Future Choices
眩しかった太陽も位置を変え、赤い炎となってスマートグラスを燃やしていた。
「……準備はよろしいですか、お嬢?」
銀色に輝くハンドキャノンのシリンダーを転がしてゲンを担いだヴォルフが、ホルスターに銃を収納しながら廃墟の奥へと向きを変えた。
数日分の溜まったゴミの山に、今しがた食べ終えたハンバーガーの包み紙を放り投げたサーシャは、ウサミミのフードを被りつつヴォルフを見つめ返す。
「ああ、身体もようやく目覚めてきた。私ならいつでも動けるぞ」
「それでは移動を始める前に、今後の我々が通るべき“チャート”を定めるとしましょう。まずはこちらをご覧下さい」
ヴォルフはそう告げてコムリンクを取り出すと、二人で確認できるよう壁にホロスクリーンを展開し、そこに穴だらけに引き裂かれた世界地図を表示させた。
中でもアジア圏とロシアはざっくりひとまとめで括られ、他にも、かつてヨーロッパ・アメリカ・アフリカと呼ばれた領土が大雑把に色分けされていて。
「お嬢もご存じのように、アジア及びこのサウス・ダウンタウン――香港は、現在クロサキグループの絶対勢力圏となっています。当面の目標として、この支配区域から少しでも遠くへ離れる必要があるでしょう」
「うむ。だからこそ、上海アーコロジーの本社を出るときにこの街を逃亡先として選んだのだろう? 当座を凌ぐにはほどほどに治安が悪く、もしもの際も陸海空と移動のアクセスが良い。たしかそういう話だったな」
香港から各地に伸びる様々な運輸の矢印を見据えてから、サーシャが余裕の表情で腕を組んでヴォルフに振り返った。
彼女の揺れるウサミミに視線を落としたヴォルフは、しかしスマートグラスをチキチキと瞬かせると、その矢印の大半を取り消し消去していく。
「私も最初はそう考えておりましたが、お館様の指名手配が掛かった現状、これらの方法を用いるのは止めておいた方が無難でしょう。もしもお嬢の素性がバレた場合、逃げ場のない機内では命取りになりかねません」
「なんだと? それはその通りだが……それなら、これからどうするつもりだ?」
ヒットマンによる運行中の襲撃、スナイパーによる乗り込み口での狙撃、ネットランナーによる機体制御の奪取。
兵器による直接攻撃まで含めれば、公共のヴィークルを使うのは、コフィンに箱詰めされるのと同義かもしれないけれど。
そもそもそんな重要な話を、なんでこんな出立直前になってからと、サーシャは不信感の籠った眼差しでヴォルフを睨みつけた。
「……姫君様」
一旦コムリンクを下ろしたヴォルフは、長身を跪けて彼女と目線を合わせる。
偏光グラスに自らの無感情な碧眼が写り込んで。サーシャが思わず不満を飲み込むと、彼は人生の岐路を示す宣教師のように口を開いた。
「このような情勢の中では、私が貴女を守るために選択できる道筋は限られてしまいます。……ですので、最後の決断は姫君様に委ねたい」
「……」
「ひとつは、ここから北に回ってアメリカ大陸へ移り住むルート。言わずもがな、あそこは旧アメリカ政府、いわゆる“ワイド世界銀行”の支配下にあります」
「却下だ。連中は父上の政敵だぞ。シャチの口に自ら飛び込むようなものだ」
補足説明するなら、国土が広すぎるのと“ミンシュシュギ”を掲げるお土地柄のおかげもあって、隠遁生活自体はやりやすい環境ではあるのだが。
サーシャがバカバカしげに嘆息するとヴォルフも同意して頷き、そのまま立ち上がって地図にスマートグラスを向けると、アメリカに大きな×印を付ける。
「では、次は大陸内を西へ渡るルートですね。“シラヌイカンパニー”に事情を説明し、クロサキの機密情報と引き換えにお嬢を保護してもらうプランです」
「……。……不可侵の調停がいつまで保つかも分からんのだ。そうなったときに向こうが口約束を守る保証はない。それに実害にならんとはいえクロサキのデータを明け渡すのは、なんと言えばいいのか、私が好かん!」
今度は、数秒ほど躊躇した。
互いにライバル企業ではあるが、現在は前述のように支配区域を定めることで、表立った抗争状態になることなく消費者を仲良く分け合っている状態である。
