友達は大切にしなさい(中)
チュリス上ヶ原は上ヶ原市南東部に位置する春日峰のふもとに広がる、広大な農地を切り開いて作られた複合商業施設であり、近年行政による売却が検討されている、いわゆる第三セクターである。
心が洗われそうなほど緑豊かで長閑な田舎のあぜ道に、10ヘクタールを超える土地面積を確保し、でっかい箱をこしらえたまでは良いものの、同時期に作られた駅前の民間商業施設に客を食われて、殆ど人が集まらなかったという曰くつきの施設であった。
大々的なオープニングイベントを行って以来、満員になった試しがない駅前から10分間隔で発車するシャトルバスは、総合病院前で途中下車するおじいちゃんおばあちゃんのコミュニティバスと化していた。
集まらないテナントに業を煮やし格安に下げに下げまくった賃料で、ずらりと並んだ出店の数々は壮観であったが、客数と店員数の比率が明らかに逆としか思えないメインストリートは人影が疎らで、近所の小学生が日夜キックボードでレースをして遊んでいても誰も止めようとはせず、政治家が視察に訪れるたびに、先生方を閉口させたそうである。担当者はさぞかし首が冷える思いをしたに違いない。
尤も、一際賑やかな一角もあった。『複合』商業施設として建てられたチュリスであったが、そんな立地条件のせいで『複合』施設であるところのシネコンが早々に撤退し、後に残された膨大なスペースを埋めるための苦肉の策として、何を考えていたのか県は場外車券場を誘致した。多分とっくに尻に火が着いていたのだろう。
平日の真昼間からよれよれのジャンパーを着た無精ひげの連中が、街のいたるところから幽鬼のように現れ、フードコートで車券をばら撒き、夕飯の買い物に訪れた主婦で賑わうスーパーマーケットの傍らを、ガードマン兼任のゆるキャラに先導されつつ、最終レース明けの血走った目で客を威圧しながら通り過ぎる様は中々にシュールであったが、もちろん、施設の客足が遠のく一助になっていた。
そんなプロ市民に目の敵にされそうなチュリス上ヶ原であったが、北高の面々には概ね好意的に受け止められていた。
客を一人でも多く乗せたいとの涙ぐましい努力から、もはやそんじょそこらの路線バスに勝るとも劣らない利便性を持ったシャトルバスが、北高の目の前にも停まるので、運賃無料のリーズナブルさも手伝って、フードコートで駄弁りながら道草していくのが北高生の放課後の定番コースであったのだ。おまけにバスはそのまま乗っていれば、一周回って駅前にも連れて行ってくれるのだから、利用しないわけがない。
そんなこんなで、放課後に暇を持て余した高校生たちが、取りあえず目的もなくチュリス寄ってかない? との意味合いで「チョリース」と言い、良いねチュリスいこっかとの意味合いで「アザース」と返すものだから、若者の言葉の乱れとして地方新聞のネタにされ、北高のブランドを著しく傷つけたのは、避けては通れぬ道であった。
まあ、結論を言ってしまえば、行政が絡むとろくな事がないと言うことだ。
期末試験も終わり、冬休み前の半ドン授業が続いていた。
クリスマス会の準備も大詰めを向かえ、当日参加する予定の一般生徒も加わって、大々的に体育館が飾り付けられていた。
まだ準備段階だと言うのに参加人数は50名を超え、統制が取れない集団が自分勝手に飾り付けるものだから、トラブルが頻発し、ちょっとした騒ぎになっていた。
何でこんなに集まってしまったのか。
実はこのイベントはカップル成立率が極めて高いイベントとして知られていた。
もちろん、学校主催の合コンみたいなクリスマス会に期待する向きは少ないのであるが、このイベントそのものはともかくとして、準備委員会から期末試験、クリスマス会本番までの長丁場、苦楽を共にした男女がイベント終了後の打ち上げで恋の炎をたぎらせて、勢いのまま付き合い始めるといったことが、往々にしてあるのだそうだ。
クリスマスと言う町中が浮かれている時期的な要因と、間もなく冬休みに入り、今を逃せば新学期まで会えなくなる、それに駄目でも時間が解決してくれるさ……というタイミング的な要因もあって、前々から気になっていた異性にイベントを通してアタックすると言う者が後を絶たない……といった具合である。
