だって先輩、頑張ってたじゃないですか(後)
谷川あさひのストーカーっぷりは目に余った。
学校の登下校はもちろんのこと、朝昼晩もお構いなしに付きまとい、学校のトイレにまで着いてくる始末で、私の日常とは、彼女から逃げることとほぼ同義であるくらいに悲惨で救いようのないものだった。
考えても見て欲しい。そんな男に友達が出来るであろうか。
昼休みに男子連中が遊んでて、私も混ぜてと言ったところで、別にいいけど女は駄目だぜと言われるのが落ちだった。
それで谷川が遠慮してくれるなら、まだ話は簡単だったが、あの女が自重などするわけもなく、
「やだやだ! 私も三郎君と一緒がいい!」
「ええいっ! 離せ離せ、このすっとこどっこい!」
と貫一お宮の寸劇を毎回繰り返すものだから、当然のように男子に敬遠されていた。
私は普通の小学生をエンジョイするために、毎日谷川から逃げることから始めなければならなかったのだ。
それは夏休みであっても同じであり、私は毎朝私を起こしに来る谷川を回避するために、ラジオ体操が始まる前から目を覚まし、自転車に乗って町内を逃げ回った。
しかし、谷川は私を発見するセンサーでも持っているのか、どこへ逃げても発見されるのだ。一体どういう仕組みなのだろうか、困り果てた私はヤフー知恵袋で妬まれ、発言小町で罵倒されながら、なにかアイディアがないかと幅広く募り、そして、
「発車寸前の電車に飛び乗ったら巻けるんじゃね?」
という意見を採用し、ある日、それを実行に移した。
元々、どんくさい谷川であるから、実に綺麗に作戦は成功した。発車間際の電車に駆け込んだ私を涙目で見送った彼女の顔は痛快であったが、しかし私が電車を降りると、快速電車で先回りしていた谷川が居たことには愕然とさせられた。一体どうやったのか尋ねてもにやにやするだけで答えようとしない。本気で、付きまとい被害で警察に相談しようかと、真剣に悩んだものである。まあ、私の買った切符と、財布の中身を知ってて見当をつけたらしいが。
言い知れぬ敗北感で打ちのめされながら見知らぬ町を歩いていたら、そこそこ広い公園へとたどり着いた。他校の小学生たちが球蹴りなどをして、実に楽しそうである。
そんなときだった。
こいつさえ居なければ……とイライラしながら、いつもの調子で貫一お宮ごっこをやっていると、唐突に私は頭を強かに叩かれたのだった。
「女の子に手を上げるなんて、なんて悪い奴なんだ!」
振り返ると、私よりもずっと体の大きな百貫デブが仁王立ちしている。
そうか、知らない人間からすると、そんな風に見えるのか。
サメザメと泣き出す私に彼はガチで動揺し、
「え!? うそだろ、ボクはそんなに強く殴ってないぞ」
と言いながら右往左往するのだった。
デブの名前はドルジと言った。いや、もちろんあだ名であるが。ドルジは公園の主のような奴であり、そこで遊んでる小学生たちのガキ大将だった。自分のあだ名が嫌いみたいで、私の周りでおろおろしていたところ、仲間内からそう呼ばれ、「ボクのことをドルジと言うな!」と飛んでいって相手をボコボコにしていた。
「ドルジは動けるデブだなあ」
「……キミはこれを見て、まだその名を呼び続けるのか」
「さいてょを応援するマー君みたいな髪型でスゴまれても怖くないし」
それに、谷川にしっかりと抱きつかれていたので、手も出せないだろう。ドルジはふんっと鼻息を荒げると、
「それじゃキミは捕獲された宇宙人のようにチビでヒョロいだから、グレイだな」
「お、おう。何とでも呼んでくれ」
「……拘らない奴なんだな」
「ラルクって言わないだけ、おまえの優しさを感じるが」
ドルジは上着は汗でビチョビチョだったが、性格はサバサバした奴だった。私たちがここへ辿り着いた理由を知ると、
「それじゃここで遊べば良い。女がいるからってケツの穴の小さい奴らだ」
と言った。それから毎日、私たちは電車に乗ってこの公園に遊びに来るようになった。
