正しいアイコラの作り方(前)
スマホのアラームが鳴り出す前に目が覚めた。平日の午前9時55分、もう間もなくベルが鳴り出すだろう。その前に、私は操作してアラームセットを止め、寝床から這い上がった。
いつの間にか毛布を蹴飛ばしていたらしく、リビングに敷かれたグチャグチャの万年床の上にそれはない。欠伸を噛み殺しつつ辺りを探ると、乱雑にコンビニ弁当の空き箱が重なるテーブルの下に、それが転がっていた。
トンテンカンテン……と、五月蝿い音が頭に響いた。顔を洗うついでにリビングの窓を開け放つと、音はさらに大きくなって、谷川家の軒先で工事のおっさんたちが作業をしているのが見えた。どうやら、あれに起こされたらしい。
洗面所で顔を洗う。洗濯籠に突っ込んであったシャツを取り出し、クンクンと匂いをかいでみる。うむ、まだいける。暦の上では晩秋、もう間もなく冬である。上着を着替えると、適当に制汗スプレーを振って家を出た。
あれから3年近く経った。
私は大学生となり、つい先日、一学年目の後期日程が開始されたばかりである。
家にはもう父も母も住んでいない。
先日、ずっと静かだった隣家に工事車両が乗りつけ、私の家に工事計画書を持ってきた。谷川家は解体が進み、もう間もなく、あの思い出の詰まった大きな家も見納めとなるだろう。
……あの時も今と同じ季節だったろうか。リハビリの行き帰りに毎日見上げた窓は、すっかり取り壊され、今ではぽっかりと穴が空いている。かつて、あの窓にかかったカーテンが揺れて、私は谷川あさひの所在を確認した。
そういえば、あの殺人事件があった夜も、あのカーテンは揺れていた。その翌日に彼女は私の部屋へいきなりやってきて、そしてそのまた翌日には、携帯電話を着信拒否にして姿を消した。
思えば、あれは何だったのだろうか。
当時は殺人事件に関与した谷川あさひが、私に口止めをしに来たり、発覚を恐れて姿を眩ましたのかと思ったりもしたが、こうして事件が解決した今となってみれば、その行動は謎である。何しろ、彼女は事件と何も関係がなかったのだ。
なんどか憶測はしてみた。私の家に来たのは、単に私のことをからかいに来たのだろう。おそらく、飯豊刑事辺りに、私が彼女のことを気にしていたとでも聞いたのだ。しかし、それなら、音信途絶して姿を眩ませねばならない理由がない。逆にもし、元々なんらかの事情で私と決別するつもりで居たのなら、今度はその直前に訪問しにきた理由が分からないのだ。
まあ、昔からわけのわからない女だった。こうして、自宅を出てこの大きな家を見上げるたびに、思い出しては同じ結論に至る。だが、これからはそれすら思い出しもしなくなるだろう。
秋晴れの空は遠く海の上まで青く澄み渡り、雲ひとつかかっていない。連峰から吹き降ろす風はそろそろ冬の香りを漂わせ、私のコートの前を閉じさせた。金槌を叩く工事の音を背に、私は駅へ向かって坂を下りた。
見慣れた高速道路の渋滞の川を眺めると、その向こう側には、かつて谷川あさひの看板がかかっていた。それは今、剱鈴のものに取って代わった。
私はその看板を目にすると、途端にそれから目を逸らした。
もしもあれを見てしまったなら、今日一日が台無しになってしまうだろう……つらい気持ちをぐっと抑えて、私は俯きながら早足で坂を歩き始めた。
プップッと背後からクラクションが鳴らされた。
振り返ると見慣れた車の助手席から高尾が顔を覗かせた。
「よう、富岳!」
「駅前で待ち合わせじゃなかったか」
「迎えに来てやったんじゃん。つか、何おまえ暗い顔して歩いてるの?」
私は高速道路の向こうの看板を指差した。
「あれが?」
「あんな天使みたいに可愛い女の子を見てしまったら、きっと俺は歩けなくなる。一日中ここに立ち尽くして、彼女のことだけを考えて一日を過ごしてしまう」
「よし、轢き殺せ」
割と本気で追突された。
高校1年の冬、剱鈴と付き合いだした私は、当然のごとく彼女の事務所と揉めた。まだ売り始めたばかりの新人タレントが男と付き合いだすのも言語道断なら、せっかく売れてきたばかりなのに止めたいと言い出すのも持っての外だ。契約書類を盾に私たちに迫ってきた事務所であったが、なりふり構う気がない私は最初から飛ばしに飛ばした。
