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20/25

だって先輩、頑張ってたじゃないですか(前)

 クリスマス会を無事に終えて、今年度最後の生徒会活動であるところの終業式も終え、忙しかった二学期が終わり、冬休みが始まった。


 長期休暇とは言え、帰省もしなければ、どこかへ旅行に出かけるなどということもなく、私はいつも通りバイトに明け暮れていた。


 代わり映えのしない毎日の中で、ちょっとした変化ではあるが、私のバイト先の喫茶店に、かつての友人たちが冷やかしにくるようになった。彼らは好き勝手な時間帯にやってきては、好き勝手にべらべらと話しかけ、好き勝手に帰っていく。仕事の邪魔をするなと言ってもお構いなしである。


 そんなある日のこと、長期休暇なのだし短期の稼げるバイトでもしないか? と高尾が話を持ちかけてきた。音楽仲間がビルの清掃員のバイトをやってるそうなのだが、暮れの大掃除で書き入れ時らしく、バイトを幅広く募集中なのだそうだ。クリスマス会の準備のせいで、今月は稼ぎが少なかったので渡りに船である。私は二つ返事でオーケーした。


 翌早朝に訪れたバイト先は、市内全域をカバーする清掃会社で、掃除用具が乱雑に散らばる事務机一つ無い倉庫みたいな事務所に、社員とバイトがすし詰めに集められ、朝礼がてらにブラック企業も真っ青なはっぱをかけられた。


 右を見ても左を見ても、無個性なツナギを着た人間が整然と並ぶ姿は中々に壮観であったが、ルサンチマンを感じさせて気分を滅入らせた。もちろん私たちも同じ格好である。ただ、社員とバイトの違いはすぐに分かった。おっさんが社員で、エグザイルみたいなのがバイトである。


 朝礼が終わると私たちは班に分けられ、市内各地の現場に散らばっていった。


 我々の班は6人体制で、社員のおっさん1人とバイトが5人、現場は階層12階のオフィスビルで、比較的楽な部類だと移動中におっさんがべらべらと喋っていた。


 バイトのメンバーは私と高尾の他は、バイトリーダーと鼻ピアスとヒゲであり、特にバイトリーダーをしている大峰という名の男は、腰が低く小柄で童顔で、見るからに身軽そうな体操選手のような体をしているのだが、そんな彼に対して鼻ピアスとヒゲは背筋をピンと伸ばしてやたらと恐縮していた。どうやらバイト内では、相当古株のようである。


 社員のおっさんにも一目置かれている彼は実に仕事が素早く丁寧で、私と高尾が二人がかりでモタモタ1フロアを掃除している間に、一人で2フロアを片付けてから、嫌味の一つも言わずに親切に、我々新人バイトを教育してくれるものだから、昼休みまでには私たちも彼に頭が上がらなくなった。


 階段清掃を終え、先に昼飯休憩を取っていたおっさんたちが帰ってくると、入れ違いで私たちは三人で休憩に入った。


「なにか食べたいものでもあるっすか。おごれませんけど、いろいろ美味い店知ってるっすよ」


 とりあえずラーメンでも食べましょうと、昼食を食べに訪れた商店街でも、彼はまさに顔と言った具合で、道を歩いているだけで商店主らしき人たちが次から次へと挨拶してくる。一体何者なのだろうかと恐縮しながらくっ付いていくと、え? ここに入るの? と言わんばかりの薄汚れたラーメン屋に連れて行かれた。


 しかしその味がすこぶる美味い。


「味噌はみんな好きっすよね。でも味噌やってるところって、どれも似たり寄ったりじゃないっすか。なんか味噌っぽすぎてラーメンじゃないって言うか。その点ここはまさに味噌ラーメン食ってるって感じがして好きなんすよね」