ドルジは谷川のことが大のお気に入りで、「あさひたんあさひたん、ハァハァ」とねちっこい情念を隠そうとせず、彼女をどぎまぎさせた。理由は可愛い女の子とか好きだからという力強いものが帰ってきた。しかし慣れてくるとそれほど気にならないらしく、彼女にしては珍しく気の置けない友達となったようだった。何しろドルジは谷川の言いなりである。
私たちは毎日のように何かの対決をして遊んだ。大概、公園へ行くと私が谷川をどつき、ドルジがハァハァ言い出して、それじゃ谷川をかけて勝負だという流れになり、何で勝負しようかと言う話になった。
谷川は自分が景品として扱われるのは、お姫様扱いされてるようで気分が良いらしく、それで満足したようだった。私が彼女を賭けて男たちと戦うのが嬉しいらしい。こんな簡単なことで済んだのか、今度学校でも試してみよう……と思ったが、やめておく。谷川をお姫様扱いしてくださいって頼むのか。それは無理だ。
そんなこんなで、私にしては珍しく充実した毎日を過ごしていたある日のこと。
「それにしても毎日暑いな、明日はプールで勝負しね」
「え!? プールはちょっと……」
「なんだよドルジ、泳げねえのか」
「馬鹿言うな。第三小のトビウオとはボクのことだぞ」
「じゃあなんで嫌がるんだ」
「……絶対に笑わないならいいけど」
「(きっと色々なところがはみ出してるんだろうな)大丈夫、笑わないよ」
などと、私たちがそんな会話をしながら歩いていたところだった。にーにーと、寂しげな声が響いた。見ると木の上で子猫が鳴いている。子猫は生まれて半年くらいの猫で、木に登ったは良いものの、そのまま降りられなくなったといった感じであった。
「可哀想……助けてあげて、三郎君」
谷川が言うが、多分落ちても猫なら平気だろう。それに猫が居る場所が悪い。細い枝の先っちょで、木に登ったところで、手を伸ばしても届くかどうかギリギリの線だ。
「あれは駄目だな。落として下でキャッチした方が良い」
「……ドルジ君、お願い」
「へい、よろこんで」
私の意見など聞きもせず、ドルジが二つ返事でオーケーする。出っ張った腹を物ともせず、するすると木に登るドルジを見ながら、やれやれと思いながら猫の居る枝の下へと行く。多分、彼が枝に手をかけたら、落ちるか飛び降りるかするだろう。それをキャッチすればいい。
ドルジは猫の居る枝に到達した。案の定、猫が警戒して鳴き声を上げた。彼は身を乗り出すように手を突き出し、それに驚いた猫が枝から飛び降りようとして……さらに身を乗り出したドルジの乗った枝がバキッと音を立てて折れた。
言わんこっちゃない。
私は視界の片隅で、猫がヒラリと地面に着地したのを見届けると、頭上から落っこちてくるドルジを受け止めようと駆け寄った。真っ逆さまに落ちてくるドルジは、私が受け止めなければ、おそらく酷い怪我を負ったろう。
しかし私も判断が甘かった。人ひとり、それもドルジのような巨漢を受け止めるには、私は体力が無さすぎた。私はドルジの下敷きとなり……運の悪いことに地面に突き出していた木の根っこに首を挟まれ、ゴツン! と言う聞いたことも無いような大きな音が、頭の中だけで響き、物凄い衝撃と、喉の奥のどこかが持ってかれるような感触があって……そして意識を失った。
目が覚めたら、まるで水の中に居るようなぼやけた視界と、ふわふわとした感覚に包まれていた。体は金縛りにあったかのように動かない。ふわふわしてるのは何も体だけじゃなく、頭の中身もなんだかふわふわしていて、考えがまったくまとまらない。自分はどうしちゃったのかなあ……と辺りの様子を窺うと、声が聞こえる。
「大変申し訳ありませんでした。今回のことは私どもが一生をかけてでも償います」「そんな言葉いらないわよっ! 返してよっ! 私の子を返して」「本当に申し訳ありません」「入院費用や今後のことはお願いするしかありませんが」「どうして私の子がこんな目に逢わなきゃならないのよっ!」「はい、いくらでもお支払いします」「いや、いくらも欲しいってわけじゃないんです。事故ですし。とりあえず第三者を立てて」「可哀想、可哀想よ、あんたがこうなれば良かったのよ」「そちらに弁護士さんがいらっしゃるならお任せしますが」「やはりこういうのは調停とか立てた方が良いんですかね」「なんであんたはそんなのに相手してるのよ! 私の話も聞いてよ」「その点もお任せします。全てそちらの良いように」「聞きなさい! 聞けっ!」「妻も取乱してますが……」「はい、お気持ちお察しします。まことに申し訳ありませんでした」「あんたに分かるわけないでしょ! あんたの子供はそこでピンピンしてるじゃないの!」「申し訳ありません」「あんたが死ねばよかったのよ! あんたがっ!」