嫌がらせに来た強面の相手は飯豊刑事に相談して封殺し、未成年者契約の解除を清開弁護団に頭を下げてお願いし、大峰を頼って政治団体に圧力をかけてもらったところ……いくらなんでもやり過ぎだと、涙目になりながら、ある日相手が菓子折りを持ってやって来た。
しかし、先にちょっかいをかけてきたのは事務所の方だろう。子供相手に大人気ない。私はかつての春の日に、剱のマネージャーにやられたことを説明し、絶対に応じる気がない構えを見せた。
ところが、それに待ったをかけたのが、味方であるはずの剱だったのである。
「先輩、アタシの担当さんって女の人ですよ?」
そもそも、剱にマネージャーは居なかった。事務所に彼女の担当となる女性が居て、その彼女と基本的に電話でやり取りをして、現場に独りで直行直帰するのが普段のスタイルだったようなのだ。
それじゃ、あの男はいったい何なのか。取りあえず事務所のどいつか知らないが、連れてきて謝らせろと息巻いた私であったが、事務所にはそれらしい男は居なかった。マジであの男は何なの? ストーカーなの? と、私たちは肩を寄せ合いブルブル震える羽目になったが、そんな具合に行き違いを知って溜飲を下げた私は、しぶしぶ事務所と交渉することから始めた。
とにかく私としては交際を隠すつもりがない。それが嫌なら止めさせろの一点張りで、始めは相手も渋ったが、私達が全く譲歩するつもりがないことを知ると、諦めてそれで手を打った。タレントのモチベーションを下げるだけだし、条件的にもそれほど無茶なものではない。何より、今現在仕事が入っているのだから、絶対に止められては困るのだ。立場が弱すぎた。
尤も、付き合っている男が居ると知れたところで、関係なく剱は売れた。まだ売れる前から公言していたので、嫉妬深い異性のファンが付かず、逆に小学生からの五年越しの恋を実らせたと知って、比較的高齢の主婦などに受けた。それは、どうせ売れなくなって目論見通り……と考えていた私を戸惑わせたが、けれども結局は、自分の彼女が活躍して嫌な気分はしないものである。二人で居られる時間は減ってしまったが、液晶テレビの中で見かけては、歯がゆくも、ちょっと誇らしい気持ちで私はそれを見守っていた。
まあそれに、正直なところ、私達の敵は芸能事務所ではなく、学校だったのだが。
「君は、ほっとくと何をやらかすか分からないな」
校舎裏の告白のあと、私とまだ受験すらしていなかった剱は、生活指導室に叩き送られた。何の弁解の余地も無い私達はうな垂れながら、生徒手帳に書かれている校則、不純異性交遊の禁止の項を何度も読み返され、3時間に及ぶ大説教を食らった。
「剱さんはこの男がふらふらしないためにも、絶対に我が校に来なさい。二人とも、私達が男女交際のなんたるかを、きっちり叩き込んでやるから覚悟しなさい」
手足は伸びてもガキはガキというスタンスを崩さない生徒指導の先生方は、私達を危険分子として密着マークした。校内は針も通さないほどに目が光っており、いちゃついていようものなら放送で呼び出しを食らい、朝礼で怒られ、繁華街も見回られる始末で、私達は優等生もびっくりな、甘酸っぱくもガチガチの、プラトニックな恋愛を続けることを余儀なくされた。
そして二年間の二人の高校生活を終えたとき、卒業証書と一緒に青少年保護条例のパンフレットを手渡された私は、いろんな意味で号泣した。その涙は出席者の涙腺を刺激し、今でも語り草になっているとのことである。早く忘れて欲しい。
ともあれ、青少年保護条例に雁字搦めにされた私は、駅の向こうのソープランドですっきりしてきた友人らにDTDTと馬鹿にされ、殴り合いの喧嘩を展開していたが、やつらだって素人DTなのである。悔しかったら彼女の一人でも作ってみろ。
清開から続く友達三人とは今でも交流が続いている。
月山は東大に入り、現在は東京下北沢に住んでいる。学校まで徒歩で行ける距離なのだが、「あっち行ったら本当にそんな距離すら歩かない」と言っていた。夏休みに運転免許を取得し、今は父親のプリウスを乗り回しており、足腰の老化が著しい。
