消えた担保品#2
「実務長、大変なことになりました」
扉をノックして入った瞬間、自分の声が少しだけ上ずっているのが分かった。喉の奥が乾いていて、言葉が引っかかる。執務室の空気は、いつもより重い。机の上には未処理の伝票と封蝋が散らばり、窓の外からは遠い鐘の音と市場のざわめきが薄く入り込んでくる。
「何があった?」
実務長は書類から目を上げただけで、身じろぎもしない。けれど、その目は鋭く、こちらの表情の変化を拾いに来ている。背筋が勝手に伸びる。
「担保品が、紛失しました」
自分で言っておきながら、その言葉の重さが胸に落ちてくる。
「紛失……?」
実務長の顔が、険しくなった。眉間にしわが寄り、口元が薄くなる。
「詳しく話せ」
俺は、ギュンターのルビーのことを説明した。預け主がどんな調子で来たか、評価額、保管場所、確認の経緯。ここで曖昧にすると、事故はただの混乱に姿を変える。
実務長は、深刻な顔で聞いていた。途中で何度か手元の紙に短く書き込む。紙の端が少しだけ擦れ、羽ペンの音が小さく鳴る。
「……まずいな」
「はい」
「担保品の紛失——これは、信用を失う大問題だ」
「わかっています」
信用を失う、という言葉は抽象的な意味ではない。この噂は市場に広がる。預かりは減る。支払いは滞る。全部が一本の糸でつながっている。
「すぐに、対策を立てろ」
「はい」
俺は立ち上がり、一礼をして部屋を出た。廊下に出た瞬間、肩の力が抜けそうになる。
俺は、執務室に戻り、対策を考え始めた。担保品の紛失——なぜ起きたのか?原因を突き止めなければ、再発する。再発したら、今度こそ終わる。
まず、担保保管室の鍵は誰が持っているのか?鍵が複数ある時点で、責任の所在が曖昧になる。責任が薄まる場所に、必ず穴が開く。
俺は、ミラに聞いた。
「ミラさん、担保保管室の鍵、誰が持ってますか?」
ミラは書類の束を抱えたまま、少し驚いた顔をした。普段は明るいのに、今日は口を開くまでに一拍置く。
「えっと……実務長と、グレアムさんと、あと……ダリウスさんも持ってます」
「三人も?」
口にした瞬間、嫌な確信が強くなる。三人が悪いわけじゃない。だが、三人もいれば誰かが見ているだろうという妥協が生まれる。
「はい」
「なぜ、そんなに多いんですか?」
ミラは視線を少しだけ逸らし、思い出すように言った。
「以前は、担保品の出し入れが頻繁だったので……誰でもすぐに開けられるように、複数の人に鍵を渡したんです」
「それは……まずいですね」
言い切ると、ミラが不安そうに眉を寄せた。
「まずい……ですか?」
「ええ。鍵を持つ人が多ければ、管理が杜撰になります。誰が、いつ、何を出し入れしたか——わからなくなります」
俺はできるだけ難しい言い方を避けた。要は単純だ。入口が多いと、足跡が見えなくなる。
「なるほど……」
ミラの声が小さくなる。自分が関わっている仕組みが、今の事故につながっていたかもしれない。その自覚が、表情を硬くしている。
「だから、鍵を持つ人を減らします。そして、出し入れの記録を必ず残します」
「わかりました」
ミラは頷いた。頷き方が少し固い。緊張しているのが伝わる。
俺は、新しい管理制度を考え始めた。紙を広げ、項目を並べる。大事なのは、誰でも同じ手順で動けること。人の善意や記憶に頼らないこと。事故は、「油断」と「慣れ」で起こる。
--------------------------------------------------
【担保品管理制度(改訂版)】
1. 鍵の管理
・担保保管室の鍵は、帳方主任のみが保持する。
・他の者が鍵を使う場合は、帳方主任の許可が必要。
2. 出し入れの記録
・担保品を出し入れするときは、必ず以下の記録を残す:
-日時
-担当者
-品名
-理由
-立会人
3. 立会人制度
・担保品の出し入れには、必ず立会人を置く。
・立会人は、帳方主任以外の行員が務める。
・立会人は、出し入れを確認し、記録に署名する。
4. 封印制度
・高額な担保品(評価額シルバ100枚以上)は、封印する。
・封印は、紐で縛り、蝋で封をする。
・封印には、帳方主任の印章を押す。
・封印が破られていれば、不正があった証拠となる。
5. 定期点検
・毎月末日に、担保品の全数点検を行う。
・目録と実物を照合し、不一致があればすぐに報告する。
--------------------------------------------------
「これで、どうでしょう」
俺は、ミラに見せた。
ミラは紙に目を落とし、上から下までゆっくり追っていく。途中で唇が少し動く。頭の中で手順をなぞっているのだろう。
「わあ……すごく厳格ですね」
「ええ。これくらいしないと、また起こります」
言いながら、自分の中でもう一度確かめる。厳格に見えるのは、これまでが緩すぎたからだ。預け主の不安に比べれば、行内の手間など小さい。
