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中学三年の初夏のこと

 友人の月山(がっさん)が言うには、彼はエロ本の自販機の存在を知らない。

 

 かつてインターネットの無かった時代。町の本屋の軒先に必ずと言っていいほど置いてあった、マジックミラーフィルムに覆われた異様にでっかい自動販売機。その銀色の向こう側に広がるパラダイスに思いを馳せ、筐体に(かじ)りつくように顔をくっつけて、中身を()め回すように品定めした小学生時代を誰もが経験したことであろう。


 しかしこの男は、あの甘じょっぱい気持ちが分からぬというのだ。


 夜の(とばり)が下りる頃、バックライトに照らされ仄暗(ほのぐら)く浮かび上がった、お姉ちゃんたちのパイオツを、塾帰りの重い体を引きずりつつ、俯きながらも横目でちらりちらりと目に焼き付けたあの感動も、女子に不潔と罵られながらも、誘蛾灯(ゆうがとう)のようにふらふらと筐体に引き寄せられる、あの抗いがたいトキメキも彼は知らないと言うのである。


 だが待て月山よ。貴様は木曜日にジャンプを買ってきて、クラスのみんなに回し読みさせることで一定の地位を築いたフライングセレブ、ブツの調達先は私の記憶が確かであるなら、自動販売機と言っていたはずではないか。


「いや、確かに自販機だけど、ジャンプ以外は殆ど売り切れのジャンプ専用自販機みたいなもんだぜ? それに、あんな大通りに面した場所にエロ本置かれても、コンビニで買うよりよっぽど恥ずかしいじゃないか」


「それは持っている者の傲慢だ。考えても見ろ、セブンイレブンが上陸する前の時代を。ましてやDVDどころかVHSすらなかった時代を。俺やおまえの親父は、いったいどこでどうやって性欲を処理していたと思うんだ。風俗か、ポルノ映画か、満員電車か。自販機だよ自販機。グーグルさんに頼めばどんなオッパイでも瞬時に拾ってきてくれる、今の恵まれた我々には及びもつかない、エロスを手にすることが困難な時代があったのだ」


 一部大型書店を除き、本や雑誌の流通が街角のこじんまりした本屋に限られていたころ、エロ本の流通は100パーセント対面販売に限られていた。


 しかし、バイト店員など一人もおらず、家族ぐるみで営業している街の小さな本屋ごときに、いかほどのエロスがシェアできようものか。そのラインナップは非常に少なく、中身も微妙なものが殆どを占めていた。


 おまけにそのライトエロ本を手に入れようとしたところでも、本屋の娘に(あ、この兄ちゃんまたスコラ買ってやがる……)と簡単に顔を覚えられてしまうのが関の山で、その耐え難きに打ちのめされたピュアボーイは、諦めて性犯罪に走るか、隣町のさらに隣町まで、エロ本を買うためだけに遠征をしていた時代があったのだ。


 そこへ燦然(さんぜん)と輝きを放って現れたのがエロ本の自販機である。


 自動改札機、全自動洗濯機、全自動マリオと、なんでも自動にしなければ気がすまない日本人が、エロ本の販売に目をつけないはずがなかったのである。


 こんな売る側も買う側もやる瀬の無い不毛なやり取りは、機械に変わってもらうのが一番だ。自動販売機が一般に普及して以来、エロ本の自販機もまた全国に瞬く間に広まっていった。