穂高は関関同立に受かり関西へ行った。バンドのやりすぎで成績を落とした格好だが、それでもそのレベルに合格するから大したものである。大学では軽音部に入ったそうだが、「やつら音楽のことしか考えてねえ」そのせいで音楽性があわないと、なんだか本末転倒なことを言っていた。まあ、わからないでもない。
高尾も似たようなもので、MARCHにどうにか引っかかり、月山と同じく東京三鷹で暮らしている。高校時代のバンドメンバーや伝を頼り、御茶ノ水のライブハウスをホームに活動してるらしい。月山とは比較的家が近いらしく、よく入り浸っては彼に嫌がられていた。
そして私は市内の無名な医大へ進学した。
ある日、進学希望者のガイダンスが行われ、バイトに行く気満々であったのに無理矢理出席させられた私は、進路希望調査の紙きれに、志望校はオマーンインターナショナルカレッジ、将来の夢は社内ニートと書いて指導室に呼び出された。ふざけんじゃねえと、かなりマジで殴られたのだが、こちらは結構本気だった。私としては進学はせずに、さっさと就職したいと思っていたのだ。
結局、私は高校三年間、全国模試で一桁の成績を取り続けた。生活指導のせいで真面目な優等生をやらされていたのも確かだが、それ以上に、剱が仕事を頑張っているのに、手を抜くなんてことは出来なかったからだ。
そのせいで私は、進学先は当然東大か京大か、はたまたオックスフォードかケンブリッジかと、学校からの期待を一心に背負わされていたらしい。勝手だなと思いつつ、自分としてはもう自立して稼ぎを得たいと言うと、大卒の方が有利だなんだと言われ、翻意するよう説得された。どうしても自立して、親に頼りたくないというなら、もう先生が援助するから行ってくれとさえ言われた。
流石にそこまで言われると考慮せざるを得ない。ドン引きしながら、ちょっと考えさせてと言って逃げ帰った私は、たまたま日本に帰国していた父親に相談した。
「いやあ、親が好き勝手やってるんだから、好き勝手やればいいだろう。金ならいくらでも出してやるぞ……まあ、あればだけどな」
と、全く当てにならない返事をし、
「けどまあ、行ける大学があるのなら、四の五の言わずに行っとけよ。損は絶対しないんだしよ。それから、もしも俺から金を貰いたくないってんなら、祖父さんを頼れよ。どうせ、おまえのことだから、使った分だけきっちり返すんだろ」
と言った。彼はその時、韓国企業を退職しており、
「しかし、おまえが養育費にまったく手をつけてないって、母さんから聞いたときは耳を疑ったよ。そう言うの嫌韓って言うんだってな。悪いことしたな」
いや、別にそんなつもりは無いのだが、
「だが、もう韓国はやめたから安心してくれよ。俺も、もうホントこりごりだわ、あの国は。今度の上海の企業は凄いぞ。おまえも良かったら上海こいよ。あっちにも良い大学あるから」
ああ、うん、本当に何の他意もないが遠慮する。
丁度、私が進路指導を受けているとき、両親は再婚した。お互いに別々の相手とではなく、私の父と、私の母とが再婚した。
離婚して働きに出た母は始めのうちは順風満帆な日々を過ごしていた。しかし順調に仕事を覚え、仕事を任されるうちに段々とその重みを実感してきた。かつて父に対して放った数々の暴言を恥じた彼女は、ある日父にそのことを詫びたらしい。根は素直なのである。
母から連絡を貰った父も、そのころには頭も冷えてちょっと大人げ無かったと反省した。それ以来、私のあずかり知らぬところで、彼らの交流は続き、そして父が韓国企業を退職して日本に一時帰国してきたことを契機に、彼らはまた再婚しようという流れになった。
しかし、私の頑なな行動は両親にプレッシャーを与えていたらしい。実際は、かつての幼馴染とのやりとりに己の無力さを痛感しての行動だったが、両親には別の意味で捉えられていたようだ。
ある日、銀座の高級レストランで両親に再婚の意思を告げられた私は、それは良かったと心から祝福したのだが、彼らにとって見れば腰が抜けるくらい意外な反応であったようだ。しかし、そんなこと言われても、元々家族だったものがバラバラでいるよりも、一緒に暮らしていた方が良いに決まっている。それに私にとってみれば、親がくっついていようが分かれていようが、もはや生活に何の影響もないのだ。
