恒久のウロボロス
ぬるいですがグロ、流血描写があります
「お嬢さん、アタシを食べてくれないかい?」
真っ黒で大きな蛇は言った。
茂みから出てきた大蛇は、座り込んでいた私のまわりに体を持ってくる。
一周しても体が余っていた。まだ尻尾は見えない。
どうしてヘビを食べなくてはいけないのかと問う。
「生きるためさ」
「食べられたら死んじゃうじゃない」
もし、私がこのカッターナイフで蛇の胴を突き刺せば、きっと……まず、鱗に刃が当たる。皮を突き刺して、肉の中を進んで、もしかしたら骨も切ってしまうだろう。
でもこのカッターナイフでは小さすぎて、大蛇を貫通することが出来ない。
だけど、痛いだろう。
もし、私が逆の立場だったら、突きつけられただけで逃げ出してしまいたい。皮が破れれば悲鳴を上げ、肉が傷つけば泣き出して、いや痛みで気絶してしまうかもしれない。
だから、わからなかった。
どうしてこの蛇が自分を食べてくれと言っているのか。
「アタシはね、生きたいんだよ」
蛇は赤い舌を出した。
眼前にある蛇の顔は笑っている気がした。
「アタシは龍になりたかったんだ。でもね、もうこれ以上生きられそうにない。だからアタシを食べて欲しいんだ」
蛇の顎が、鈍く光る刃に触れた。
これで首を落とせばいいのか、私に蛇を殺せというのか。
刃から首を離すと今度は私の腹へ、まるで子供が甘えるように頭を摩り付けてくる。
「食べておくれよ。アンタがアタシを食べてくれれば体はなくなってしまうが、アタシはアンタの中で生きられるようになる」
腹に触れたまま喋るので、声が体の中に響く。
それが地響きを体の中で起こされているようでとても気持ちが悪い。
「アンタが子供を産めばその子供にもアタシがいる。その子供にも、そのまた子供にも、アタシは永遠に生きられる」
蛇の首が膝の上に落ちた。膝枕だが、相手は蛇だ。
「そして、いつか龍になれる」
少年が夢を語るように熱く、憧れの人を語る少女のようにとろけた声で、そんなに生きるという事が、龍になるという事が重要なのだろうか。
私には、わからない。
「私が死んだらどうする? 生きていたとしても子供を作らなかったら、そこでお前は終わってしまう」
「どうしてそんな事を言うんだい? 生きることは生まれた時から決まっている事じゃないか、種を育み、芽が出て、蕾なって、花が咲く、そしてまた種になり、また芽が出る。誰だって出来ることじゃないか」
それが人の一生だというのなら私の花は枯れてしまった。
その誰でも出来ることが出来なかったのだ。
「アンタはまだ種が出来てない、花も咲いてない、咲かせなさい。その花にアタシの色をほんの少しだけ入れておくれ」
蛇は首を上げた、真っ黒な二つの目が私をじっと見ている。
細長いイメージがあった瞳孔は丸い、どうしてか全部見透かされているかのような気がしてくる。
「さあ、食べておくれよ」
手が震えた。
今にも落としてしまいそうなほど、刃先が震え、銀色が鈍る。
それでも頭はスッキリと冴えていて、次にすべきことが分かっていた。
私は、カッターを持つ手て力を込めると、真正面にあった蛇の首に突き刺した。
蛇の体が地面に倒れる。違う、自分から倒れたのだ。
私が切りやすいように。
刺さったままのカッターに力を込め、さらに奥へ奥へと入れていく。肉に開いた穴から赤い血があふれてきた。
肉を貫く感触は、加工された肉なんか比べものにならないほど固く、なかなか奥へといかない。
もう握った手が痛くなってきたが、休むのは嫌だった。
自分の首に穴が開いているというのに、悲鳴をあげることなく、暴れることもせずに、蛇はそこに横たわっていた。
痛いだろうから、早く終わらせてあげないと。
カッターの刃が進まなくなる。ガリ、ガリと固いものにあたる音がした。骨に到達したようである。