そんなこんなで準備委員会も人気で人数が多いのだが、おこぼれで打ち上げに連れて行って貰おうという魂胆で、手伝いを申し出る一般生徒も多数出てきて、断るのも身内びいきで気が引けるので手伝ってもらっていたら、あれよあれよと人数が膨れ上がり、カオスな状態と相成った次第である。
こういった場合はもちろん、担当委員会がかたをつけるものであろうが、元々ちょっとした下心で立候補した委員が多くて収集がつかず、見るに見かねた大沢副会長が半ギレしながら毒を吐くので、現場はどうにか回り出したが、どんどんと意気消沈してきた。
雰囲気が悪いので私もフォローに回りたかったのだが、いかんせん例の告白イベントのことが準備委員全員に“何故か”知られており、女生徒たちに散々弄繰り回されていたせいで、手を出そうものなら余計に混乱を来たすことは明白であり、副会長からは嫌味の言葉とともに戦力外を言い渡された。
「あなたたちは居ても全く役に立たないので、チュリスにオーナメントでも買いに行ってください。命令です」
因みにあなた“たち”とは私と会長のことである。
赤石生徒会長は時折はっとするほど含蓄のある言葉も吐いたが、基本的にはその見た目通り、おこちゃまでポンコツな人だった。飾り付けを手伝おうにも、背が低すぎて高いところに手が届かず、小柄なので身軽かと思いきや、何も無い場所で転ぶくらいにドンくさい。成績も下から数えたほうが早く、今回の期末テストでも赤点をちらほら取ったものだから、クリスマス会などと言っている場合ではなく、一応現場責任者と言うことでその場には居たが、端っこのほうで衆人環視の元に、追試対策を正座しながらやらされているだけだった。
屈辱的な目にあっていた会長は副会長の嫌味たっぷりの命令にこれ幸いとほくそ笑み、早速この針の筵から逃げ出そうと立ち上がろうとしたが、正座で痺れた足の感覚がなく、ビタンと大きな音を立ててすっ転ぶ羽目になった。
暗くなりかけていた周囲から、優しい視線が突き刺さる。空気が一変した。さすが生徒会長である。
「そんな目で見るな!」
泣きながら四つんばいで逃げる会長を、追い越しざま小脇に抱えて、私は学校を出た。すすり泣く少女を羽交い絞めにしているのだが、誰も気にした様子は見せず、あちらこちらからチョリースと声を掛けられ、仕方なくアザースと返しておいた。時刻は4時。今から行けば丁度最終レースの出走の頃であろうから、吉野家コピペのような殺伐とした空気を味わうことになるだろう。
バスから降りると案の定、遠目にゆるキャラを先頭にした百鬼夜行が見えた。バスに乗り込もうとしていた主婦のグループが、「いやぁ~ねえ」などと言いながら、乗るのを諦め、施設内に戻っていった。人波がかき乱され、ちびっ子の会長が翻弄されている。私は咄嗟に彼女の手を掴み引っ張り上げると、
「もう! 子供じゃないんだから、やめなさいよね」
とプリプリ怒り出し、腕を振り払って先を歩き出した。しかし向かう先は出口専用ゲートである。私はその場でじっと佇み、戻ってくる彼女をあさっての方向を見ながら迎えた。
改めて会長が先導し、私たちは回転ドアのゲートを潜った。
「会長はもう少し注意深くなるべきですよ」
「うるさいわね」
ゲートを通り過ぎると、室内からゴーっと強い風が吹き付けて、会長のふわふわの髪の毛を靡かせた。ゴムの焼けたような独特な匂いの中、先に進むと吹き抜けにでっかい時計台が、これ見よがしに置かれいてるエントランスホールに繋がる。印象派の巨匠みたいなわけのわからないオブジェであり、さぞかし名のある作者の作品なのだろうと思って見ると、見覚えはあるが聞いたことのない日本人名のサインが刻まれていた。確かあれは三代くらい前の市長の姓だったと思う。
施設が最も混雑する時間帯であった。エントランスから右手にはフードコートとスーパーマーケットが連なっており、我が北高の生徒たちや、夕飯の買い物に訪れた主婦たちでごった返している。
ここだけ見ているとさぞかし繁盛してそうに思えるが、他方、左手に目をやると、500メートルも続く長大なメインストリートは閑散としており、時折訪れるカップルや親子連れなどの客を、店員の方が物珍しそうに物色している始末であった。