その事実は、私達に親の離婚が子供に与える影響と言うものを痛感させた。だが、巣立ちの時とは、案外こんなものなのだろう。
ともあれ、父との対話が切っ掛けではないが、取りあえず行ける大学があるなら行ってみるのも悪くないか……と思い始めた私は、進学先を考慮し始めた。しかし、中々それは見つからない。思えば、私には将来のビジョンが何も無い。とにかく何でもいいから稼げさえすれば、何をやっても構わないというスタンスなのだ。身近な、いい大人の例が高齢フリーターだからだろうか……困った私は先人の知恵を借りようかと、先に進学していた、赤石会長や大沢副会長の進学先を調べることにした。
副会長は意外にも市内の短大の家政科に進み、参考にはあまりならなかった。
そして会長は、家業が医者であるために、市内の三流医大へ進学していた。
受験の追い込みの時期には私も手伝いに狩り出され、付きっ切りで勉強を見ていたせいで、剱に嫉妬されたものである。その時も調べた懐かしい大学のホームページを眺めていると……私はある単語に興味を引かれ、会長に電話をかけた。
「もしもし? あんたから電話なんて、珍しいわね。何の用かしら」
「実は進路に悩んでまして……会長の学校も考慮に入れてるんですが、お話を聞きたくって電話しました。いま、お時間よろしいでしょうか」
「え!? そうなの? いいわよ、なんでも聞きなさい」
「この、スカラシップ受験ってのすると、タダで医者になれるってマジですか? タダでなれるなら、たとえ三流私大であっても行ってやらなくもないんですが」
「ばかっ! 死んじゃえっ!!」
割とマジで車にぶっ飛ばされた私は、坂道ででんぐり返った。こんな動きは小学校以来ではなかろうか、ろくに受身も取れずに手のひらから血がにじんだ。
「てめえ! 洒落になんねえだろうが」
「いいからさっさと乗れよ」
ビービービー!!! と返事代わりにクラクションが鳴らされ、プリウスの後部座席が開けられた。ヤクザも真っ青な対応である。私はぶつぶつ抗議しながら乗り込んだ。すると、後部座席に赤石会長が座っている。
「あっ、会長いたんですか!? (小さすぎて居るのに)気づかなかった。おはようございます!」
「……ねえ、あんた今不穏なこと考えてなかった?」
「何も考えてませんぜ」
会長の隣にしれっと座ると、車が発進した。月山の父親の車で、今は息子が我が物顔で乗り回しているプリウスである。バックミラーの目が私を捉える。
「先方と連絡はちゃんとついてるか? 必要なら回り道して拾ってってやるが」
「大丈夫、現地に直行するって」
「わかった……それにしても、渋滞多くなったな」
坂道を下り、県道3号線に到達すると、渋滞につかまった。
かつては昼間であっても交通量がほぼ0で、歩行者天国のようだった道路は、JR線の延伸の関係で、上ヶ原が再開発地区となった今は、渋滞のメッカと化していた。いい加減なLED街灯は取り替えられ、街路樹は形が整えられている。
隣に座った会長がなにやら書類を渡してきた。学園祭の進行表である。赤線を引かれまくって真っ赤になったそれを流し読みしつつ、
「高尾の方はどうなの?」
「おう、全然余裕だって。でもなんか、ハマってるオンラインゲーのクラン戦があるから、なんでもいいから早く帰してって言ってた」
「……それは、本当に大丈夫なのか?」
私達は現在、私の通う医大の学園祭のイベント進行の打ち合わせで、かつてのクリスマス会のときに行ったライブハウスへ向かっていた。私達の大学とは何の関係もない月山と高尾がここにいるのは何故か、説明をすると大分長く、ややこしいことになる。
大学に進学した私は、数年ぶりに入学したスカラシップ生と言うことでいきなり表彰され、本人の意思に関係なく、新入生だと言うのに校内ですでに有名になってしまっていた。
入学式を終えるとその無駄な知名度から、サークル勧誘の人ごみに揉まれに揉まれ、私はほとんど断ることも出来ずに、様々なサークルの新歓コンパに顔を出す羽目になった。