逆に言えば、いざ抗争状態となったとき使える手札の一つとして、それだけサーシャを手厚く“身請け”してくれる可能性も高いということなのだけれど。
しかし、捨てられてもなお父への義理を立てたいと願う少女の想いも解らないでないヴォルフは、ヨーロッパとアフリカにも×を刻んだ。
「そうなると“宇宙開発機構”に縋る案も無くなりますね。まあ、元よりあそこは治外法権。コロニスト共が地球の政治に関わりたがるとは思えませんが……」
結果として、地図上の主要な大陸が×マークで塗り潰されて。サーシャが怪訝に眉をひそめると、ヴォルフは再び振り返ってコムリンクごと肩を竦める。
「どうです。こうして絵で見てみると、如何に孤立無援かイメージしやすいでしょう? “クロサキ”の名が届かない土地など、この地上に存在しないのです」
「……だったらどうした。……大人しく首を括って、来世に期待しろとでも?」
ギュッと、サーシャが視線を逸らしながらコートの裾を握り締めた。
ヴォルフは苦笑混じりに首を振ると、各種電脳機器と直結する用のワイヤレスパットが剥き出しとなった左手で、サーシャの細い肩を優しく叩く。
「責めるようなことを言ってしまい、申し訳ありません。ですが、お嬢には具体的なヴィジョンを持っておいてもらいたかった。ただ流されて生きるのでなく、これからご自身がどう明日を生き抜いていくのか、というところまでも含めて……」
左手は肩に載せたまま、ヴォルフは地図に振り返ってコムリンクをかざした。
そこに丸印で囲まれたのは、アジアとヨーロッパとアフリカの接続部。ユーラシアと辛うじて首の皮一枚で繋がる、古に『中東』と呼ばれた地域だった。
「様々な理由と信条から、企業や組織には属さずに生きる者たちがいます。活動拠点を定めない流れ者を“ノーマッド”と揶揄することがありますが、彼らもまた遊牧民となって、企業の手が届かぬ僅かな荒れ地で生活を送っているのです」
「そこならば、私を受け入れてもらえるかもしれないと?」
ウサミミを揺らしたサーシャが真顔を持ち上げると、ヴォルフははぐらかすように肩を放して地図に歩み寄る。
「ノマドは世界各地に散らばっていますが、私の知人がここ中東で“集落”を築いています。声を掛ければ、私たちを匿うくらいはしてくれるでしょう」
「……そいつは元フィクサーか?」
「私の先輩と言ったところですかね。変人ではありますが、悪人ではないですよ」
もしかして小粋なジョークのつもりか。ヴォルフはホロの中東ごと壁を叩くと、何のフォローにもならない嘲笑を浮かべてみせた。
それを無視して顎に手を添えたサーシャは、軽くまぶたを閉じて一瞬の熟考を行なってから、フムと鼻を鳴らしながらヴォルフに視線を戻す。
「よし、貴様の案を採用するぞ。この街を出て海岸線を進み、ノーマッドの中に隠れ潜む。今はそこで再起の機会を計りつつ、力を蓄えることにしよう!」
「私もクロサキの娘だ!浮浪者に身をやつす趣味はない!!」と。あくまで傲慢な支配者の口調のままで、サーシャは宣誓するようにヴォルフと見つめ合った。
そんな彼女の決意に力強く頷き返したヴォルフは、コムリンクを操作して画面を切り替え、3Dモデリングされたこのダウンタウンの市街図を表示する。
「あらためて、こちらが脱出プランとなります。公共機関の利用を避け、ストリートの住民にも極力見つからないよう隠れながら街を離れる。警察の追跡にも気を配る必要があるとなると、街中は徒歩での移動が堅実かと思われます」
「単純計算で二十キロの道のりか。私の脚では少し、少々、いやかなりキビしいが仕方あるまい。……しかし、エリアの境界には警察のゲートがあるはずだ。金を掠め取られたチンピラ共も、血眼になって貴様を探していることだろう」
「ご安心ください。そのどちらも一挙両得に解決できる作戦があります」
「作戦?」
自身のフィールドワークの評価を思い出してか、サーシャは頭のウサミミと一緒になってガッカリと肩を落としていたけれど。