 なかなか意味不明な言葉であるが、なんとなく言いたいことは分かる。コクコクと首肯してずるずるラーメンを啜っていると高尾が、


「それにしても大峰さんって何者なんすか。只者じゃないっすよね」

「いやっすね。自分はただのフリーターっすよ。そっちこそ、中々ご活躍じゃないっすか。お噂は兼ねがね聞いてるっすよ」

「え? いや、そうっすか? うへへへへへ」


 普段、褒められなれてない高尾の目じりが垂れ下がって、これ以上ないほどだらしない顔をしていた。苦笑いしながら見ていると、


「最近はもうカーリングは続けてないんっすか」


 などと言う。何を言ってるんだろうかと、私と高尾は顔を見合わせ首を捻った。


 カーリング? ああ、そういえば昔、チュリスでアホなことやったっけ……と思い出し、続いて大峰というのが三代くらい前の市長と同じ苗字であることに気づき、必然的に変なオブジェを思い出して……そしてゆるキャラに行き当たる。


 あのゆるキャラはすっごい良い動きをしていた。小柄なのに機敏であり、まるで体操選手かなにかのような感じで……


「……まさか……ゆるキャラの中の人!?」

「ゴッピーっすよ。ゴッピー。定着しないっすね」


 反射的に土下座しそうになる私たちを制して、大峰は苦笑いをしていた。


 大峰氏は、父は元市長、祖父は国会議員、故人である高祖父はかつて閣僚をしていたという、政治家一家の三男坊だそうだ。


 三男と言う気楽さから、定職に着かずにぶらぶらとやってるそうなのだが、大卒ニートの引き篭もり長男と、月の小遣いが50万円の次男はだらしなくて期待されておらず、実質後継者として見做されているようである。成人したら、投票には必ず行こう。


 そんなこんなで妙な縁から仲良くなった私たちは、その後のシフトもずっと一緒になり、暮れの仕事納めまでの数日間を共に過ごすこととなった。そして短期バイトだけあって、期間は年内だけであったのだが、


「年明けに持ち越したのが数件あるみたいっす。来るなら口聞くっすよ」


 年明け以降一気に暇になってしまうので、もう少し稼ぎたいという高尾と、二人で別のバイトでも探そうとしていたところであった。もちろんオーケーする。


 その時もまた同じ現場なのだろうかと聞いてみると、


「現場は同じっすけど、自分は高所作業の方っすから一緒ってわけじゃないっすね」

「高所作業?」

「ほら、ビルの窓拭き見たことあるっすよね」

「ああ、あれですか~」


 ビルの屋上からロープ一本でするすると降りている姿は、私なんかは見ているだけで眩暈(めまい)がするのだが、高尾は興味があるようで色々と聞いていた。残念ながら、年齢のせいで我々はやれないのだが、


「あれは日当は普通なんすけどね、意外と短時間で終わるものだから、上手くやれば現場二つ回れるんっすよ。そしたら日当も倍っすよ、倍」

「うはうはですね」


 高尾が感心を示して、二人は盛り上がっていたが、


「俺はそれでも御免だな」

「富岳、高いとこ苦手だったっけ?」

「結構苦手かなあ。高いとこっつっても限度があるだろう。あんな風に自分の体を一本のロープに預けるとかってのは流石に怖い。昔、人が木から落っこちてきたのに巻き込まれてさ、そのせいかな。あんなのは見てるだけでも怖いね」

「そうだったんすか? 意外とわからないもんっすね」


 まあ、どっちにしろ高所作業は未成年者は禁止されてる。やらなきゃ平気だろう、ということで年明けも私たちは同じバイトをすることになった。その後、お互いに携帯番号を交換して、暮れの挨拶を交わして別れた。


 バイト仲間のような人は始めて出来たので、なんだかとても新鮮であったが、よくよく考えるとあの人は一体いくつなんだろう……バイト帰りの道々で高尾と話し合ったが、答えは結局出なかった。見た目はかなり若いのだが、周りからの頼られっぷりや、エグザイルの恐縮の仕方から見るに、それなりに年齢(とし)は食ってそうである。しかしまあ、まさか10は違うまいと結論し、私たちは年越しの挨拶もそこそこにして別れ、そして新年あけましておめでとうメールの「四回目の年男より」の文字に度肝を抜かれることとなる。