作法も何もわからないまま、宴会芸マーライオンのモノマネをひっさげて、数々のコンパを渡り歩いた私は伝説となり、そのせいで校内のあらゆるサークルから危険人物と認識され、市内の飲み屋から悉く出入り禁止を食らった。
そんなこんなで結局、どこのサークルにも所属しなかった私は、ぽやぽやとした大学生活を送っていたが、そんな暇人を会長が見逃すわけがなかった。
赤石会長は大学に推薦入学したあと、かつての生徒会活動を生かして、学生自治会に所属し、現在は文化祭実行委員長として活動していた。自治会は様々な派閥が入り乱れる伏魔殿と化していたが、大沢さんの居ない会長などただのポンコツなので、誰からも敵視されずにマスコット扱いされていたらしい。何しろ、白衣を着てても給食当番のようにしか見えないし、診察をすればお医者さんごっこをしてるみたいで、いけない気持ちになってしまうような人である。
きー! くやしー! と、まるで親の敵でも見るかのようにして地団駄を踏んだ彼女であったが、私が入学するやこれ幸いと私をその伏魔殿に引き込み、後輩の力を全力で使って状況打開を始めた。モンバーバラの姉妹のような人である。
自治会で何かイベントごとやトラブルがあるたびに、私は会長に呼び出されてこき使われた。何しろ私は彼女に頭が上がらない。そうこうしている内に、否が応でも自治会内で知名度が上がり、私は都合の良い男として認識された。そして夏休みが過ぎて後期日程が始まると、文化祭実行委員長として会長が抜擢され、私も無理矢理巻き込まれることとなった。私は自治会員ではないのであるが……
ともあれ、文化祭は学校でも最大のイベントごとではあるが、そうであるが故に過去に何度もやってマニュアル化されており、ルーチンワークをこなすくらいで、そうそう失敗するものでもなかった。
提出される出店計画書に目を通し、保健所への出店申請、消防署への通達、テントやガスコンロなどのレンタル先も、すでに決まっており、書類に判子を押したり電話をかけたりするのが主な仕事であった。
自治会としてのイベント運営は、当日の警備や、夜の見回り、野外ステージの進行に重きが置かれていたが、夜間や力仕事が主であるために、これは男子生徒が中心となって別口で動いていた。つまり、ぶっちゃけ委員長などお飾りで居てくれればいいもので、会長はまさに適任であったのである。そうと知らずに喜ぶ彼女を尻目に、私達は優しい気持ちのまま、のんびりとした時間を過ごしていた。
しかしそんな時に事件は起きた。
ある日、書類仕事を片付けようと学生会館へとやってきた私は、自治会の人間が勢ぞろいしてなにやら揉めている場面に遭遇した。腕組みをして難しい顔をしている会長が、私を見つけると手招きした。何事かと問えば、これまた厄介なほど高額な金銭トラブルが発生したようだった。
文化祭では学生の野外ステージのほかに、客寄せの芸能人を呼んで内外にアピールする屋内ステージがあった。この屋内ステージの進行責任に関しては、便宜上文化祭実行委員会にあったが、実際には自治会OBに権限があり、彼らがお目当ての芸能事務所やエージェントとの折衝に当たるのがこれまでの慣例だったそうだ。
何故なら、儲かるからだ。
学校から委任される予算は300万円。それを使って、芸能人を複数呼び、三日間開催される文化祭を要所要所で盛り上げるイベントを打つ。予算が余ればちょろまかせるし、何よりもイベント責任者としてチケットを配る側なのだから、知名度の高い客寄せパンダを用意して上手く立ち回れば、濡れ手に泡といった寸法である。
この折衝役がトラブルを起こした。芸能人を手配するという、倒産寸前のエージェント会社に騙されたらしい。300万円という金を、ほぼ持ち逃げされた格好のOBは、その責任の重さに逃げ出し、姿をくらました。もう文化祭も近いのに、彼から連絡がないので友達が探しに行って、ようやく今回のトラブルが発覚したそうだ。