オーナメントを買い揃える予定の雑貨屋はこのメインストリートの先にあり、私たちは長い道のりをせっせと歩くことになった。会長が歩きながら、組んだ両手を高々と上げて背伸びをする。
「ん~~~っ……疲れた。やっと期末も終わったのに、追試追試で嫌になるわ」
「何教科残ってるんですか?」
客の居ない店先を通り過ぎると店員が客引きさながらの営業スマイルを向けてくる。私はその視線からガードするようにカバンを掲げて顔を隠し通り過ぎた。
「2教科ね。英語と数学」
「……それ確か山が当たったって、大沢さんに感謝された教科ですよ」
「うっ……山は当たってたかも知れないけど、理解できなかったら仕方ないでしょ!」
「そんな思い切ったキレ方する人初めて見ましたよ。わかんなくっても、暗記だけしていけば、赤点回避くらいなんとかなったんじゃないですか」
ブティックを通り過ぎると、らっしゃいらっしゃいと八百屋みたいに呼び込まれた。会長が捨て犬でも見るような哀れみの視線を飛ばす。私は目を合わせないように顔を隠して通り過ぎる。それにしても客がいない。
「数学は暗記科目じゃないでしょう?」
「うーん……大雑把に言えば暗記物ですよ、やっぱり」
「頭のいい人はみんなそう言うわね。あたしだって公式くらい暗記はしてるわよ。けど問題見ても、どの公式を使えばいいのか、さっぱり分からないんだもの。手のつけようがないわ」
「……会長って理系専攻って聞きましたけど」
「そうよ。家業がお医者なの。大学はどこでもいいから医学部には入らないと……って、今あんたが何考えてるか、当てて見ましょうか」
私はぶるんぶるんと首を振った。行きたくねえ、そんな病院行きたくねえ。
「ふんっ……ところで、あんたさっきから、なんでお店の前通るたびにビクビク顔隠しながら歩いてるの?」
「……分かっちゃいます? いや、その……もう向こうも覚えてないと思うから、こんなにしなくても良いとは思うのですが」
「なんかやっちゃったわけ?」
「去年、学校の友達連中と……その、カーリングを……」
「はぁ?」
なにしろメインストリートは客足が少なく、それなのに道幅が30メートル以上もあって、小学生がレースをしてしまうほど開けているのだ。そして人ごみに荒らされていない床はツルツルだ。施設に来るたびに、ここで何か出来るんじゃないかと常々思っていた私たちは、ある日体育倉庫に眠っていたストーンを発見した。清開高校はスポーツでも有名である。勝てそうな競技があれば、何にでも手を出すからだ。
「練習用のストーンがあって……ワックス塗ったら結構滑ったもんで、試しに。始めは物珍しさからか、店員も遠巻きに観戦してたんですけど、いかんせん、誰もろくにルールすら知りませんから、だんだんとボーリングみたいになって来て、で、友人の一人がよせばいいのに剛速球をぶん投げましてね? いや、これが滑る滑る。スパコーン! って凄い音立ててストーンが飛んだと思ったら、それがありえない方向に……いや、あっちの金物屋なんですけどね?」
おそらくテナントが入らなくて無理矢理招致した結果、近所の商店街がそっくりそのまま引っ越してきたと思しき生活感漂う一角に金物屋があり、そこへ弾かれたストーンが突っ込んだと思ったら、商品を根こそぎ倒しまくってドンガラガッシャーンと物凄い音を立てた。
その瞬間、腹を据えかねた店員があちこちから飛び出してきて、こりゃやべえとみんなで逃げ出したのだが……
「振り返ると物凄いスピードでゆるキャラ……名前なんでしたっけ、とにかくあれが追いかけて来ましてね……あいつ、凄い良い動きするんですよ。前転受け身取りながらカーブ曲がってくるし、多分100メートル11秒台で走ってたと思います。あのきぐるみ着ながらですよ? 結局エントランスホールに到達する前に全員とっ捕まって、関節が飛んでくるわ、げんこは飛んでくるわ、でもゆるキャラだからずっと目が笑ってるんですよ。軽い恐怖でしたよ。そして全員で正座させられて、学校に連絡するしないで説教を3時間半も……」
「驚いたわ」会長が感嘆の声を上げた。「あんた友達居たのね」
突っ込むところはそこじゃないだろう。私が非難の声を上げると、