「新年あけましておめでとうっす」


 知らず知らずに背筋がピンと伸びていくようなプレッシャーを感じながら、私たちは新年の挨拶を交わした。にこにこと屈託のない笑顔を見ていると、とても一回り以上年上の人物とは思えなかった。おそらくこれは生物学的に大峰という種族なのであろう、それ以上深く考えることはせず、私たちは通り一遍の挨拶を交わすと、新年始めの仕事に向かった。


 年末と同じように事務所で朝礼を受け、ブラック企業の社訓みたいな挨拶を読み上げられると、私たちはまた班にわけられて現場へ向かう。現場責任者のおっさんがやってきて、私の履歴書にでも目を通したのだろうか、


「今日の現場は君の家の近くだな」


 と言うので住所を聞いてみると、どうやら坂の下の県道三号線沿いのビルのようである。それどころか、良く見知った建物の近所にも思え、まさかと思いながらも、昼間でも薄暗い通りをワンボックスに揺られながら現場付近までやってくると、私よりも高尾の方が先に騒ぎ出した。


「おお! オモーロビデオじゃん。懐かしいなあ」


 相変わらず客を拒んでいるとしか思えない、ボロボロの看板を掲げた芳賀書店を指差して、高尾が声を上げる。


「なんすか、それ?」

「エロ本の自販機コーナーっす……いや、あれはエロ本と呼んでいいものなのか?」

「俺に聞くなよ。結局最後、あの本は誰が持って帰ったんだろうな」


 かつてのエロ本騒動を話そうとするより前に、あっさりと今日の現場に到着した。芳賀書店から1ブロック離れた曲がり角を抜け、裏通りに入ると数件のオフィスビルが並んでいる。今日の現場はそこであり、あのTKビルもその一つだった。


 掃除用具を車から降ろしつつ、横目でチラチラと4件ほど先にある赤茶色のビルを見てみる。


 結局、あの事件はなんだったんだろうか?


 谷川あさひとの関係で、あの夏を過ぎてからは思い出さないようにしていた。思い出すと同時に嫌なことも一緒に思い出したからだ。だが、時間が経過して、逆にこうして全く思い出さなくなると、あのときの気持ちは薄れて冷静に考えることも出来る。


 谷川の関与はもう疑ってはいない……だが、事件の被害者、大山氏は結局事故死ということで処理されたのだろうか。実はそれすら分かっていないのだ。あの事件の一報は大々的に報道されたが、何故かその結末は全く聞こえてこない。事件から一ヶ月間は、私もその続報をまだかまだかと待っていた。けれどその時も、その後も、話題に上がることは皆無だった。


「おいバイト! 窓拭き道具持って屋上行ってくれ」


 おっさんに命令されて、私と高尾は道具一式を抱えて屋上へと向かった。エレベーターは他の作業員が使用していたので、階段でいかなければならなかったが、このビル自体は6階建てと比較的低いのでそれほど気にならなかった。


 しかし屋上へ出る階段はなく、梯子がかかっているだけなので、持ち上げるのに苦労した。私が上に登って、高尾に渡される道具を引っ張り上げていると、高所作業のために先に上がっていた大峰が手伝ってくれて、早めに片がついた。


 高尾がビルの絶壁から地面を見下ろし、


「うおおぉぉぉ~~! ここから下りるんですか!? 無理無理無理……」


 ぶるぶる震えながら大声を上げていた。サボってるのバレると後で怒られるぞ……と思いつつ、私は一人離れて回りの景色を眺めてみる。


 眺望は中々のものだった。


 背の低いビルだったが、周りにそれより高いビルが無いため、周囲はまるでどこまでもフラットな運動場のように開けていた。自分の家が見えるかなと思い、背後を振り返るが、高速側に位置しているビルは、どれもこれも看板を掲げているので、残念ながら私の家は見えなかった。しかし、看板を差し引いてみたらビルの高さはみんな同じ位である。