学校に相談をしたが、事務局はなんとしても金を取り返せというだけで助けてはくれない。寧ろ、委託した300万円の賠償責任が学生側にあると主張した。おっしゃるとおりだが、流石に医者のボンボンだらけの学生たちでも額が額だけに騒然となった。自治会員全員でカンパすれば何とかなるが、なんで自分達がそんな目に遭わなければならない。逃げたOBを探せ。俺はこの件から手を引く……と、揉めに揉めた学生会館の片隅で、私は会長に、
「なんとかしてよ」
と頼まれ、
「なんとかしろと言われましてもねえ……」
と答えつつ、各方面に連絡を入れた。
何はともあれ、まずは被害届を提出するところから始めねばなるまい。飯豊刑事に電話して指示を仰ぐと、署の人間を寄越すから待ってろと彼は言った。それから、金を取り返すのは民事になるから、弁護士に連絡しておけと言われ、かつてお世話になった弁護士に電話した。続いて、大峰に電話し、確か彼の父親であるところの市長が、私の学校の入学式でスピーチしていたので、何とか事務局にかけあってくれない? とお願いした。
市長は学生に責任を押し付けた学校に対し、大変ご立腹だったそうで、警察官と弁護士と事務局員が血相を変えて、出前のかち合いのごとく学生会館へとやってきた時には、自治会員は全員沈黙していた。
「あんた、性質悪くなったわね……」
と呆れる会長の言葉を聞き流しつつ、各種折衝を終えて、
「それじゃ、自分はこれで」
あとはお任せしますから、と席を立とうとしたら引き止められた。ですよね……
そんなこんなで文化祭実行委員になってしまった私は、馬鹿みたいにこき使われた。事件担当の窓口が私なので、学校からも頼られ、文化祭が近づくにつれて細かいトラブルの報告なども、会長を飛び越えてやってくるので、寝る暇も無いくらいに忙しい。
警察と弁護士が出て行ったお陰で、詐欺まがいのトラブルは思ったよりも早くかたが付きそうだったが、しかし相手も火の車であるわけだから、そこから回収するのは時間もかかり、なおかついくら戻ってくるかもわからなかった。残念ながらお金は本番までに戻ってきそうもなかったので、今年は芸能人を呼ぶことはほぼ諦めねばならないようだった。
しかし、3日間確保されてる屋内ステージを、やらないわけにもいかない。例年のことなのだし、パンフレットの都合もある。チケット収入を当て込んだ諸々の事情もあった。
「なんとかしてよ」
「スーパーマンじゃあるまいし、そう何度も当てにしないでください」
「あんたの可愛い彼女は呼べないの」
「それは俺の方が、ノーギャラでふざけんなって感じですよ。それにあいつ持ち歌の一つもないんですよ? ステージ向きじゃないですって」
とは言ったものの、使えるものは親でも使えが最近の私のモットーだった。駄目もとで剱の事務所に確認を取ってみたところ、新人の売り出し中のグループが居るから、その子たちを是非使ってと逆に押し込まれた。言ってみるものである。
気を良くした私は、他に誰か伝が居ないかと考えて高尾を思い出し、
「おおー、すっげー知り合い居るよ。こないだライブの打ち上げで知り合ってよ。タダってわけにはいかないだろうけど。10万くらい出せば喜んでくれるんじゃね?」
高いのか安いのか良く分からない額を提示され、聞いたこともないインディーズのバンドを紹介された。物は試しとどんな曲をやるのか聞いてみたら、youtubeのURLを教えられた。かなり格好いい楽曲が流れ、ページビューを見ると100万を超えている。これなら文句ないんじゃないか? 自治会に許可を貰おうと名前を出したところ、なにやら熱狂的なファンが居たらしく、失神しそうな勢いで喜ばれた。そして興奮冷めやらぬまま、彼の凄さを熱心に布教されて、ほうほうの体になりながら、私はその人の出演交渉を高尾に依頼した。
そうして依頼をした出演者たちとの、初めての会合が今日だった。私は朝から隣家の工事の音に起こされ、プリウスに轢かれ、現在は県道3号線の渋滞につかまっている最中である。
月山の家は実はかなりの資産家で、市内にいくつもビルを持っていた。かつてクリスマス会の打ち上げをやったライブハウスは、彼の家が所有しているものである。音楽関係者の会合に使うんで、ちょっと貸して? と言ったら、面白そうだからと高尾を連れてやってきた。
