だって先輩、頑張ってたじゃないですか(中)
冬休みに私が発見した事実は警察に新たな見解をもたらした。鑑識が入り現場検証も行われたが、そもそも例の事件は始めから殺人とは見做されておらず、検証が一段落した時点でさっさと事故死として扱われ、それを誰もおかしいとは思わなかったのだそうだ。と言うのも、敵は警察内にも食い込んでおり、警察の動きは犯人である暴力団に筒抜け、おまけに紛れ込んだコウモリがミスリードを誘発し、この事件に関してはまともな検証がそもそも行われていない節があった。
今にして思えば、第一報をマスコミにリークし、殺人事件として捜査本部を設置した手際の良さは不自然であると考えられるが、当時は誰もそこまで考えが至らなかったようで、身内に甘いとされる警察の体質が浮き彫りとなった。
唯一、被害者の死に対して本気で他殺の線を疑っていたのは、例の所轄署の班長くらいのものであったが、功をあせった彼が独断で動いたせいで所轄署はよけいに肩身が狭くなり、事件に口を出すという雰囲気では無くなっていたそうだ。
飯豊刑事は私と会った後、署に戻りかつての事件の捜査記録を改めて読み返してみたらしい。すると、私の言った侵入経路の存在は報告されておらず、他にもいくつか不審な点が見受けられた。いくらなんでもやる気がなさすぎるのだ。被害者の死因であるところの縊死などは、いくらでも偽装がきく方法でもあり、殺人の線をさっさと否定してしまうのは早合点が過ぎるのではないか……当時は事件を取り上げられたことで意気消沈し、考えが及ばなかったが……不安に思った彼は、かつての上司であるところの左遷された班長に、連絡を取り指示を仰いだ。
自分の失脚の原因となった事件の詳細は、班長自身が執念で調べ上げていた。そこに新たな見解が加わったことで、彼は殺人事件の犯人がほぼ直感的に分かったらしい。そして飯豊刑事たち、かつての捜査メンバーは、班長の指示で殺人事件の証拠固めを行い、完全に油断しきっていた犯人は簡単にぼろを出し、あっという間にお縄を頂戴することになったとのことだ。
「……隣のビルから侵入するなんて、誰でも思いつきそうだけど、何で誰も考えなかったの?」
「もちろん考えていたようですよ。捜査会議で質問が挙がったそうなんですが、『隣ビルの屋上へは出られないし、ベランダ伝いに渡るのは困難』って報告があって、そこで思考停止しちゃってたそうです。話を聞いただけでは、隣の隣の隣のビルからなら楽に侵入出来るなんて、思いつかなかったんでしょう」
新学期が始まり二週間が過ぎた。
事件のことでそわそわしていた私は、赤石会長にあっさりと何かあったことを見破られた。そしていつもの調子で白状しなさいと畳み掛けられ、言っていいのか分からず迷ったが、その頃は何か憑き物が落ちたかのように気分がよく、ついつらつらと事件のあらましを話してしまった。
彼女はそれを欠伸を噛み殺しながら聞いて、「で、金一封は出るの?」ときた。聞く気がないなら聞くんじゃない。ついでに言うと、事件のことは喋っちゃいけなかったと、後に判明する。
何しろ、事件は全て解決したわけじゃない。殺人事件の解決を切っ掛けに、芋づる式に逮捕者が出てきてはいるが、例の政治家は未だに重要参考人という立ち位置のままで逮捕には至っておらず、また大山殺害を実行したのは事務所の職員だったが、そのバックには暴力団が控えているわけである。調子に乗って、私が事件を解決しましたなどと吹聴しようものなら、逆恨みを買ってなにをされるか分かったもんじゃない。
私は会長に口を酸っぱくして口止めしたが、しかし実際のところ、そうしようがしまいが大差ないだろうなと漠然と考えていた。
冬休み以降はご無沙汰だったが、ある日大峰からメールが来て、失脚した政治家は大峰の祖父の政敵であり、それを偶然にも追い落とすことが出来たので、大層機嫌が良いらしく、