「なるほど、由緒正しい沿革は分かった。しかしいかんせん、現物を見てみないことにはなんとも言い難い」

「それじゃ見に行こうぜ!」


 とは、穂高の弁である。


「学校終わったら富岳(とみたけ)の家に集合な」


 と、高尾が続く。


「いやまて、何故うちなのだ。大体おまえらは現物を見たことがあるのだろう」

「自販機は見たことあるけど、買ったことないんだわ」

「自分んちの近くでエロ本買って、ご近所さんに知れたら困るから」

「俺ならいいと言うのか、こんちくしょう。つか、なに? おまえら買う気なの?」

「そりゃあ、この流れなら買うっしょ」

「わざわざ現場まで行っておきながら、記念撮影だけして帰るっての? チャリで来た。みたいな」

「ふーん、まあ別に止めないけどよ。近所の自販機まで案内してやるのも構わないが、俺は買わないぜ」

「んだよ、富岳。あんだけ熱く語ってたくせにノリ悪くね」

「俺たちが買っても、おまえにだけ見せてやらないからな」

「そうかいそうかい。しかしな、夢は夢であるから美しいんであって、手にしてしまえばただの現実になってしまう。おまえらはきっとこの言葉の意味を理解すると思うよ」

「なんだよそれ」


 つまりだ兄弟よ。あれは買うものではない、見て楽しむものなのだ。


 なにしろそのラインナップたるや、ブランコの抜けたDeNA打線のようにメリハリがないのもさることながら、せっかくここまで来たのだから何でもいいから買ってしまおうと、自分を騙し騙しガマ口を開けるまではいいが、思わず「ふぁっ!?」と言って、二度見しながら固まってしまうくらいに……


 何故か自販機のエロ本は高額なのである。




 県境と平行に走る県道と、旧都と郊外とを結ぶ国道との交差点に程近く、その本屋はあった。


 主要幹線道路のくせに二車線しかないその県道は、下道よりも幅広なのではないかと思しき高速道路の高架と、ともに走るJR線の陰に隠れて日中であっても常に薄暗く、日照権はどうなってるんだろうか? と懐疑してやまない道路の両脇に、雑居ビルがびっしりと林立していた。


 芳賀(はが)書店はその雑居ビルの一軒であった。


 四隅が埃で汚れた窓と、いつ切れてもおかしくない照明、何十年も架け替えてないのが明白な、ペンキがボロボロに剥げ落ちた看板が目印の、お客様の来店を全力で拒んでいるとしか思えない本屋である。


 その佇まいから古書店に違いないと入店すれば、思いがけず普通の本屋であることにびっくりする。しかも扱っている商品が存外古書店のそれと大差ないことを知って、二度驚かされるに違いない。


 狭い入り口のすぐ脇には関所のようにレジが置かれ、夜道で出会えば亀田三兄弟と見間違えそうなオバちゃんが、ろくすっぽ店内の掃除もせずに、来店する客に睨みを利かしていた。もちろん店内は薄暗い。


 小学校の同級生がこの書店の息子であり、一年間万引き被害がまったく無かったことを誇らしげに話していたが、売上げについては聞く気になれなかった。


 そんな切ない思い出の詰まった本屋の片隅に、隠れるようにしてそのスペースは存在した。


 亀田が(かも)し出す異様な圧迫感から逃れようと、足早に店の前を横切れば、視界の片隅にいきなり飛び込んでくる、「オモーロビデオ」の7文字。


 人一人が通るのがやっとの、ビルとビルの隙間の路地に、ブラックライトで照らされて、無駄に真白く輝いた謎の文字列が、突如浮かび上がる。


 なにがオモーロでなにがビデオなのか? 混乱する頭を()(むし)りながら路地裏を突き進むと、暗幕がかけられた怪しげなスペースがあり、その暗幕にはガムテープにマジックで、申し訳ていどに「いりぐち」と平仮名で書かれてある。


 え? なにこれ、入ってもいいの?


 と思わず周りをぐるぐる見回してしまうが、誰が答えてくれるわけもない。仕方なし、勇気を振り絞って暗幕を開けば、その奥にはでででんと、正面に2台、左右に3台ずつ、計8台ものエロ本の自販機が置いてあった。