「だって、あんた友達いないでしょ? いや、そのDQNみたいな所業も、もちろん驚いたわよ? もちろん」
「ボロクソ言いますね。いや、俺だって友達くらい居ますよ…………あー……前の学校には」
例えば、月山とか……月山とか…………月山とか? あれ? 他に友達と呼べるような人が居ないことに気づかされて、軽くへこむ。思えばろくでもない人生を歩んでいるものである。
そんな具合に私が思わず人生について深く考え込んでいたら、会長が穏やかな声で、
「そ。それなら良かったわ」と言って破顔した。「友達は大切にしなさい。人数の多寡や、友達を選んだりする必要もないわ。人は一人では生きていけないのだから、それはあなたの人生そのものよ。恐れないで頼りなさい。自然とあなたのためになる、そんな人たちが集まってくるはずだから」
言ってることはその場の思いつきや、ただの出任せかも知れない。けれど、彼女にはまったく邪気がない。すると、会長の発する言葉は純粋に、相手を思いやってのものであったろうから、私たちは彼女に惹きつけられるのかもしれない。赤石会長とはそういう人だった。
広い施設の端の端にその雑貨屋はあった。どこで仕入れてきたのだろう、愚にもつかないチープな雑貨が、これでもかと言うほど圧迫陳列されている。
会長は店内に入るやいなや見つけたピンクのアフロを何食わぬ顔でかぶり、そのまま店内を物色し始めた。アフロのうなじから、ふわふわの黒髪が覗いてかなり間抜けで、どこを見ていればいいのか判断に困った。仕方なし、手近にあった鼻眼鏡を引っ掛けて、私は彼女の後について回った。
「それにしても、物凄い集まったわね」
「何がですか?」
目に付いたクリスマスオーナメントを片っ端から買い物かごに入れていたが、それでも物凄いというほどは集まっていない。
「そっちじゃなくって、人のほうよ。準備だけで50人は居たんじゃないかしら」
「あー、居ましたね。あんなに沢山居て、打ち上げはどうするんですか。普通の店じゃ入りきらないですよね」
「お店とかは借りるつもりは無かったんだけど。去年は、ほら……市民センターがあるのは知ってる?」
「市役所の脇のですか」
「うん、申請して、あそこの会議室を貸してもらったの。普段はカルチャースクールでお料理教室とかもやってるから、キッチンがついてるのよ。そこでみんなでケーキ作って、和気藹々と……それでも20人程度だったから。今年は無理ね」
50人を超えると流石に入りきらない。かといって二部屋借りるとかだと、部屋割りで揉めそうだし……と会長は唸っている。
「会長は去年も準備委員やってたんですか」
「そうよ。と言うか、大ちゃん……」大沢副会長のことである。「彼女が去年も生徒会だったから、その関係で暮れに付き合わされてね。面白かったから、別にいいけれど」
「ああ、それで、あの人あんなに慣れてるんですか」
「それにしても困ったわね。なんとかならないかしら」
「単純に委員以外の参加は断ったらどうなんですか」
「最悪の場合はそうするしかないけど……恨まれるわよね。ふむ……でもま、いいか。あたしが恨まれて済むならお安い御用かも知れないわ」
うんうんと頷きながら自分に言い聞かすように独白していた。
彼女はそれでいいかも知れないが、流石にそれは忍びない。何か代案でもないかと考えていたとき、ふとさっきの会長の言葉が過ぎった。そうとも、友達は大切にしよう。そして遠慮なく頼らせて貰おう。
「会長。もしかしたら何とかなるかも知れませんよ」
「え?」
「その代わり、一人だけ学外の奴を呼んでも構いませんか」
何しろ月山は喫茶店経営者の息子であり、商店街の子供であるから顔が広い。そこそこ活気のある商店街だからして、50人が入る小屋の一つくらい、目星がつくのではないかと私は推察した。
それに、これだけ長い付き合いである。彼が女子を紹介して貰いたがっていることも、言葉には出さなかったが、私には分かりきっていた。ならば友情に報いるのも悪くない。
判断つきかねた会長は、副会長に相談してみようとその話を一旦区切り、私たちは適当にオーナメントを調達すると学校へと帰った。余計なお世話だったことは、すぐに判明するのだが。




