消えた担保品#3
俺は実務長室の前に立った。廊下は石造りで、足音がやけに大きく響く。俺は一度だけ息を吸い直し、扉を叩いた。
「入れ」
いつも通りの短い返事。それが逆に怖い。実務長の声は、現場が荒れているほど低くなる。
俺は実務長室に入ると言った。
「実務長、大変です!」
実務長は書類から視線を上げた。机の上には、封印札の束と、担保品の目録、それに未処理の稟議が積まれている。
「どうした?」
「担保保管室に、セブン・ヴォルトへの隠し通路があります!」
言った瞬間、自分の声が少し上ずったのが分かった。実務長の眉が跳ねる。椅子が床を擦る音がした。
「何だと!?」
立ち上がる動作が速い。
「本当か?」
「はい。壁の板が外せます」
「すぐに確認する」
実務長の口調は短い。頭の中で、担保品の目録と、封印の番号が一気に並んでいるのだろう。俺も同じだった。失くなったルビー。あれが、偶然の紛失で済むはずがない。
俺と実務長は、担保保管室に向かった。
廊下を曲がると、冷気が増す。担保保管室は金庫の近くにあり、人の気配が薄い。扉が開くと、湿った木と金属の匂いが鼻をつく。
中に入ると、俺は、壁の板を外して見せた。
板の端は、指が掛かるように、ほんの僅かだが削られていた。普通の壁板なら、こんな加工はしない。俺は爪を引っかけ、息を止めて引いた。釘があるはずの場所が、やけに軽く外れる。木がきしむ音。板が手前に倒れ、奥に黒い隙間が口を開けた。
実務長が、向こう側を覗く。
肩が、ほんの少しだけ固くなり、じっと動かない。俺はその背中を見ながら、嫌な汗が背筋を伝うのを感じた。隙間の向こうは、こちらより暗い。湿った空気が流れ込んでくる。
「……確かに、セブン・ヴォルトの倉庫だ」
低い声で言い切る。
「これで、担保品を盗んでいたんです」
口に出すと、怒りが形になる。担保品は、ただの物ではない。人の信用そのものだ。
「まだ、セブン・ヴォルトは営業停止中のはずだが……」
その言葉に、別の怖さが混じる。相手は止まっていなかった。むしろ、止められたからこそ、闇に潜ったのかもしれない。
「倉庫は、使えるんでしょう」
「なるほど……」
実務長は、険しい顔をした。
腹が決まった顔だ。
「レオン、これは侯爵様に報告しなければならん」
「はい」
「だが、その前に——証拠を固めよう」
「証拠……」
「ああ。この隠し通路を記録する。そして、セブン・ヴォルトの倉庫に、盗まれた担保品がないか確認する」
「わかりました」
言った直後に、俺は。この世界に、写真が無いことを思い出した。だが、やるべきことは変わらない。再現できる形で残す。後から否定されない形で残す。
絵師を呼んで、隠し通路を絵に残してもらった。
絵師は、文句を言いながらも手が速かった。板の外し方、隙間の位置、通路の角度、向こうに見えた棚の並び。こちらが指示しなくても、現場の重要な点を拾ってくる。俺は絵の端に、日付とベル、立会人の名を添えた。
そして——侯爵様に許可を取り、セブン・ヴォルトの倉庫を調査した。
許可なしの調査は、逆にこちらが責められる。実務長が侯爵の書記官に会い、俺は倉庫の調査項目を短くまとめ、守衛の配置まで段取りした。
調査の結果——ルビーは見つからなかった。
やはり、あれだけは先に動かしたのか。価値が高い物ほど、金庫の外に出すのも早い。俺は悔しさを飲み込み、次に目を向ける。ここで感情に引きずられると、見落とす。
他の担保品——金の腕輪、銀の燭台——が見つかった。
燭台は目立つが、腕輪は小さい。種類が違うのに、同じ場所にある。盗んだ物をすぐ売るのではなく、火が消えるのを待つ。そういう手口だ。俺は絵師の図と照らし合わせながら、見つかった棚の位置を記録した。
これらは、レギス・レジャーから盗まれたものだった。
俺はようやく、背中の冷たさが少しだけ引いたのを感じた。
「証拠は揃いました」
そう言うと、実務長は黙って頷いたが、黙る時間が短い。
「よし。侯爵様に報告しよう」
俺たちは、城に向かった。