 まるで、右を見ろ、左を見ろ、上を見ろ、馬鹿が見るといった塩梅(あんばい)の、便所の落書きじみたそれに月山は、


「なんぞこれ……」


 と脱力し、穂高と高尾は大爆笑した。


「あんま騒ぐなよ、亀田が来る」


 私は休憩所と思しき場所に備え付けられた椅子に座り、缶コーラをぷしゅっと開けて、自分には関係ないといった素振りでぼんやりと成り行きを見守った。


 友人たち3人は、はじめこそ物珍しさからはしゃいでいたが、暫くすると、


「女子高生痴漢電車――2000円、くっそ高っけっ」

「アダルト女優本番・生撮り写真集かっとび爆走レディスFUCK――2500円、だから高いっての」

「即尺、即ズボ 巨乳VS美脚――1000円、びっみょーに高いよね。あと薄くね?」


 その値段の高さに不平不満を口々に言い出した。


 それ見たことか。


 来る前に期待はするなと散々言っておいたので、冷ややかな目で見守っていたが、それでも友人たちは期待を捨て切れずに、自販機コーナーの全ての本をとっくりと見て回っていた。


「なんかこうさあ、表紙って雑誌の顔じゃん? その表紙のモデルが微妙っつーか、なんつーか」

「安心しろ、中身はもっと微妙だぞ。間違いなく表紙のお姉さんが一番の美人さんだ」

「うっへえ……」

「世の中には俺の知らないエロ本が、こんなに沢山あったんだなと素直に関心するが……いや、寧ろ知りたくなかったか」

「こんだけあっても、これってのが一つもねえ。ロリータ専科――このロリ、ほうれい線がすげえクッキリしてる」

「お姉さんのプライベート――2000円、だいたい自販機のエロ本って何でこんなに高いんだ?」

「流通が限られてて希少ではあるが……人間モトクロス――レアすぎるだろ」

「ロッテvs日本ハム…………え?」


 ぼんやり眺めるのもつかの間、友人たちのテンションも駄々下がり、そろそろ帰り支度かなと、私はスマホを取り出して写メアプリを起動した。チャリで来たフレームも準備万端である。


 月山と穂高はもう白けムードで、同じく休憩所に腰を下ろすと缶ジュースを飲み始め、スマホをいじる私の行動を眺めていた。だが、高尾だけがまだ納得出来ない様子で、


「あーくそ、あーくそ」


 と言いながら、財布をパカパカやりだした。


 もしかして買うのかなと見てみれば、どうやらそのつもりらしく、えいやと勢いよく千円札を取り出して、手近な自販機に投入するのである。


 諦めが悪いなあ……などと思いながら三人揃ってジュースをあおると、


『イラッシャイマセ』


「うをっ! びっくりしたっ!!」


 自販機が喋りだし、不意を突かれた高尾が仰け反り、月山と穂高がブゥーーー!! っと、ジュースを噴出した。


「ちょっ! きったねえな。何してんの」


 突然の出来事に抗議をするが、友人たちは聞きやしない。


「えええええええ!? しゃべんのかよ、あれ! 台無しじゃん」

「問い詰めたい。なんのための自販機なのかと、小一時間」

「なんつー非人道的な機械だよ。やべえ、ツボ……ツボった。あっはっはっはっは!」


 高尾は一番ツボったらしく、自販機の前で腹を抱えて笑い出した。私はいまいち理由が分からず、何がそんなにおかしいのかと問う。


「だっておまえ、例えばコンドームの自販機がべらべら喋りだしたらどうすんよ」


 なるほど、薬局で堂々と買うならいざ知らず、人目を避けて買おうとしている自販機に喋りだされたらたまらない。


 思えばいつからエロ本を買おうがエロビを買おうが、動じないメンタルになってしまったのだろうか。涙を流しながら爆笑する高尾と見比べ、汚れちまった我が身を憂う。


 結局、それが契機となって買う気が再燃してしまった友人たちは、千円札を出し合い、私に向かって、


「100円よこせ」


 それで勘弁してやると手を差し伸べた。


 もちろん、それを拒否るほど無粋ではない。私はポケットの中にむき出しでじゃらじゃらさせていた100円玉を取り出して、親指でぴんと弾いた。


 アダルト女優本番・生撮り写真集かっとび爆走レディスFUCK、2500円也。


『アリガトウゴザイマシタ』


 律儀に礼を言う自販機をバンバン叩きながら商品を取り出すと、私たちは肩を寄せ合って回し読みした。馬鹿馬鹿しいとは思いつつも、みんなで金を出し合って買ったエロ本であるから愛おしい。


