表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界金融帳実務録 ~転生銀行員が金融知識で成り上がる~  作者: しじむ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/61

偽貨の列と締めのズレ#6

 その日から、俺はレギス・レジャーの見習いとして働き始めた。

 朝、石畳の通りに出ると、露店の焼き麦の匂いと、馬糞の酸っぱい匂いが混ざって鼻を刺す。遠くで鐘楼が鳴る。その鐘の間合いが微妙に歪んでいるのが、もう耳に馴染んでしまっている。現世では、時間は正しいのが当たり前だったが、ここでは「大体」だ。


 最初の仕事は、ミラの手伝いだった。

 ミラは帳方の見習いで、窓口で受け取った銀貨を記録し、金庫に納める役割を担っている。

 だが、彼女一人では手が回らない。

 窓口の担当者は三人いて、それぞれが好き勝手に記録を書く。

 それを集めて、整理して、金庫の実数と照合する。


 ——これを、ミラは毎日やっている。


 窓口の前では、硬貨が皿の上で跳ね、金属音が響く。指の腹に残るシルバの冷たさ。革袋を開けた瞬間の湿った匂い。たまに混じる怒鳴り声。

 ミラはその全部を受け止めながら、帳面を丁寧に整えようとしている。だが、現場は容赦なく彼女の丁寧さを削ってくる。


 そして、毎日のように帳面が合わない。合わない数字の裏には、必ず理由がある。


「レオンさん、これ、どう思います?」


 ミラが困った顔で帳面を見せてきた。

 彼女の指先が少し震えている。


「この行、数字が消されてるんですけど……」


 俺は帳面を見た。

 確かに、インクで数字が塗りつぶされている行がある。黒い染みが紙に沈んで、そこだけ紙が波打っている。消した人間の焦りまで滲み出てるみたいだ。


「たぶん、書き間違えて、上から塗ったんでしょう」


「でも、元の数字が読めないです……」


 ミラの声が小さくなる。


「光に透かしてみてください」


 ミラは帳面を窓の光に透かした。

 朝の斜光が紙の繊維を浮かび上がらせ、インクの下の筆圧が影になる。


「あ……読めます! 『シルバ×15』って書いてあります!」


「じゃあ、それを記録しておいてください。で、横に『訂正あり』って注釈を入れておく」


「わかりました!」


 ミラは嬉しそうに帳面に書き込んだ。

 その笑顔を見て、俺の胸の奥が少しだけ温かくなる。現場は、こういう小さな成功でしか持たない。俺は彼女の様子を見ながら、思った。

 この子、真面目だな。

 ちゃんと教えれば、伸びるタイプだ。

 ただし、伸びる前に折られないように、守り方も用意しないといけない。


「ミラさん」


「はい?」


「一つ提案なんですけど、帳面の書き方、統一しませんか?」


「統一、ですか?」


 ミラの目が一瞬泳ぐ。統一というのは、現場にとっては面倒になりがちだ。だが、面倒を先にやることで、後の混乱が消える。


「はい。今は担当者によって書き方がバラバラですよね。それが、集計ミスの原因になってる」


「確かに……」


 ミラは帳面の端を無意識に指で押さえる。


「だから、書式を決めるんです。たとえば——」


 俺は手近な紙を取り、書いてみせた。


 ------------------------------------------------------------

 日付 | 時刻 | 商人名 | シルバ枚数 | 担当者名 | 備考

 ------------------------------------------------------------


「こういう表を作って、全員にこの形式で書いてもらう。そうすれば、集計が楽になります」


 ミラは目を輝かせた。


「それ、すごくいいです!」


 その反応に、俺は少しだけ笑ってしまう。現世だと、こういう提案は「とりあえず検討します」で終わることが多い。だがここでは、すぐに現場に落とし込めそうだ。ゼロから作れる世界は、やっぱり面白い。