「勤労意欲を失うくらいの小遣いを貰ったんで、今度おごるっすよ」
などと連絡を入れてきた。新年の挨拶に訪れる客に請われるまま、あの日ビルの屋上で私がしていたことを詳細に話したせいで、彼の祖父の周りでは私の名前を知らない人物はいないそうだ。全く知らない政治団体や、後援会などからお中元が届くかも知れないが、気にせず受け取ってくれと言われ尻込みした。本当に来ないだろうな……
そんな具合にふわふわとした新学期明けを過ごし、ようやく通常ペースに慣れてきた頃、生徒会に学校から、入学試験の試験監督をしてくれと持ちかけられた。毎年、バイトを外部に頼んでいるらしいが、なにやら今年は出願者が多くて猫の手も借りたいらしく、バイト代は出せないが、どうにか頼まれてくれないかと頭を下げられた。
なんでいきなり受験生が増えたのかと首を捻っていると、大沢副会長が教えてくれた。なんでも、去年の全国一斉学力テストの結果のおかげで、我が校のランクが上がったらしい。一体、誰のせいだろう。
二学期と違って三学期はイベントが少なく、生徒会活動は月曜朝礼の他には、卒業式くらいしか仕事が無いので暇だった。バイト代はともかく、茶菓子くらいは出せよということで手を打った会長が仕事を引き受け、私たちは事務方やバイトに混じって試験監督官の説明を受けるため、管理棟の会議室までやってきていた。
管理棟は実習棟の隣に建てられた背の低い建物で、校門に面しているので外部からやってくる人間の姿がよく観察できた。会議中の暇つぶしに眺めてみると、次々と様々な制服が校門を潜ってやってくる。今日は出願初日で、管理棟の事務所で願書を受けつけているらしい。
会議が終わると会長が、「みんな初々しくて可愛いわ」などと冗談みたいな台詞を呟き、「赤石さんも夏休みの小学生みたいで可愛いですよ」と副会長が容赦なく突っ込みを入れていた。
会長は左手にねこじゃらし、右手に猫缶を握っていた。
「実習棟の裏庭で、猫を餌付けてる不届きものが居るらしいの。このままいつかれちゃうと困るから、保護しないといけないわ。あくまで保護よ」
鼻息を荒くし、今にもスキップしそうな勢いで廊下を進むと、管理事務所の入り口のあたりに人垣が出来ていた。
願書提出の中学生たちが列を作っているのかと思いきや、我が校の制服もちらほら散見される……よくみるとどっちかと言えば、うちの制服の方が多かった。何のつもりか、受験生が萎縮しなければよいが……と思いながら見ていると、
「ちょっと蹴散らしてきますね」
と言って副会長がゆらゆら近づいていった。あの人の前世はきっと世紀末覇者か何かかも知れない。その生き生きとした横顔に戦慄しつつ、
「会長は猫派なんですか? 俺はどちらかと言えば犬派ですね」
「どっちでもないわ。四本足の動物はみんな大好き」
「あー、なんか分かるかも。もしかしてイルカとかも好きじゃないですか?」
「好きよ。良く分かったわね」
「分かりますとも。四本足がどうとかじゃなくって、哺乳類フェチってやつですね」
「フェチって……」
副会長が説教をかましている人垣の横を通り過ぎようとすると、「せんぱいっ!」の声と共に人垣が割れた。どきりとして心臓が飛び出そうになった。脳の血管が急激に開いたのか、痺れたような感覚が走る。私は人垣を通り過ぎる速度を維持したまま、足を止めずにそのまま歩いた。
「動物好きって話を聞いてみると、大概哺乳類好きなんですよね」
「そうなの? ねえ、ところで呼んでるんじゃないの、あれ」
「動物って言ったらいろいろ居るのに、哺乳類好きは大雑把なんですよ。例えば鳥好きや爬虫類好きは、はっきりそれが好きだと言うのに」
「そ。いいんならいいんだけれど」
人垣を形成していた人たちの視線が私たちに突き刺さる。その中心に居る人物は、小柄で髪が短くて、そこにいる誰よりも大きな瞳をしていて……再度、「せんぱいっ!」と声がかかるが、私は振り返ることなく角を曲がった。