「文化祭は来週だっけ?」
「あと10日といったところだな。遊びにくんだろ?」
「おう、暇だしこいつの足代わりになあ」
と言って、月山は高尾を叩いた。
「その時は案内してくれよ」
「いや、どうかなあ……なんやかや、屋内ステージの責任者にされちゃったし、本部から動けるかどうかわからねえ」
「でもステージ2日しかやらないんだろ? 文化祭3日あるんなら、1日くらい暇作れよ」
「そうしたいけど……会長、構いませんかね?」
「いいわよ別に」
渋滞の列が大分密になってきた。もしかしたら事故渋滞なんじゃないか? 動かなすぎるし……と、イライラしながら迂回路を探して、月山と高尾があれこれ話し合っている。会長は大あくびをしながら、カバンからパンフレットの草稿を取り出した。屋内ステージが一つ潰れた分だけ、やはり空白が目立つ部分がある。
「もう一組くらい、なんとかならないかしら……出来れば大物で」
「無茶言いますね」
「ここまで来たら欲も出るわよ。誰か釣り上げてくれないかしら」
「自分でなんとかしようという発想は無いんですか」
そんな具合に呆れていると……
「あああ! 駄目だこりゃ。動きゃしねえよ。富岳、最悪おまえ一人でも降りて先に行ってくれるか?」
「構わないけどよ」
埒が明かないといった具合に月山が頭を掻き毟った。
「この道ってこんなに混んでたっけ? オモーロビデオがある通りだよな?」
「ああ、再開発とやらで去年あたりから急にトラックが増えてな。そうそう、オモーロビデオだけど、あの本屋いま休業中でさ、建て替えるみたいなんだけど」
「え!? マジで? じゃあ帰りにでも見納めに行きますかね」
「懐かしいな」
「オモーロビデオ? 何の話かしら?」
会長が首を捻っている。説明するのは少々都合が悪い、黙ってやり過ごそうと窓の外に目を向けたときだった。
「……おっぱい……おっぱい」
視界の片隅に、かつて良く見た懐かしい数字を想起させる文字列が飛び込んできた。
それを見て、思わず私が呟くと、月山たちが吹き出して、会長が距離を取り始めた。
「おい、富岳。露骨すぎやしないか」
「いやいや、そうじゃなくってよ」
ブルブルと頭を振るいながら私は弁明した。
「……ほら、あそこに『県道3号線・ROUTE3』って看板あるだろ?」
「それが?」
「平方根を語呂合わせて覚えなかったか? ひとよひとよにひとみごろ」
「ああ、ふじさんろくおうむなく、とかか」
「そうそう、んで√3が、ひとなみにしこれや……って」
「ぶっ! ……ひとなみにおごれやおなご……だろう?」
「そうとも言う」
「そうとしか言わんがな」
「いいんだよ……」
私はスマホを取り出すと、
「……ひ・と・な・み・に……しこれや」
「さっきから、あんた何言ってるの? おかしくなっちゃったわけ?」
「なにって……魔法の呪文ですかね?」
顔を顰めながら、通話ボタンに指を触れた。
トゥルルルルっと呼び出し音が、1回2回とコールされ……そして聞きなれない着信拒否のガイダンスに繋がるはずだった……
しかし、
トゥルルルル…… トゥルルルル……
3回4回とコールされても、それはどこにも繋がらない……
トゥルルルル…… トゥルルルル……
5回6回とコール音が耳に響くと、私は腕が震えてきた。何か頭の中で電気でも走ったかのように、痺れて上手く物事を考えられない。
トゥルルルル…… トゥルルルル……
そして、7回8回とコールする機械的な音が流れてから、唐突に、カチッとそれが止まった。
『お久しぶり』
受話器の向こうから、凛とした懐かしい声が……いや、毎日のようにテレビから聞こえてくる、ありきたりで、でもやっぱり懐かしい声が聞こえる。
「お……久しぶ……り」
私はその言葉を搾り出すのがやっとだ。
能面のように表情を無くした、私の顔を見て不安に思ったのか、会長が言う。
「ねえ、さっきからあんた、何やってんの? 働かせ過ぎたかしら……こういうのも医者の不養生って言うのかしらね」
うるさいな、少し黙りなさいよ、
『あら、変ね。この番号って三郎君じゃなかったかしら』
いま、大物を釣り上げているところだ。