「でも……立会人って、誰がやるんですか?」
ミラが顔を上げた。
「ミラさん、あなたです」
「わたし……?」
声が裏返りかけるのを抑えた。自信がないというより、責任が怖いのだ。
「ええ。あなたは、真面目で信頼できる。だから、立会人をお願いします」
褒めるのではない。理由を伝える。理由があれば、人は踏み出せる。
「わかりました……」
ミラは、少し緊張した顔で頷いた。頷きの後に小さく息を吐く。覚悟を決めた息だ。
俺は、制度を正式な書類としてまとめ、実務長に提出した。
「実務長、新しい担保品管理制度を作りました」
実務長は、制度を読んだ。紙をめくる音が、やけに大きく聞こえる。目線が速い。現場の人間の読み方だ。必要な箇所だけを刺すように拾っていく。
「……よくできてる」
「ありがとうございます」
少し肩の荷が軽くなる。だが、まだ終わりではない。制度は導入してからが本番だ。
「だが、これは厳しいぞ。担当者の負担が増える」
「ですが、必要です。信用を守るためには」
言葉に力が入る。いま守るべきものは、ルビー一個じゃない。信用だ。
「……そうだな」
実務長は、頷いた。
「わかった。この制度を導入しよう」
「ありがとうございます」
「ただし、一つ条件がある」
「条件?」
実務長の目が細くなる。温度のない目だ。
「お前が、責任を持て」
「……はい」
俺は、頷いた。
「担保品の管理は、全て俺の責任です」
声に出した瞬間、胸の奥が少し熱くなる。逃げ道が消える感覚。だが、逃げ道がないほうが集中できる。
「よろしい」
実務長は、表紙に承認印を押した。蝋の匂いが一瞬だけ立つ。印章が紙に沈む音が、決定の音だった。
俺は、さっそく制度の実施に着手した。まず、鍵の回収。ここが曖昧だと崩れる。鍵を集めるだけで、現場の空気は変わる。不便になるからだ。そうすると、不満が出る。だから、先に理由を言う。
グレアムとダリウスから、担保保管室の鍵を回収した。
「すまないが、これからは俺が一元管理する」
二人の表情を観察する。反発があれば、その場で調整する必要がある。だが意外にも、二人は視線を交わし、すぐに頷いた。
「わかった」
二人とも、素直に鍵を渡してくれた。これまで散らばっていた責任が、今、俺の手に集まった。
次に、封印の準備。封印用の紐、蝋、印章——これらを用意した。倉庫から紐を選び、蝋の塊の割れ目を確かめ、印章の彫りの欠けがないかを確認する。細かい確認は、手間がかかるが裏切らない。
そして、担保保管室の全ての担保品を再点検した。
担保保管室は、外の喧噪と切り離されたように静かだった。石壁が音を吸う。棚には小箱や布包みが整然と並んでいるはずなのに、見えない乱れを想像してしまう。棚の影が濃く見える。空気が少し冷たい。独特な湿り気が、蝋の匂いと混じって、鼻に残る。
ミラと一緒に、一つ一つ確認していく。ミラは記録係としてペンを持ち、俺の指示を待つ。緊張しているのか、手首が固い。
「これは……金の腕輪。評価額シルバ150枚」
俺が口にした数字に、ミラが小さく息を呑む。高額品は、預け主の期待も不安も大きい。
「封印が必要ですね」
「そうです」
俺は、腕輪を紐で縛り、蝋で封をした。蝋が垂れる。熱で少し匂いが立つ。固まるまでの短い時間が妙に長く感じる。固まる前に触れれば、封印が歪む。歪みは疑いを生む。だから、じっと待つ。
そして、印章を押した。
『R・M』——レオン・ミナトの印だ。
印がくっきり出たのを見て、ようやく息を吐けた。
「これで、封印完了です」
「わかりました」
ミラは、記録を残した。字は丁寧だが、ペン先が少し震えている。責任の震えだ。
--------------------------------------------------
【担保品点検記録】
点検日: 銀章暦三二年カマド月五日
担当者: レオン・ミナト
立会人: ミラ・フェルン
番号: 012
品名: 金の腕輪
評価額: シルバ150枚
状態: 良好
封印: 実施(封印番号 RM-カマド-012)
備考: なし
--------------------------------------------------
こうして、午前中いっぱいかけて、全ての高額担保品を封印した。
合計で、三十点。
数字が積み上がるほど、安心が増える。だが同時に、まだ埋まらない穴が一つ残っているのもはっきりする。三十点の「ある」が確認できても、ルビーの「ない」は消えない。
「これで、安心ですね」
ミラが言った。
その声には、仕事をやり切った疲れと、少しの誇らしさが混ざっている。
「ええ。封印があれば、不正は防げます」
「でも……ギュンターさんのルビーは、結局見つかりませんでしたね」
「……ええ」
俺は、無力感を感じた。仕組みを作っても、過去には効かない。過去の穴は、残ったままだ。
ルビーは、どこに行ったのか?