言うまでもない、剱鈴である。
校舎裏へ続く渡り廊下を渡っていると、後ろに続く会長が、「あんたちょっと感じ悪いわね」と呟いたが、私はそれに答えることなく、猫が出没すると言われる実習棟の裏庭までやってきた。
会長がダッシュで木陰や草むらを探り始めた。
「ねこ~、ねこにゃ~ん」
私はそれを、少し離れて見守っている。
それにしてもうかつだった。この事態は想定すべきだった。あの宣言以来、剱のマネージャーが抑えているからか、仕事が忙しいからか、クリスマス以外で彼女が押しかけてくるようなことは一切無かった。だが、あの剱だ。学校に押しかけ、家の周りをうろつき、夜道で声を掛けるのもお茶の子さいさいだ。北高に受験して入ってくるなんて、一番有り得ることだったじゃないか。
「ねこ~、ねこねこ~、こねこ~」
どうする。なんならまた学校を変えるか。今から動き出せば、新学期には彼女と入れ違いで出て行くことが出来る……いやいや、どうして私がそんなことをしなくてはならないのだ。あのマネージャーは何をやってるんだ? 剱の受験校まで気が回らなかったのか。確か名刺を貰ったはずだ連絡して……って、どうしてこんなまだるっこしいことを、私がしなくてはならないんだ。
「にゃあにゃあ~。にゃにゃにゃー! ごろにゃ~んごろ!」
いや、そもそも本当に受験するのか? たまたま今日、出願日だと知らずにやってきて、生徒に捕まっただけじゃないか。第一、私なんかを追っかけるためだけに、彼女があそこまでするなんて、自分勝手な妄想も甚だしいじゃないか。
「何を悩んでいるのか知らないけれど、顔がにやついてるわよ」
どきりと心臓が高鳴った。私はペタペタと自分の顔を触って、それから会長の方を見た。
「……別に黙ってたわけじゃないわよ。誰でも知ってるようなことは、誰も吹聴したりしないでしょ。前にも言ったけど、あんたは自分が目立つことを、もっと自覚しなさい」
剱とのことを言っているのだろうか……? だとすれば、先ほど私が彼女を無視したことも、会長はある程度納得していたことになる。
「あんたは頭が良いからかも知れないけれど、無駄なことを考えすぎるのよ。頭の中が忙しいからって何も言わないでいるのは、何もしないでいることと同じよ。それはあんたの悪い癖ね。自分の気持ちをちゃんとさらけ出すことが出来れば、お友達と喧嘩しないで済んだでしょうに」
それは耳の痛い言葉だ。暮れに友達と再会して、改めてそう思う。だが、剱とのことは、私だけの問題ではなく、彼女の将来にも係わってくる。
「誰かのためを思って嘘をつくのは、決して悪いことではないわ。けれど、覚えておきなさい、一番騙しやすい人間って、実は自分自身なのよ。一度、素直になって話し合ってみたらどうかしら」
「……って、あんた何やってんですか」
凄くいいことを言ってそうな振りをしてるが、見れば会長は木にセミみたいにくっついていた。もしくはコアラみたいにだろうか。その姿は台詞とのギャップも相俟って、すこぶる間抜けである。
「だってほら、あの子、なんだか落ちちゃいそうじゃない」
会長が指差す先、樹上に猫が丸まっていた。
高さは3メートル程度で、ジャンプしても届かないが、落ちてもまあ怪我もしないだろう。猫であるなら尚更だ。別に怯えて固まってるといった感じではなく、単に会長に興味が無い感じだ。
「ほっときなさいよ。猫って、かまわれるの嫌いますよ」
「えー……でも保護しないと。保護保護」
「仕方ないですね……」
私は木にしがみ付いていた会長を引きずり下ろすと、今度は自分が幹につかまった。ジャンプして枝に手をかければ簡単に登れそうだったが、その反動で猫が落ちたら困る。面倒でも太い幹を登っていくしかない。
「……話し合って、それで良い結論が出るとは限らないですよ」
「なら、その時初めて悩めばいいのよ。あんたの出来の良い頭は、そういうときのためについてるんでしょ」