 そう言えば、これだけの数のビルが整然と並んでいるにも係わらず、私の家からこちらを見下ろしても、あのでかい看板はやたら目に付いたが、これらのビルはまったく印象に残っていない。


 TKビルの方を見てみる。位置的にあのビルも、看板がなければ私の家からでも見える位置にあるのだな……などと考えていると、ギギ~っと金属の軋む音を立てながら、隣のビルの屋上に、ステテコ姿のおっさんがひょっこりと現れた。


 突然の登場に驚いたが、向こうも同様に驚いている。


 隣のビルはどうやらマンションのようである。ここは職住が雑多に混じった街区なのだろう。目を逸らすと、彼は出口の脇に置いてあったベンチに座ってタバコに火をつけた。隣ビルの屋上は自由に出入り出来るようで、彼は喫煙所のようにして使っているみたいだった。


 じろじろと見るのも失礼だろう。私は先に下に戻ろうかと足を運びかけた。しかし、ふと何かが引っかかって、やはり隣のマンションの方を見つめてしまう。


 何がそんなに気になるのか? 対比する対象があって初めて気づいた。おっさんと私の目線は同じ高さだ。つまり、隣のマンションと、私の居るビルもまた同じ高さである。


 隣ビルとの境まで行って、その高さの違いを調べてみるが、これが計ったように殆ど同じで、しかもビルとビルの間は信じられないほど狭かった。恐らく1メートルもないだろう。工事の足場が組める程度の広さで、成人の歩幅くらいしかないように見える。飛び移ろうと思えば、簡単に隣へ飛び移れるはずだ。


 私は視線を先に向ける。そのマンションの隣のビルもまた同じような高さだ。その先も、その先も、例のTKビルもだ。


 私は居ても立ってもいられず、隣のビルの屋上に飛び移った。おっさんが、ぎょっとした顔をして私を見つめ、背後で高尾が大声で怒鳴った。


「わあああ! 富岳なにやってんだ!!!」


 私は構わず申し訳程度にあった手すりを乗り越えると、タバコを吸っているおっさんに頭を下げて尋ねた。


「この屋上の扉って、普段から開いてるんですか?」

「……ん、ああ」

「24時間?」

「ああ」

「このマンションってオートロックですか?」

「そんな洒落たもんじゃないよ。古いマンションだからなあ……住人もこうだしな」


 にやりと笑っておっさんはステテコの太ももをペチンと叩いた。


 私はおっさんに礼を言うと、うるさい高尾を無視して隣のビルへと飛び移った。そちらも同じようにビルとビルの隙間が狭く、そしてまた隣のビルへと移り、ついにTKビルの屋上までやってきた。


 周囲を見回すと、他のビルにあるような屋上の出入り口や、給水搭や、エアコンの室外機などがなく、防水シートを張られただけの殺風景な屋上が広がっている。あるのはせいぜいテレビのアンテナくらいのものだ。


 私はビルの端っこから顔を覗かせ、階下を確認する。


 各階にはキャットウォークのように狭いベランダが突き出していて、そこに室外機が置かれているのが見えた。特に最上階のそれは目と鼻の先である。私でも降りれるのではないか……


「何か気になることでもあったんすか?」


 気がつくと背後に大峰が立っていた。私が自分勝手な行動を取るから呼びに来たのだろう。時間的な余裕はない。聞きたいことだけさっさと聞こう。


「……この辺のビルって、みんな同じ高さなんですね」

「ああ、20メートル制限っすね。ここは住宅地っすから、高さ制限が厳しいんすよ。高く建てられない分、隣との距離が狭くなってるみたいっすけど。本当はいけないんっすけどね。大目にみてんでしょう」

