる。感じるだけで止めはしないが。
後輩は私がエロ本を渡してやると、周囲の取り巻きと一緒に嬉々としてページをめくった。もう少し慎重に表紙を見て判断すべきである。残念ながら、それは勃起不全しか起こさない。
そんなこんなで昼休みまでに集まった事件のあらましはこうである。
被害者は大山誠55歳。芸能プロダクション経営。かつては、日本中の誰もが知ってる大手プロダクションの取締役であったそうだが、面接に来たタレント候補生に性交渉を強要し訴えられ、事実上懲戒解雇の引責辞任、書類送検されるが、その後示談が成立する。黒い噂の絶えない男で、おそらく被害者は所属タレントも含めて多数いると言われており、方々から恨みを買っていたとの情報もあった。
死体の発見現場は事務所であり、普段ならば深夜は無人。自宅は二駅ほど離れた高級住宅街の一軒家、近所に住む人の話によれば、ほぼ毎日夕方過ぎに外車に乗って外出し(おそらく出勤)、帰りは不規則と言うか、いつ帰ってきているかさえ分からない。生活が派手で羽振りが良さそうに見えたと言う。
事務所は事務員が一人のほぼペーパーカンパニーで、所属タレントにこれといった名前はなく、有名どころでは唯一、大昔に一発当てたことのあるタレントが居たが、取材陣が本人を直撃してみたところ、名義を貸していただけで、実際には仕事をしていなかったとの返事が返ってきた。一体何で稼いでいたかは不明である。
第一発見者はビルの警備員であった。そのビルではセキュリティの都合上、テナントの鍵を毎日管理人室で預かる決まりになっていたらしいが、その日は問題の事務所が鍵を返して来ず、深夜残業をしている気配も無いことから、せめて戸締りだけでも確認しに行ったところ、死体を発見したとのことである。
警備員が事務所のドアを開けようとしたところ、何かが入り口に置かれて突っかかっており半分も開けられず、仕方なしに体重をかけて押し開けてみると、全裸の被害者がドアノブで首を吊った状態で死んでいたらしい。
この情報の信憑性はどのくらい高いか分からないが、警察が否定しないこと、各社の報道が共通していること、そしてこんな無様な死に様がネットに拡散してしまうくらいに被害者が嫌われていたこと、それらを踏まえると、そこそこの確度であると言っていいようである。
口さがないネット掲示板では首吊りオナニーで間違いないと断定されているが、警察では自殺と他殺の両面で捜査をしているようだった。自殺と断定するには証拠が少なく、そしてやはり方々から買っていたとされる恨みや、黒い交友関係などが引っかかるのであろう。
ところで、
「ううぅ~……ひっでぇもん見た。ひどいっすよ、先輩。なんすかこれ」
「一つ勉強になっただろ。ところでこいつが元居たプロダクションって?」
「ボーリングプロっすね。知ってるでしょ」
「名前くらいは。どんなタレント居るの」
「はあ……有名どころだと谷川あさひっすかね」
ですよね。
うどんをつるつる飲み込むと、汁まで完食して席を立った。
エロ本を小脇に挟んで、食器返却口に行ったら小母ちゃんが、あらっとした顔で頬を赤らめた。いや、そのリアクション勘弁してください。そしていつまでこの呪われたアイテムを所持していなければならないのだろうか、私は。
昼食を食べた後の午後の授業など集中できるわけもなく、うつらうつらと船を漕ぎながら午後の二限を消化する。それは私以外の生徒たちも同じで、暇つぶしに調度良かったのであろうか、事件の情報がまるでスパムのようにスマホへと送られてきた。
部活前のホームルームでようやく目が覚めてきた私は、それらの情報を流し読みながら、エロ本を抱えて月山らが集まる席へと移動した。これでやっと呪いから開放されるぞと、うきうきしながら来てみると、
「メール見たか?」
こちらが話しかける前にそう言われた。メールなら今見ている。
「昨日のオモーロビデオだけどさ、行きたいって言ってるやつらが結構いんのよ」
月山からのメールがないか確認すると、確かにそんな内容のが届いていた。行きたいといってるのは、1・2・3……
「6人もかよっ! おまえらと俺も入れて10人か。すげえ大所帯だな。馬鹿じゃねえの? もちろん行くよ!」
「おっおう、なんか投げやりだな。ついでに事件現場を野次馬しようぜ。まだ警官居るかもしんねえしよ」
元よりそのつもりであった。
正直、事ここに至って私は覚悟を決めねばならなかった。もしかしたら、事件の目撃者である可能性があるからだ。
昨夜見かけた挙動不審な彼女、谷川あさひが果たして殺人事件の犯人であるかどうかは分からない。
だが、私が目撃して彼女を写真に収めたように、彼女も私のことを目撃しているのだ。このまま放置しておく、と言うわけにはいかない。
何故もなにもなく、彼女が犯人であると仮定すれば、彼女が私を放っておくわけがないからだ。
問題は、昨晩彼女を見かけたと警察に通報すべきか、それとも彼女に直接問いただすべきかである……そんなサスペンスドラマの二人目の被害者みたいな行動を取るのはごめんであったが、知らない仲ではないのがネックだった。
ぶっちゃけ、隣家の同級生なのだ、幼馴染なのだ、小さな子供に男女の壁などないのだから、誰よりも親密な時期さえあった。しかし今では何の繋がりもない、学校も違う、道で出会っても挨拶も交わさない、距離感が掴みづらい、そんな仲だ。
突然、口をへの字に曲げて、沈思黙考する私を怪訝に思ったか、
「つか、おまえ何しに来たの?」
月山に言われて思い出した。そうだった、エロ本を叩きつけに来たのだった。もうこんなものは持ってられないと、カバンの中から出そうとしたら、
「席につけー、楽しい楽しいホームルームの時間だぞー」
担任が出席簿で肩をとんとんやりながら入ってきた。そのやる気の無い声がまたいらつく。せっかくの機会を何度もつぶしやがってこの野郎と、睨みつけながら席へと戻ろうとしたら、
「おお、そうだそうだ富岳ぇー……って何で睨んでるの? まあいいけど。おまえ、ホームルーム出なくていいから、そのまま指導室な」
「はあ?」
「指導室、場所知らない? 何度か呼び出したことあるよな」
「そりゃ知ってますけど、何で俺呼ばれたんですか」
「身に覚えないの? 別にみんなの前で言っていいなら言うけどさあ」
クラス中から好奇の視線が突き刺さる。正直、身に覚えは無かったが、
「いやいや、結構ですよ、えへへ」
と、カバンを引っつかみ、教室から出た。
はて、何故呼び出しを食らったのだろうか?