前半部分の愚痴を華麗に無視したヴォルフは、市街図を垂直方向に90度回転させつつ、その地下に水道管のように張り巡らされた無数の坑道を強調表示した。
「メトロ、ですよ」
「お嬢。かなり滑りやすくなっていますので、足元にはお気を付けください」
「そう言われても、踏ん張ってなんとか出来るものでもなかろう――キャン!?」
ヴォルフに忠告された端から、岩場に茂る湿った苔に靴底を取られたサーシャが、ズシャッと砂利を蹴飛ばして尻餅をついた。
コムリンクのライトで足元を照らしてあげていたヴォルフは、嘆息を隠して手を差し出し、そして代わりに光源を握らせながら彼女をお姫様抱っこする。
「海のすぐ傍ですし、海水が滲み出しているのでしょうね。浸水や崩落の危険があるかもしれません。申し訳ありませんが、お嬢にはナビをお願いします」
「……頼む」
痛いやら濡れるやらで大惨事な自らの臀部を撫で擦りながら、涙目のサーシャが不満げに真顔を膨らませた。
ヴォルフが苦笑混じりにスマートグラスの暗視補正を強めると、わずかな光を元手に暗闇の作業道が輪郭強調されていく。
コムリンクの画面には、坑道の図面と自分たちの現在地がポイントされていて。
「しかし、本当に廃棄された地下鉄があるとは、まるで安っぽいデジタルフィルムだな。都市開発の担当者は何故このようなデッドスペースを放置しているのやら」
「上海にアーコロジーが建てられる以前の代物ですからね。複数の業者が無秩序に埋め立て、ロクな引継ぎもないまま夜逃げした。大方そんなところでしょう」
「……ん? それならば、貴様はどこからこの道のデータを仕入れてきたのだ?」
ようやく下着の冷たさに慣れてきたサーシャが、己が眺めているホログラムの出処に疑問符を浮かべた。
先程までより移動の速度を速めつつ、ヴォルフは正直に答えるべきか一瞬逡巡してから、左の指で首筋に挿していたミニカードを引き抜いてみせる。
「外に出ている間に情報屋から仕入れておいた情報です。こういう街で“裏道”の存在は珍しくありませんからね。マッピングで小遣い稼ぎしているストリートチルドレンが少なからずいるものなんですよ」
「なんだと。つまり、私たち以外の“利用者”もいるかもしれないということか」
「ついでに言えば、我々のような人間を獲物にしているバンディットとも出くわすかもしれませんね」
ヴォルフはヌケヌケとそう付け加えると、ですから声は潜めて下さいねと今更ながらに念を押した。
そんな飄々とした態度を非難するような真顔でジッと見つめたサーシャは、諦めの溜息と共にコムリンクの光量を限界まで絞る。
「大通りを貴様に抱えて歩いてもらうわけにもいかんしな。それに此処ならば、多少騒ぎになっても“地上”までは届かん。……そういうことだろう?」
「話が早くて助かります。なにぶん私も、ステルスで行動するよりは殴り込みの方が得意なタチでして」
「知っている」
隠密や交渉事には到底向かない彼の図体をあらためて見上げて、サーシャは防弾性能も搭載されているウサミミフードを目深にかぶり直した。
それからコムリンクに別のホロウィンドウを展開させると、タタタタッと痙攣のように右指を震わせ、なにやら大量の数列をスクロールし始める。
「お嬢……?」
「貴様のコムリンクであれば、いざというときニューロデックとしても扱える。相手がクロサキ製品を使ってくれていれば、誤作動くらいは誘発できるはずだ」
「……」
電子機器へのダイレクトハックなど、大型デックに神経接続したネットランナーか、もしくは自分と同じく軍用ツールを入れた人間が試みるような芸当なのだが。
それを手動でも可能だとあたり前のように豪語する幼き少女に、小さく喉を鳴らしたヴォルフは、未知なる怪物の卵を見守る顔でスマートグラスを瞬かせる。
「どうかしたか、ヴォルフ。足が止まっているぞ?」
「……いえ。先を急ぎましょうか、姫君様」
そんな視線に気づいたサーシャが、まばたきと共に彼を見上げて。
ヴォルフは誤魔化すように彼女の呼び方を間違えると、顎に可愛らしいウサギパンチを喰らいながら、闇の奥地へと踏み込んでいくのだった。