「大峰さんは、命綱があったら、あそこの狭いベランダに降りれますか?」

「無くっても出来るっすよ」


 言うが早いか、まるで近所のコンビニにでも行くようにあっさりと、大峰は狭いベランダへヒラリと飛び降りた。すると、最上階に居た人間に見られたのか、


「わー! すんませんっ! すんませんっ!」


 と謝りながら、これまた飛び降りた時のような身軽さで、ひょいひょいと屋上まで登ってきた。


 侵入経路があるじゃないか……


 私はかつての、このビルの警備員とのやりとりを思い出していた。


 確かあの警備員は、問題の事務所は最上階にあると言ったはずだ。そして、監視カメラに映らずに最上階へ上がるのは不可能だとも。だが、今確認したとおりなら、逆に最上階の方がカメラがない分だけ、簡単に侵入することが出来る。


 戻ってきた大峰と元のビルへと戻った。他のバイトから私が危険なことをしていたと聞いた社員のおっさんにとても怒られたが、その後仕事は滞りなく進み、昼過ぎに清掃を終えると、次の現場に向かうついでにバイト全員で昼食休憩に入った。


 現場近くで車を下ろされた私たちは、どこかで昼食を取ろうとぶらつきながら店を探して歩いた。次の現場はこれまた懐かしの清開高校の近所で、美味い店を知ってるだろうと、私や高尾に期待の目が向けられたが、あのコンクリート壁で囲まれた清開高校の生徒が、近所の飯屋のことなど知ってるわけがない。


 バイト連中にがっかりされながら、コンビニでも行くかとずらずら並びながら道を歩く。そしてかつて剱と待ち合わせをしていた十字路に差し掛かったとき、ふと視界の隅に映った古い暖簾(のれん)を見つけ、私は足を止めた。


「どしたん?」


 あの夏の日、確かあそこから飯豊(いいで)刑事が出てきて、私は進まない捜査のことで痺れを切らして、谷川のことを話したのだ。それはまるっきり無駄なことであり、そしてそれが契機となって、私は事件のことを考えるのをやめた。苦い思い出だ。


「あそこに蕎麦屋があるんだけど……もしかしたら、美味いのかも」


 あの時、刑事が出てきた暖簾である。警察署はここから結構離れている。刑事が偶然入った可能性も否定できないが、しかし、もしわざわざここまで食べに来ていたとしたら、その味は期待出来るかもしれない。


「そうなんすか? それじゃ行ってみますか」


 大峰が話に乗ったので、昼食はそこで取ることに決まった。コンビニよりはマシだろうし、悪い選択でもない。問題は値段であるが、暖簾の前に置いてあったお品書きを見る限り、そこまで高くも安くもない感じだった。


「へい、いらっしゃい」


 お揃いのツナギの集団が店に入っていく。複数の集団に分かれて、思い思いのテーブル席なりカウンターなりに座った。私は高尾と大峰と一緒に奥の方のテーブルに着こうとした。するとその時、奥の座敷にいつか見たことのある、恰幅の良いスーツ姿の男を見つけた。


 こんなことがあるのか……


 私は席に座ることもせず、ぼーっと立ち尽くして、声を掛けるかどうか悩んだ。多分、刑事は私のことなど覚えていないだろう。それになんて言って声を掛けるのか。かつての事件のことについて聞きたい。しかし、もうとっくに捜査をやめているに違いない……もう一年半も経っているんだ。そんなことを聞かれても困るのではないか……


 どうしようか逡巡している私に気づいたのか、鋭い刑事の視線が私を捉えた。迫力のある瞳が、じっと私を見つめて動かない。じろじろ見られることに慣れているのだろう。おそらく、こちらから目を背けない限りはあのままだ。どうする……話しかけるか……


「どうした、富岳? 座らねえのか」


 高尾のケロリとした声が響く。私がいつまでも突っ立っているから気になったのだろう。その声が呼び水となったのか、刑事の記憶を刺激したらしい。


「ああ、君は確か……富岳君。清開中学だったかな」


 良く通る重厚な声が店内に響いた。一年半も前に2回会っただけの私の顔を覚えているのか、驚きながら尋ねると、


「どこで凶悪犯に会ってもいいように、色んな顔を覚えておかねばならないからな」と言ってくつくつと笑った。「冗談はさておき、あんな無理を通したからね、印象にも残っているよ。あの時は悪かったね」