指導室へ向かう道すがら考えてみるがさっぱり理由が思い当たらない。
強いてあげればカバンの中にあるエロ本だ。食堂のおばちゃんあたりから抗議が行ったとかなら分かるが、しかしそれならば大衆の面前で注意するなり、没収するなりすればいいではないか。
自分で言うのもなんではあるが、私はオープンなHENTAIだ。注意されて傷つくような玉じゃない。それは教師連中も知っているはずであるから、こそこそと指導室に呼び出すのは、逆に行き過ぎというか疑問だ。
そんな風に首を捻っていたらスマホに着信、月山から、
『学校終わったらおまえんち集合』
とのメールが入る。
別に私の家でなくとも、駅でも現地でも待ち合わせればいいのに……と思いつつも、分かったと返信し、私は指導室の前に立った。
西日の差す、午後遅くなればなるほど、暑くもまぶしくもなる部屋であった。立地をよく考えてやがるな……などと考えつつ、私はドアをノックしてから、失礼しますと一礼して指導室へと入っていった。
そこには教頭と学年主任、それから見知らぬスーツ姿の男が居た。
その正体不明の男も気になったが、それ以上に、
(教頭? なんで教頭いんのよ。どんだけ大事なの。マジびびるんですけど)
私は背筋を伸ばして居住まいを正し、必要以上に真面目くさった声で挨拶した。
「3年1組の富岳三郎です! 喚び出しにより参上しました!」
「はい、もちろん知ってますよ。前回の中間テストでも学年1位でしたね。どうぞ、お座りなさい」
教頭は謎の男をちらりと見てから、愛想の良い笑顔で露骨に誉めそやしてきた。薄気味悪い態度に若干戸惑いつつ、勧められるままに席へ座る。
「刑事さん……こいつが富岳ですが、見ての通り事件を起こすような奴ではありません。我が校でも特別優秀な部類で、三年連続皆勤の至って真面目な奴なんです」
誰ですかそれは……いや、自分ですけど。
普段あまり褒められ慣れてない私は、なにこれ怖いとドン引きしつつも、
「刑事さん?」
と呼ばれた男をポカンと口を開けて見つめた。
男は終始笑顔であったが、どこか険のある雰囲気が隠せない、妙な迫力のある人物であった。すり減らした踵と変色したズボンの裾が特徴の、中肉中背ながら油断のない目つきと太い二の腕が、見るものを威圧する。
「そうかしこまらないでください、先生方。我々は別に彼を疑っているわけではありません。えー、それで……富岳君だね。私は上ヶ原署の飯豊と言います」
飯豊はそう言うと懐から警察手帳を取り出し、一枚めくって身分照明を提示する。初めて見るのだからそれが本物かどうかは分からないが、まあ間違いなく本物であろう。
「はあ……刑事さんですか、えーっと?」
「学校にまで押しかけてしまって申し訳ない。実は君にね、昨晩のことについて聞きたくて来たのだけど」
「……昨晩?」
「ああ。君は昨晩、日付が変わってから、県道3号線沿いのコンビニエンスストアで買い物をしているね? その君が買い物をしている、だいたい同じ頃、すぐそばで事件があったんだが……」
彼はカバンから写真を取り出すと私に見せた。今朝から何度も見ている、入り口にTKビルと書かれた赤茶色の建物を見せられ、私は動揺した。
「君は、この場所に見覚えがあるだろうか。それからもし、昨晩、買い物の行き帰りで何か気づいたことがあったなら、なんでもいいから教えて欲しいんだ」
事ここに至っては覚悟を決めねばならない。
そりゃ覚悟を決めようと思っていました。
しかし思っていただけで、まだ決心が着いたわけではない。彼女について、通報すべきか否かはまだまだ迷っていた。そんな中途半端なときだってのに、事件のほうからやってくるなんて、反則ではないか。
どうする? 言うか、言わないか?
TKビルを見たときの私の動揺を、刑事は見逃さないであろう。
言うべきだ。どうせ他人事なのだから。それなのに……
「いや……特には」
写真を見つめる顔を上げて、刑事の目を見る。
意外なものを見たと言わんばかりの表情で、彼は私を見つめていた。
教頭と学年主任が明らかにほっとした表情をする。安心するのはまだ早い。
刑事はそれならばと、追及する姿勢に入った。
どうして彼女を庇うようなことをするのか? 自分の気持ちだってのに、私はさっぱり分からなかった。
多分、いきなり過ぎたから、心に余裕が無かったのだ。ただそれだけのことだろう。
だから、今すぐに否定すればいいだけなのだ。そして言えばいい。本当は、暗い夜道で、何故か知らないが問題のビルから、谷川あさひが出てきたことを。
言え。さっさと言ってしまえ。
しかし、私は嘘を吐くことに、どこか安心感を覚えていた。