うるっさいなあ……
私はまだ死んでいない。体が動かないので目線だけで辺りを見ると、白い部屋の隅っこの方で、百貫デブが声を上げて泣いていた。それは見事な男泣きで、大粒の涙がボロボロと流れて、実に醜かった。
「ごぉ゛めんな゛ざいっ! ぐぉお゛べんだざいっ!」
デブの涙がポロポロ流れる。
それにしても、本当にうるさい。
私はとにかく眠たかった。頭の中は相変わらずふわふわしていた。自分の状況がよくわかっていなかったが、その時の私は麻酔がかけられ、管を肺に突っ込まれていたらしい。だから上手く喋れたとは思えない。
しかしとにかく眠い私は、うるさい奴らを黙らせようと叫んだことを覚えている。
「うっせえ、デブ! 泣くんじゃねえっ!」
と……そしてその後思いつくままベラベラ喋って、気が済んだら眠りに落ちて……次に目が覚めたら誰も居なかった。
校舎裏で突然叫び声を上げた剱鈴は、あの時のことをフラッシュバックさせていたようだ。ふるふる震える肩で息をしながら、赤い目で私を見上げていた。私はただただ唖然とするばかりである。そりゃそうだ。彼女の話を総合すると、
「おまえ……ドルジなの?」
こくりと頷く彼女を見て、私は眩暈がするくらい動揺した。何しろ、そう告白されても、目の前の彼女とドルジは一致しない。しかし、よくよく考えても見ると、彼女の髪型とドルジのそれは似ていたし、身長だって当時は小学生だったから大きく思えたが、せいぜい女子の平均身長くらいのものであった。そして良く見れば意外と愛嬌のあったドルジの目は、目の前の大きな瞳とそっくりである。
「アタシは先輩に救われました。あなたが居なければ、もうこの世に居なかったかも知れません」
その可能性はあるが、何もそれを背負うかにして生きなくてもいいだろう。
「アタシの代わりに大怪我をしたという先輩が、意識を取り戻したって聞いたときは涙が出るほど嬉しかった。でも、病院に着いたら、今度は一生寝たきりかも知れないって知って、どうしようもなく悲しくなりました」
結果的に私は助かった。だからそんなことで人を好きになったりしなくてもいい。
「お母様が凄く怒ってて、でもアタシは何も出来ないから、ただ泣いてることしか出来なくて。歯がゆくて歯がゆくて、逃げ出してしまいたくて……でも、そんなときに、話すことも未だ出来ないって言われてた先輩が、突然声を張り上げたんです。うるさい、泣くなって」
確かに何か言ったと思う。しかし私は記憶が無い。なにしろ死にそうだったんだから、何か酷いことを言ってても、大目に見てやって欲しいのだが……
「うるさい、泣くな。キミは何も悪いことをしてないのに、どうしてキミが謝らなければならない。キミは正しいことをしたんだから、もっと誇っていいはずだ。だから笑えよ。それともボクは誰も助けられなかったというのか。こんな怪我をしてまで」
私の襟を掴んだ剱の瞳から、ポロポロ涙が零れ落ちた。
「泣かないで居られるわけが、ないじゃないですか」
そう言った剱の顔は笑っていた。それは凄く綺麗な泣き笑いで、私は見つめる瞳を逸らすことが出来ない。そんなこと言われても、私は実感がない。何しろ覚えていないのだから。
「そりゃ惚れるわね」
私と剱の横に取り残された会長が、猫をかいぐりながらぼやいた。黒子のように副会長が現れて、彼女の首根っこを掴んでどこかへ消えた。
「なんで言わなかったんだ」
「だってアタシはデブでしたし」
その出来事以来、私のことを意識したらしい剱は、しかし自分の醜い体型と、谷川あさひと言う存在もあって、想いをどうこうしようとは思わなかったらしい。特に谷川はテレビを点ければ、毎日のように現れるほどの売れっ子になっていた。とても敵わないと思った。