なんだか最近は、いろんな人に背中を押されているような気がする。ほんの些細なことなのかも知れないが、例えばこの間の事件だって、あの場に高尾や大峰がいなければ、きっと私は刑事に話しかけることをしなかったはずだ。
そうだな。話し合ってみよう。
あの時、私が躊躇して、刑事に話さずにいたら、未だに不幸な人たちが居たはずなのだ。もちろん、それは私の責任ではないが、先のことは分からないのだ。やって後悔した方がマシだ。
私は彼女の将来に責任を持てない。それは当たり前のことだし、それを言い訳にして遠ざけようとするのは、流石に行き過ぎだとも思う。どうしても、彼女がこの学校へ来るのだと言うのなら、ちゃんと話しあってみよう。彼女がどうしたいのか、それすら私は知らないのだ。
枝に手がかかって、ようやく上までこれた。私は会長から預かったねこじゃらしをピョコピョコ振った。しかし猫はちらりとこちらを見ただけで、欠伸をかまして興味ないといった素振りである。案外ふてぶてしい奴だ。玩具で釣るよりも餌で釣った方がいいかも知れないと思い、下に控えている会長に猫缶を貸してもらおうとした時だった……
「あんたぁっ!! なにやってんですかっ!!!!」
物凄い叫び声が響いた。
元々、地の声は大きかった。声も澄んでて滑舌が良く、聞き取りやすかった。それが、この半年のボイストレーニングでさらにパワーアップしたようだ。その大声は、実習棟の裏庭に響き渡り、私の鼓膜にキンキンと突き刺さり、驚いた猫は文字通り飛び上がって、私の胸に飛び込んできた。
見れば副会長に連れられて来たらしい剱鈴が、プルプルと体を震わせて半泣きになりながらこちらを見上げていた。怒っているわけではない。寧ろ顔色は悪い。
「なにしてるかって聞いてんですっ!」
いや、何をしているかって……木に登った猫を捕獲していたのだ。ナイスアシストだった。私が猫を抱えたまま、ひょいと木から飛び降りると、剱は引き付けを起こしそうなほどショックを受けた感じで身震いした。何やら様子が尋常ではない。
私は猫を会長に手渡すと、「おい、剱?」プルプル震えている彼女の元に駆け寄った。
彼女は私の制服の襟をギュッと掴むと、
「……5年前の夏休みを覚えていますか」
と言った。5年前? 夏休み? 忘れるわけがない。
「あの夏、先輩は事故にあったでしょう」
本当に酷い怪我だった。夏休みの半分は寝たきりで、その後は地獄のリハビリの日々だった。
「本当なら先輩が怪我をするわけが無かった。あの日、先輩は木に登った馬鹿を助けようと下敷きになって……先輩がやめろって言ったのに」
そうだった。あの日も今日と同じように、木に登った猫を捕獲しようとして……私ではなく、当時友達だった男の子が木によじ登った。私はやめろと言う方だった。しかし、あの時の猫は今日と違って、本当に下りられなくなって鳴いていたから、やめろという私の方がおかしいし、冷たかったはずだ。
当時の状況がフラッシュバックされる。
木に登った少年が猫を助けようと枝先へ移動する。
すると体重を支えきれなくなった枝が根元からばきっと折れて……
私は言わんこっちゃ無いと思いながら、飛び降りる猫を横目に見つつ、バランスを崩し頭から落ちてきた少年を助けようとして……あれ?
「あの時の、あの馬鹿が……アタシです」
どうして知っているんだろうかと疑問を呈す間もなく、剱が答えを言った。
「え? でも、だって?」
落ちてきたのは男だぞ。流石に見間違えようもないが……しかし、よくよく見てみると、剱の髪型はその時の男と同じであり……それに今なんて言った。ボクっこのはずの剱が……
「え? うそ、マジで?」
キッと見上げる剱の瞳に涙が光っていた。私は混乱する頭で、5年前の夏のことを思い出していた。
それは私と谷川あさひと、その少年の最初で最後の夏休みだった。