持ち方を変え、刺したままの刃を、今度は横に引っ張った。
安物のカッターではうまく切れない、だから力で無理やり切るようにして、蛇の首を一周させた。
皮と肉が切断され、最後に体をつなぐのは骨であった。
こればっかりはカッターでは切れそうになかったので、近くにあった手のひらほどの石を掴み、骨に向かって振り下ろした。
何度も、何度も石をぶつけた。
肉の間に手を入れなければいけなかったのは、少し嫌だった。振り下ろすたびに右手が真っ赤に染まる。
もし、この様子を人に見られたら私はどうなるのだろうか。
どんな罪に問われるのだろうか。
なんて、ここには誰もきやしないけど。
鈍い音をたてて、骨が割れた。
切断された首と体の両方から流れる血、まだ動いている体。
首だけになった蛇が、笑った。
放り投げていたカッターを拾い、丸太の様に大きな体から、すっかり切れ味のなくなった刃で食べれる分だけを切り取る。
切り取られた肉は、これだけ見ると大きな白身魚の切り身のように見える。
ガサガサと茂みが揺れる。
小さな蛇、多分この私が殺した蛇と比べれば普通のサイズだろう、その蛇が、残った体に群がってきたのだ。
蛇だけではない、今までどこにいたのやら、ただの肉になった体にはどんどん動物が群がってくる。
その様子は食事ではなく、例えるならば葬式のようだ。
焼香をするわけでも、坊主が経を読み上げるでも、讃美歌も聖書も花もない。
でも、この動物は弔っているのだ。食べるという事で、自分の中に蛇のかけらを宿すことで。
いつかは龍になれるだろうか。ここにいるものの中で誰が千年、二千年と蛇の魂を受け継がせる事が出来るだろうか。
あっという間に蛇は骨になっていく、皮も残してはいない。唯一肉の残っていた頭は一番体の大きな獣が、果物でも食べるように肉を齧り、脳髄をすすり、骨を残した。
さすがに骨は食べられない。
木の枝で地面を掘って、そこに骨を埋めた。
血と土で手が真っ黒になってしまった。気持ち悪いはずなのに、嫌な感じはない。
生で食べるのは躊躇われたので、木の葉を集めてライターで火を付ける。切り取った肉を、さらに小さく切って細い枝に刺し、燃える炎のそばに刺しておく。
ほとんどの動物たちがどこかへ行ってしまったのに、小さな蛇はずっとそこにいた。
全部私の方を見ていて、まるで、私が食べるのを待っているようだ。
ジリジリと油を落としながら、さっきまで生きていたものは美味しそうな匂いを辺りに漂わせる。
蛇の肉はあまりおいしいものではなかった。
ものすごく泥臭い鳥の肉を食べているようで、なんていっても塩も醤油も持っていない、味付けのない食べののを食べるのは苦痛だった。
でも、一口ずつよく味わって、子供の頃言われていたように、よく噛んで、その肉の一かけらだって味を忘れないように食べた。
食べている内に涙があふれてきた、涙のせいなのか肉に塩味がつく。
龍になりたいと自らを殺した蛇の味を忘れる訳にはいかないから。
最後の一口を飲み込むと、小さな蛇はいなくなっていた。あの蛇たちも種を育むのだろう。そして、永遠に生き続ける。
まるでウロボロス。
飲み込んだ蛇は私の肉となり、血となり、次の種へと受け継がれていく。
ならば私も永遠に生きるのと一緒なのだ。
あまり、嬉しい考え方ではないけど。
乾いた血が張り付いた刃を手首に当てる。
勢いよく引いても血どころか、皮一つ切れる気配はない。完全に鈍になってしまったようだ。
蛇を埋めた土の上に、それを墓標のように刺す。もうそれは私には必要のなくなったものだから。
焚き木に土をかけ、葬式会場を後にした。
口の中は泥臭い。
もし、またこんな機会があるのならハーブとスパイスでおいしく食べてやりたい。もう二度とこんなことはないだろうけど。
「もう少し、待っててね」
私は前からあった癖の様に、お腹をさすった。