城へ向かう道は広いのに、今日は狭く感じた。人の視線が刺さる気がする。
城壁の影が長く伸び、衛兵の視線が刺さる。報告の場はいつもそうだ。言い訳も雑音も許されない。
侯爵様は、報告を聞いて激怒した。
顔色が変わり、机を叩く音が響いた。怒りは当然だ。俺は余計な言葉を飲み込み、必要な事実だけを順に並べた。
「セブン・ヴォルトは、まだ不正を続けていたのか!」
「はい、侯爵様」
「営業停止中にもかかわらず、盗みを働くとは……許せん」
侯爵様は、立ち上がった。
「セブン・ヴォルトの代表者——ハインリヒを、再び裁く。そして、今度は厳罰に処する」
厳罰。言葉としては強い。だが、それで終わりではない。必要なのは、穴を塞ぐこと。
「ありがとうございます」
「それから、レオン・ミナト」
「はい」
名を呼ばれると、背中が熱くなる。視線が集まる。
「お前の担保品管理制度——封印、立会人、記録——これらを、街の全ての金融機関に義務付ける」
「本当ですか!」
思わず声が上ずる。制度の義務化は敵も味方も増やす。現場の反発も出る。だが、ここで引けば二度と広がらない。
「ああ。お前の仕組みは、素晴らしい。これを広めれば、街全体の信用が高まる」
「ありがとうございます!」
俺は、深く頭を下げた。
だが——侯爵様は続けて言う。
「ただし、一つ警告がある」
「警告……?」
喉が乾く。良い話の後の警告は、だいたい重い。
「ああ。教会が、動き始めている」
「教会……」
「大司教ベルンハルト——彼が、レギス・レジャーの調査を示唆している」
「調査……?」
俺の頭の中で、いくつもの最悪が並び始めた。窓口が止まる。預かりが逃げる。現世と同じ構造だ。違うのは、相手が宗教だということ。理屈で折れない。
「ああ。『時間代は、神の教えに反する』——そう主張している」
「……」
俺は、拳を握りしめた。
時間代。俺たちの仕組みの要だ。それを罪と言われたら、制度ごと壊れる。
「どうすれば、いいですか?」
声が自分でも硬いのが分かった。
「今は、何もするな」
侯爵様は、厳しい顔をした。
「教会と戦うのは、容易ではない。下手に動けば、お前が潰される」
「ですが——」
「待て。時機を見極めろ」
「……わかりました」
俺は、頭を下げた。
城を出た瞬間、外の空気がやけに軽く感じた。だが、それは錯覚だった。軽くなったのではなく、俺の中の重さが別の形になっただけだ。
城を出た後、実務長が言った。
「レオン、侯爵様の言う通りだ。教会とは、まだ戦うな」
「ですが、時間代を禁止されたら——」
言い終わる前に、自分の声が震えているのに気づいた。俺は怒っているのか、恐れているのか。たぶん両方だ。
「その時は、考えよう」
実務長は、俺の肩を叩いた。
叩き方が強くない。同じ側に立つ合図だ。
「今は、担保品の管理を完璧にしろ。それが、お前の仕事だ」
「……はい」
俺は、レギス・レジャーに戻った。戻る道の喧噪が、今日は遠かった。
戻ると、いつもの雑音がある。硬貨の音。紙の擦れる音。現場は回っている。その回転を止めないことが、今は一番の防御だ。
そして——担保保管室の隠し通路を、板で塞いだ。
釘で固定し、蝋で封印した。
封印蝋が固まるまでの短い時間、俺は指先を動かさずに見つめた。
塞げば終わりではない。誰が見ても同じ結論になる必要がある。
俺はミラと守衛に確認させた。
「これで、もう盗めませんね」
ミラの声は明るい。だが、目は真剣だ。彼女も分かっている。盗めない形を作るのは、最低条件だ。
「ええ」
だが——俺の心は、晴れなかった。
教会の脅威——それが、迫ってきている。
大司教ベルンハルト。
彼が、時間代を禁止すれば——レギス・レジャーの仕組みは崩れる。
どうすれば、いいのか?
俺は、窓の外を見た。
夕日が、街を照らしている。
戦いは、まだ続く。
だが——今は、目の前の仕事に集中しよう。
担保品の管理。
封印制度の徹底。
信用の構築。
——それが、今の俺にできることだ。