 手に持ってみると薄いわりにはずしりと重かった。一応、高価なだけあって、フルカラー印刷であるらしい。しかし表紙の女優からして見たことも聞いたこともなかったが、中身はもっとひどかった。


 特売セールで売られてそうな、一山いくらのおばちゃんが次から次へと、まるで裸婦デッサンモデル集みたいなポーズですまし顔をして現れる。


 無駄に光沢のあるページには、少年漫画誌の煽り文句のようなやたらと熱いキャッチフレーズと、女優のプロフィールなりが書かれていたが、いくらググって見ても、そんな女優の情報は検索に引っかからなかった。


 なんだこれは、詐欺か。AV女優と違うのか? そもそも本番もかっとびもファックもどこいった。


 タイトルをもう一度見直してみる。


 よく見ればアダルト女優とは書かれてあるが、AV女優とはどこにも書かれていなかった。


 因みにご丁寧なことに、表紙の子だけはドマイナーではあるが現役AV女優であったのだが、中身には一切登場しない。つまりそう言うことである。


 巧妙な罠に怒りを覚えるよりは、その編集根性に寧ろ好感が持てるから不思議である。


 そんな具合に男四人が休憩所に陣取って、ゲラゲラ笑いあっていたら、入り口の暗幕がゆらりとうごめき、不機嫌そうな顔を隠そうともしない亀田が鋭い眼光を飛ばしながら現れ、


「ちょっとあんたたち、どこの学校? 成人コーナーは18歳未満お断りなんだけど」


 とドスをきかせて抗議してきた。どうやら騒ぎすぎたらしい。


 その迫力にびびったのはもちろんだが、こんなしょぼいエロ本のことで説教を食らうのもごめんである。おまけに、私以外は制服であり、どこの学生であるかばればれだった。私たちは口々に謝罪を口にすると、三々五々逃げ出した。


 亀田の脇をすり抜けて、狭い路地裏を飛び出し、昼間でも薄暗い道を全速力で駆け抜けた。途中、駅と私の家との分かれ道で、先頭を走ってた私と、後ろの三人が別々の方向へと分かれ、


「あ、おい! 待てよ、このエロ本どうすんだよ」


 一人、取り残される格好になった私は声を張り上げる。


「明日学校持って来いよ!」

「今日は貸してやるから、しっかりな!」

「寧ろノルマな、意地でも頑張れ!」

「押し付けんな! おいこら、戻って来い!」


 出したお金の貢献度から、私が預かるのが一番ありえないはずだが、罰ゲーム的な理由で押し付けるつもりのようだった。打ち合わせもしていないだろうに、息の合った嫌がらせに、唖然としていると、更にスピードを上げて友人たちは駅へと駆けていった。


「じゃーなあーー!!」

「ざっけんなあー! 持って帰れよっ!」


 エロ本を振り上げ怒鳴るが、それで止るような奴らではない。


 もはや見分けがつかないくらい小さくなった背中に呪詛(じゅそ)を吐き、地団太を踏んでいると、道行く人々の軽蔑の視線が突き刺さる。むき出しのエロ本片手に大騒ぎしてたら当たり前である。


 しかし奴らとは違い、一旦家へと帰った私はカバンの一つも持っていない。


 窮地に立たされ、ゴミ箱に放り込んでやろうかとも思ったが、それはそれでものすごい嫌味を言われるに決まっている。


 仕方なく、私は洋服のすそをたくし上げ、腹に抱えるようにしてエロ本を隠し、背中を丸めて逃げ出した。


 こんな姿は小学校のとき、雑木林でエロ本を拾ったとき以来である。


 懐かしいやら情けないやら、複雑な気分で駆け抜けた。


 オー、ジーザスと天を仰ぐと、灰色のおぼろ雲が広がっていた。


 晴天の、穏やかな風が吹く、中学三年の初夏のことである。


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本作が映画になりました。詳しくは下記サイトにて。2月10日公開予定。
映画「正しいアイコラの作り方」公式サイト
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