 無理を通した? なんのことか分からないが、とりあえず私が会釈して近づいていくと、席に座ろうとしていた高尾と大峰が、


「お知り合いっすか? 良かったら一緒しませんか」


 と言ってくっついてきた。そんなに長居するつもりも無かったので、押しとどめようとしたのだが、


「おや……もしかしてそちらは、大峰さんところの坊ちゃんじゃないですか」

「……お知り合いですか?」

「え!? いや、知らないっすけど……すんません。どちらさんでしたっけ」


 刑事は私と一緒にいた大峰に気づくと愛好を崩した。どれだけ顔が広いんだろう、この人は……と呆れたが、本人は刑事のことを知らないようだった。どうやら大峰の祖父が地元を回るときの警備なんかの話し合いで、何度か彼の家へ足を運んだことがあるらしい。彼が刑事だと名乗ったことで、ようやく合点がいったらしく、


「いや、すんません、覚えてなくって」


 へらへらしながら刑事のいる座敷に入っていった。全く臆することの無いそのパーソナリティは、見習うべきか否か……私と高尾は顔を見合わせ、その後に続いた。


 店員がきたので、とにもかくにも適当に注文し、話の流れで必然的に、私と刑事がなんで知り合いなのかと言うことになり、かつての事件に話が及んだ。高尾は事件を覚えていたらしく、私が事情聴取を受けていたと知り、強い関心を示したが、大峰の方は何のことやらさっぱりといった具合だった。世間一般的にはそんなものだろう。


「ところで、例の事件なんですけど、その後どうなったんですか?」

「うん? ああ、あれは……」


 刑事は、ふんっと鼻を鳴らすと苦々しげに言った。


「ほとんど迷宮入りだな」


 その言葉にぽかんと口が開いた。


「迷宮入り? まさか、まだ自殺か他殺か分かってないって言うんですか?」

「ん? ……ふむ。どうやら君と私とでは事件の認識がまるで違うようだな」

「どう言うことでしょうか」


 刑事は腕組みし、少々言いにくそうにしていたが、


「まあ、君には迷惑もかけたしな」


 そう言って事件のことを話し始めた。


「あれは、とある政治家の汚職に絡む、不正融資事件の内偵をしているときに起きた事件だったんだよ。当時の僕の所轄署では、県内の暴力団が起こした不正融資事件を扱っていたんだけど、そんなときに銀行に口を聞いたらしい現国会議員の名前が浮上してね。本来、自分たちには荷が勝ちすぎるんだが、その当時の班長がやる気のある人で、金の流れを追えば必ずそいつが出てくるはずだと……そうしたらあの男、大山誠に行き当たったんだ」


 大山氏は得体の知れない男で、週刊誌でも話題にされていたくらい羽振りがいいのに、一体何で金を稼いでいるのか分からない人物だった。刑事もその点に目をつけ、彼の事務所の関係先や、人の出入りを中心に捜査し、彼の資金源の特定に努めた。すると彼はペーパーカンパニーの売買を繰り返したり、月に何回も海外へ渡航したりと、かなり不審な行動を繰り返しているのが分かった。


 彼の扱う法人には、例の暴力団のフロント企業の取引先も含まれており、もしかしたら彼は、暴力団の資金洗浄に係わる金庫番か何かではないか、という疑惑が湧き上がった。


 この疑惑が確かならば、芋づる式に暴力団も政治家もしょっ引けるかも知れない。所轄署は内密かつ大規模に彼の身辺を調べ始めたのだが……その矢先に、大山が死亡してしまう。