盗まれたのか?
それとも、単に紛失したのか?
「ミラさん、過去の記録をもう一度調べましょう」
「過去の記録?」
「ええ。ギュンターさんのルビーを、誰が最後に触ったか——それを確認します」
「わかりました」
ミラは、古い帳面を探しに行った。棚の奥から紙の匂いが漂ってくる。古い帳面は、紙が硬く、ページをめくる音が乾いている。
俺は、担保保管室の中を、もう一度じっくり見た。
棚の隅、床の下、天井——どこかに、ルビーが落ちていないか。
視線を床に落とすと、石の継ぎ目がいくつも走っている。棚の脚の周りには細かな埃。埃の積もり方が不自然なら、何かが動いた証拠になる。だが、目立つ乱れはない。だからこそ、嫌な予感が増す。乱れがないのは、丁寧に持ち出された可能性が高いからだ。
だが——やはり、見つからなかった。
「レオンさん、記録を見つけました」
ミラが、古い帳面を持って戻ってきた。
頬が少し赤い。走ってきたのだろう。息が整う前に、帳面を差し出す。
「これが、ギュンターさんのルビーの記録です」
俺は、帳面を見た。
--------------------------------------------------
【担保品受領記録】
受領日: 銀章暦三二年ハルメ月一二日
品名: ルビー(縦20ミル×横15ミル×厚10ミル)
預け主: ギュンター
評価額: シルバ300枚
受領者: グレアム
保管場所: 担保保管室・棚B-5
--------------------------------------------------
「受領者は、グレアム……」
視線が受領者の所で止まる。ここが、最初の接点だ。
「はい」
「では、グレアムさんに聞いてみましょう」
俺は、グレアムのところに行った。
グレアムは作業台で帳票をまとめていた。顔を上げた瞬間、こちらの雰囲気で何かを察したのが分かる。笑わない。余計な言葉を挟まない。現場の人間の反応だ。
「グレアムさん、ギュンターさんのルビー——あなたが受け取ったんですね?」
「ああ、そうだ」
「その後、誰かに渡しましたか?」
「いや……渡してない」
言い切る声に迷いがない。少なくとも、この瞬間の答えは固い。
「では、棚B-5に置いたんですね?」
「ああ」
「それ以降、ルビーに触りましたか?」
「いや……触ってない」
「他に、担保保管室に入った人は?」
「……わからんな」
グレアムは、首を振った。
「鍵を持ってる人は、自由に入れたからな」
「なるほど……」
——つまり、誰が入ったか、わからない。
誰が、ルビーを持ち出したか——特定できない。
これは、まずい。
特定できない、ということは、疑いが広がるということだ。広がった疑いは、誰かを傷つける。
「わかりました。ありがとうございます」
俺は、執務室に戻った。
そして——考えた。
ルビーは、どこに行ったのか?
盗まれた可能性が高い。
だが、誰が盗んだのか?
鍵を持っていたのは、実務長、グレアム、ダリウス——この三人。
実務長が盗むとは思えない。
グレアムも、疑わしくない。
ダリウスは……真面目な男だ。盗むとは思えない。
信じたい気持ちはある。だが、信じたい気持ちは証拠にならない。だから、視点を変える。
では——鍵を複製した者がいるのか?
あるいは——別の入り口があるのか?
俺は、もう一度担保保管室を調べた。
今度は「落とし物」を探すのではなく、「出入り口」を探す。壁の継ぎ目。板の固定。釘の頭。埃の溜まり方。微かな傷。触れた形跡。そういうものが、その存在を教える。
壁、床、天井——全部調べた。
棚を少し動かし、壁を指でなぞる。石の冷たさが指先に残る。床板がある箇所は踏んで音を確かめる。軽く踏み込んでも、響きは返ってこない。天井は低く、梁にひびがないか確認する。どれも大きな異常はない。
だが——ある場所に、違和感を感じた。
壁の一部——ちょうど、セブン・ヴォルト倉庫との境界——だけ、石ではなく板で仕切られている。そこに、微かな隙間がある。
「これは……」
俺は、隙間をよく見た。
板が、注意して見ないと気付かないほど、ごくわずかに緩んでいる。
押してみると——板が動いた。
外せる。
板を外すと——向こう側が見えた。
セブン・ヴォルトの倉庫だ。
「……またか」
セブン・ヴォルトが、また不正をしていた。
担保保管室に、隠し通路を作っていた。
そして——担保品を盗んでいた。
俺は、すぐに実務長に報告した。




