忘却の時間-1
結局、老婆は次の日になっても帰ってくることはなかった。
その日ラキは窓から外を眺め、老婆の帰りをずっと待っていた。
ラキは老爺が部屋まで持ってきてくれた食事を食べることもなく、一日中、ただただ空虚な感情で窓の外を眺めていた。
この日、ラキはあまりにも無心で過ごしていたため、もはや一日のことをあまり覚えてもいない。
そして次の日以降もまた、変わらず時間が過ぎていくのを感じるのみであった。
虚無に近い、ぼんやりとした音の中で、ラキはただ生存するための作業を淡々とこなしていった。
ただ、決まった時間に起きて、決まった時間にご飯を食べ、決まった時間に寝る。
ただ時が過ぎるのを待っているような、そんな感覚であった。
…しかし、老爺はというと、以前とあまり変わらない日常を過ごしているように見えた。
いつもと変わらない時間に仕事へ出かけ、新聞を読みながら、たまにその内容に不満を呟く。
隣人とすれ違う時には、いつものように挨拶を交わし、時折笑顔を見せる。
夕食の時、ラキは無味のスープを飲みながら、とうとう老爺に質問を投げかけた。
「おじいちゃん。おばあちゃんがいなくなったこと、気づいてないの?」
老爺は手を止めることなく、落ち着いた声で答えた。
「おかしなことを言うな。気付いてないわけがないだろう。…ただ、おばあさんとの別れは、ずっと前から覚悟していただけさ」
2人の間に沈黙が流れる。
老爺は少し経ってから、再び話を始めた。
「ラキは、おばあさんのことが好きだったか?」
「…うん。大好き。」
老爺は顎を撫でながら、何かを考えるように黙った。
ラキはその時、漸く気がついた。老爺が大切にしていた長い髭が、今はもう無くなっていることに。
「おじいちゃん、ひげ…」
ラキの言葉を遮るように、老爺は続ける。
「人は、いつか死んでしまう。それはごく自然のことだ。…どうすることもできない。」
老爺はラキを見つめながらゆっくりと問いかけた。
「しかして…ラキ。人はなぜ生きていると思う?」
ラキはその唐突な問いに答えを見出すことはなく、ただ沈黙をするままであった。
「では…あの人…おばあさんはなぜ生きていたと思う?」
「…それも分かんない。」
ラキはその後、口を一文字にして頭を抱えた後、恐る恐る口を開いた。
「でも…ラキはおばあちゃんが居たから嬉しかったし、楽しかった」
老爺は微かに口角を上げ、その答えを噛み締めるように、少し天井を見つめた。
「そうか。そうか…。…ああ。ワシもだ。」
ラキはその答えが曖昧であることに疑問を感じつつも、結局、老爺の話はここで終わりを迎えることとなった。
その後も老爺は老婆に関する話題に触れることなく、食事を再開し始めた。
ラキはというと、もやもやした心持ちで食事を終えた後、そそくさと食器を片付け、自室に戻っていった。
そして椅子に座りながら勉強机に頬杖をつき、窓から空を眺めることにした。
鳥の群れが、規則的な動きで空を飛んでいるのが見える。
「ラキのために生きてたわけじゃないでしょ。」
ラキは脚に絡みつくハッピーを無視して、机に伏せた。
そしてまた、無心でただ時間が過ぎるのを待つことにした。