「我々にとっては蜘蛛の糸であるところの大山が、都合よく死んでしまったのもショックだったが、それよりも死因がいまいち特定出来ないせいで、殺人事件かも知れないという理由を挙げられ、早い段階で捜査本部が設置されたことがまずかった」

「なにがまずいんですか」

「通常、殺人のような重要事件の捜査は、県警から人間を呼んできて本部長に据える。我々はそのサポートに回るんだが、そうしたら今まで調べてきたことが、全部そっちに持っていかれて、手が出せなくなってしまう。焦った班長は捜査本部が設置される前に、強引に大山の身辺調査を強行した。その結果、ほとんど関係のない君に事情聴取をするために、学校にまで押しかけるという馬鹿げた事態を引き起こすことになったんだ」


 それで中学まで押しかけたのか……当時、谷川の関与を疑っていた私は、彼女のことを隠していたので、それを疑っている刑事に詰問されているのだと思っていた。しかし実際のところは、監視カメラにばっちり映っていた彼女は、寧ろ犯人では有り得ない。何しろ建物内もカメラだらけなのだから。そして、私に至ってはいわずもがなである。


 そもそも学校は治外法権みたいなものだし、ほっといても逃げる恐れもない私なんかを取り調べるのに、そんなことをするのは強引にも程がある。彼らがよっぽど焦っていただろうことが窺える。


「焦って捜査を進めた我々は慎重さを欠いて、あっという間にやってきたばかりの管理官に知れることになった。そして捜査本部は、通り一遍大山誠の死因を調べてそれを事故死として断定し解散。続いて殺人事件の本部を、そのまま彼の資金源に関する捜査本部に変えて、これもやはり一ヵ月後に解散した」

「迷宮入りってのはそういう意味ですか」

「ああ、大山が死んだことで彼の普段の動きが掴めなくなった。また我々の内偵が相手にバレていたようで警戒されてもいた。班長は強引な捜査をしたことの責任を取らされ更迭、去年の春この町から去ったよ」


 刑事はそう言うと、苦々しそうに顔をしかめた。そして先に食事を済ませた彼は、私たちの注文がやってくると伝票を取って、「あの時のお詫びだ」と言い、席を立とうとした。私は慌てて呼び止めた。


「待ってください」

「遠慮しなくていいよ」

「いえ、もう一つ聞きたいことがあって」

「なんだろうか」

「被害者の大山さんは、結局、事故死ってことで決着がついたんですか?」

「ん? ああ……そうだよ。君が気にしていたのはそれか。その点についてはもう疑いようがないな」

「そうなんですか?」

「ああ、死因は縊死(いし)。監視カメラに何も映っていなかった時点で、週刊誌のネタにされていたように、特殊な性癖を発揮しての事故死と断定された」

「……それは確かなんですか?」

「ああ……なにか気になる点でもあるのかい」


 あるから言っている。しかし先ほど思いついただけの、浅はかな考えにも思える。流石に警察も調べているだろうし、こんなことを言っていいのだろうか……


「おい、富岳。ソバがのびるぜ」


 高尾の声で我に返った。だからどうしたと言うのか、間違っていたところでも、私が恥をかくだけの話だ。


 私は先ほどまで居たビルの屋上で思いついたことを刑事に話した。刑事はふ~ん……と乗り気じゃない素振りを隠そうともせず聞いて、「それじゃ署に帰ったら調べておこう」と言って席を立った。


 伝票ごと持って行ったので、同じ席に座っていた高尾と大峰は、タダ飯にありつけてラッキーだと大いに喜んだ。他のバイトも居る手前、あんまり大っぴらに喜ばないで欲しいと思いつつ、私はずるずると音を立ててソバをすすった。


 その一週間後、大山誠の事務所の元事務員が逮捕された。政治家、暴力団の大物が次々と逮捕され、一般企業の脱税事件にも飛び火して、それは世間を揺るがす一連の事件の幕開けとなった。

 

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本作が映画になりました。詳しくは下記サイトにて。2月10日公開予定。
映画「正しいアイコラの作り方」公式サイト
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