「ですよね。じゃあ、実務長に提案してみましょう」


「はい!」


 俺たちは実務長のところに行き、提案した。


 実務長は最初、渋い顔をしていたが——

 眉間の皺が深く、目は疲れている。現場の責任者の目だ。


「……まあ、試してみる価値はあるか」


 そう言って、承認してくれた。

 誰かが「やっていい」と言ってくれるだけで、現場は前に進める。許可のない改善は、ただの反抗になり得る。


「よし。明日から、この書式を使え。担当者たちにも伝えておく」


「ありがとうございます!」


 ミラは嬉しそうに頭を下げた。

 俺も頭を下げた。

 頭を下げながら、俺は内心で別のことを考えていた。


 そして——その日の夕方、窓口が閉まった後、俺は金庫の前で立ち止まった。

 昼間の喧騒が嘘みたいに静かで、金庫の扉だけが鈍い光を返している。空気はひんやりして、金属と石の匂いが濃い。

 金庫の奥に、あの七つ星の印章がついた扉がある。


 セブン・ヴォルトの倉庫。


 あの印章を見ると、胸の奥がざらつく。


 あの中には、何が入っているんだろう。

 そして——ひょっとすると、あの偽貨は、ここから流れてきているんじゃないか。

 俺はそんなことを考えながら、扉を見つめていた。

 すると——背後から声がした。


「何を見てるんだ?」


 振り向くと、実務長が立っていた。


「あ、いえ……あの扉のことが気になって」


「ああ、セブン・ヴォルトの倉庫か」


「はい。彼ら、ここで何をしてるんですか?」


 実務長は腕を組んだ。


「両替と、約束札の保管だ」


「約束札?」


「ああ。商人たちが使う、約束の紙だ。『後で払う』って約束を紙に書いて、それを担保に取引する」


「なるほど……」


 ——つまり、現世で言う手形取引の仕組みか。


「で、その約束札を、セブン・ヴォルトが保管してるんですか?」


「ああ。彼らは街で一番大きい商会連合だからな。信用もある。だから、みんな彼らに約束札を預ける」


「……ということは、彼らは街の商人たちの約束を全部把握してるんですね」


「まあ、そういうことだ」


 実務長は少し苦い顔をした。


「本当は、俺たちがそれをやるべきなんだが……うちには、そこまでの信用がない」


「信用、ですか」


「ああ。帳面が合わない、記録が曖昧、締めの時間がズレる——そんな組織を、誰が信用する?」


 実務長は自嘲気味に笑った。


「だから、セブン・ヴォルトに頼るしかないんだ」


「……でも、それって危なくないですか?」


「何がだ?」


「彼らに依存しすぎると、彼らに支配されます。情報も、金も、約束も、全部彼らが握ることになる」


 実務長は黙った。

 そして——しばらくしてから、ぽつりと言った。


「……お前の言う通りだ」


「だったら——」


「だが、今のうちには、それを変える力がない」


 実務長は俺を真っ直ぐ見た。


「だから、お前には少し期待してるんだ」


「俺に?」


「ああ。お前は、物事を整理するのが上手い。仕組みを作るのも上手い。そういう奴が、今のうちには必要なんだ」


「……」


「だから、うちをまともな組織にしてくれ」


 実務長はそう言って、俺の肩を叩いた。


「期待してるぞ、レオン」


「……わかりました。やってみます」


 俺はそう答えた。

 だが——心の中では、少し不安だった。


 ——俺一人で、この組織を変えられるのか?


 しかも、敵は内部にもいる。

 セブン・ヴォルトは、この街の金と情報を握っている。

 奴らを相手に、どうやって戦えばいい?

 だが——同時に、こうも思った。


 ——これは、やりがいのある仕事だ。


 現世では、俺は既に出来上がったシステムの中で働いていた。

 ルールは決まっていて、手順も決まっていて、俺はそれを守るだけだった。

 だが、ここは違う。

 ルールも、手順も、何もない。

 全部、ゼロから作れる。

 それはそれで——とても、面白い。

 俺は拳を強く握った。

 よし、やってやろう。


 この世界で、戦わずに勝つ仕組みを作るんだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