しかしその一年後、恋を患わせてみるみる痩せた剱は、
「ある日、ブティックを経営してる友達の家で、大きな姿見を見て、あれ? アタシでも頑張れば、結構いけるんじゃないかなって思いまして……色々な服を試着させてもらって、友達にも可愛いって言ってもらえて、結構自信もついてきて……それで思い切って、先輩たちの通ってるはずの中学校の周りをうろうろしてみたんです。もしかしたら先輩に逢えるかも知れないって思って」
その時から行動力のある剱であったが、しかし私はその中学に通っては居ない。谷川も滅多にやってこないから、それは無駄な行為だった。ところが、
「中学校の周りをうろついてたら、何だか先輩の悪口が聞こえて来ました。大概、谷川さんの話とセットで。何でも、先輩のせいで、無実の三年生が鑑別所に送られたって」
……はい、叩き送りました。
何しろ、清開高校は旧帝大への進学率30%、一流私大への進学率50%。その卒業生には政財界の大物がずらりと並び、法曹界に従事している者もごまんといるのだ。
舐めてもらっては困る。
私の遭った理不尽な襲撃に激怒した学校は、全力で相手を潰しにかかった。泣きながら示談を申し込んできた奴らを、「学校が勝手にやってることですから」と突っぱねて、私は相手を鑑別所送りにした。
「先輩がそんなことするわけないじゃないですか。絶対相手が悪いんだって思ったアタシは、家庭裁判所に調停の記録をみせて貰いに行ったんです」
「えっ、おまえ、そんなことしたの!?」
「当たり前じゃないですか。家裁で事情を話したら、職員のかたが親身になってくれて、事件の記録を見つけたアタシはそれを写して、中学のやつらに見せに行ったんです。でもどこの誰とも分からない小学生がそんなことやっても、誰からも相手にされなくて……だから、翌年知り合いの家に住民票を移して、今の学校に入学したんです」
「お、おまえ……馬鹿じゃないの!?」
「馬鹿で結構です! だって悔しいじゃないですか! それで入学したアタシは谷川さんに絡めて未だに先輩の悪口を言ってる人が居たら、行って事件の記録を見せてやって、間違っていることを教えてやりました」
開いた口が塞がらない。
「でも鑑別所に送られた人たちって、学校の中心人物だったらしくて、卒業しても結構影響力があったんです。特に兄弟がうるさくて……やっぱり兄弟なんですよね。ある日、シーズン前のプールに連れ込まれまして」
「おいおい」
「平気です。そんな時、偶然学校に来ていた谷川さんが助けてくれたんです。あの人は、アタシのことを覚えててくれて、そしてアタシがしてることにも共感してくれました。でも、アタシは怒ったんです。だって、本当なら、谷川さんがやらなきゃいけないことじゃないですか」
……いや、どっちもやんなくていいよ。
「言われっぱなしで何も答えない谷川さんに、アタシは言いました。あなたがやらないなら、アタシがやる。アタシが先輩のことを奪ってもいいのかって。あの人、どうぞご自由にって言うから、本当に頭にきまして、それで暮れに先輩をナンパしに……」
あれはナンパだったのか。いや、確かにナンパだ。何しろ当時の剱は360度どこから見ても、どこに出しても恥ずかしくないギャルだった。
「でも、そんなの先輩に迷惑かけるだけでした。だから、もう止めにします……だけど、どうかお願いします。アタシのことを嫌いでも、どうか避けないでください。そして、どうか一緒に居させてください」
それは多分、こっちの台詞だと思うのだが。
「おまえね、俺なんかにそんな必死にならんでも」
「なんかじゃありません!」
ああ、このやりとりは前にもあった……
「先輩は、なんかなんかじゃありません! 先輩は、かっこ好くて、頭が良くて、背が高くて、イケメンで、優しくって、ちょっと意地悪で、強くって、強がりで、頼りがいがあって、恥ずかしがり屋で、素直じゃなくて、でも気配りで、誠実で、いつもみんなのことを見守ってくれてて、どんなに自分が辛くても、決して周りのせいにはしない、アタシが好きになった人は、そんな凄い人なんです。なんかなんかじゃありません」
私の襟を掴む手が、ぎゅっと強くなった。私は彼女の瞳をもう見ることが出来ない。さっきからやたら暑いのは、多分彼女の瞳に映る私の顔が赤いからだろう。それを確かめるのが怖くって、もう声の出し方すら分からない。
「あれは惚れるわよ」
意外と近くの茂みに隠れていた会長の声が聞こえた。副会長がその頭をぐいぐい押し込んだ。
「一つ聞きたい」
どうにかこうにか搾り出すようにしてだした声は震えていた。
「おまえ、どうして芸能人になろうと思ったの? こんなことしたら、まずいだろ」
「だって先輩、頑張ってたじゃないですか」
その答えが意外すぎて、私は彼女の瞳に捕まった。
「勉強頑張ってたじゃないですか。自分が辛くて挫けちゃいそうなのに、勉強頑張ってたじゃないですか。全国一位になるくらいに」
ああ、私はなんて馬鹿なのだろう。
「だからアタシも頑張んなきゃって、そう思うじゃないですか」
こんなにも、私のことを見ていてくれる女の子が居たと言うのに、私は彼女のことをこれっぽっちも見てやらなかった。ずっと二人で居るつもりで、私の心はいつも一人だった。それは彼女を一人にすることと同義だ。いつかどこかで、谷川あさひと辿ったのと同じ構図だ。
確かめれば良かったのだ。全部一人で抱え込まずに彼女に愚痴れば良かったのだ。彼女をこうだと決め付けて、当てが外れて勝手に傷ついて……
もう、いいんじゃないか。同じことを繰り返すのは止めにしよう。
谷川あさひを言い訳にして、自分の殻に閉じこもるのは止めにしよう。
「剱」
「はい」
「お願いがあるから聞いて欲しい」
「なんですか?」
「芸能活動は、もう止めてくれ」
「はい……え? もしかして嫌だったんですか?」
「おまえはセンスが壊滅的だから、これから服は全部俺が選ぶ」
「う……はい」
「だけど、あとのことは全部おまえがやれよ」
「はあ」
「高校に入ったら、弁当はお前が作って来い。メシは上手く作れよ」
「え、あ、はい!」
「俺より先に寝るな、俺より後にも起きるなよ」
「あの……どうしたんですか? 唐突にJASRACに喧嘩売り始めて」
「いいから、黙って俺の物になれ」
「ん? ……え? あれ?」
「絶対、幸せにするから」
ぱっと花を咲かせるように、彼女の顔が綻んだ。それは真っ赤な色に恥ずかしいくらい染まっている。だけど多分、私は人のことを笑えない。おそらく私の顔だって、彼女に匹敵するくらい、真っ赤っかなのだろうから。
剱は私の関白宣言に戸惑って、急に科を作ってもじもじやりだした。「どうしよっかな~」などと、いっちょ前に乙女チックを炸裂しているが……
舐めてもらっては困る。
こちとら、恥かき人生では文豪を凌駕する。ここで剱に振られるようなことがあっては、6回自殺しても死に切れまい。
イケイケになった私は彼女に詰め寄って、上気したその大きな瞳をじっと見つめた。
彼女の真っ赤な唇は、それはどうしようもなく愛おしくて、どうしようもなく奪いたくなる、禁断の果実のようだった。
私は彼女の肩を少々強引に引き寄せて、そしてゆっくりと顔を近づけて、そっと彼女に口づけた。
わっと歓声が上がった。
あっちこっちでカシャカシャと、写メを撮る音が響いた。
驚いて体を離しそうになる。するとガシッと肩を抱きしめられて、カチンと歯と歯がぶつかった。
ちらりと横目で辺りを見回すと、すぐ傍の茂みで会長がにやにやと笑い、その隣では副会長が真っ赤な顔を扇いでいた。
実習棟の窓にはいつの間にか物凄い数の学生たちが並び、私たちを見下ろしていた。思い思いに歓声を上げたり、ブーイングしたり、写メを撮っている者もちらほら居る。
これはもう、今すぐにも世間に知られてしまうだろう……
家に帰るまでに襲撃されやしないかと心配になるが……けれど、もう構わないだろう。望むところである。
私には、剱鈴を愛する覚悟がある。この身を一生捧げても、彼女を幸せにする意思がある。彼女から与えられるものならば、それが何であっても私の喜びだ。
なにしろ、私はこのどうしようもなく可愛くて、どうしようもなく心の美しい子を、神様から奪ってしまった罪人なのだ。




