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Little Punk





 彼にとっての最も古い記憶とは、両親が榴弾に吹き飛ばされたときの映像だ。





 衰退の果てに国家という枠組みが形骸化して久しく、人々も企業による支配をあたり前の日常として受け入れられるようになった頃。

 それでも自らの主権を諦めきれなかった統治者たちが世界政府を主張し、無謀にもコーポレートに対して軍隊を動かすという事件が起こった。


 この武装蜂起は企業側の用意した連合軍によって僅か十日で鎮圧され、結果として、国家の概念が形式の上ですら抹消されることとなったのだが。

 ……そんな“最も短絡な世界大戦”と冷笑される戦争の最中、不幸にも戦災に巻き込まれてしまったのが、後にヴォルフガングと呼ばれる少年の一家だった。


 人の記憶とは不思議なもので、当時の生活や両親の顔はハッキリ思い出せなくとも、鉄片に裂かれ爆炎に焼かれる二人の姿は少年の脳裏に鮮明に刻まれていた。

 否、もしかするとそれは、孤児となった己が境遇を受け入れるため捏造された偽りの情景なのかもしれない。何故なら、彼が脊髄に神経加速装置をインストールしたのは、フリーランスの荒事屋として活動を始めて以降の話だったのだから。





「俺の護衛を掻い潜りここまで辿り着いたか。……貴様、なかなか良い腕だな!」


 どこか楽しげに語らうその眼差しには、微塵の優しさも籠められていなかった。


 薄汚れたストリートの路上。ビルの出口から高級車に向かうまでの短い道のりには、おびただしい量の血と死体と空薬莢が転がっていた。

 その真ん中に立つスーツ姿の日本人は、頬に撥ねていた一滴の返り血を袖口で拭い落すと、目の前で組み伏せられているジャケット姿の少年を見下ろす。


「どこぞの工作員という風体ではないな。よもや、フリーランスの雇われか?」

「ぐうっ……!」


 直前の銃撃戦でできた傷だろう。少年のジャケットにはすでにいくつもの弾痕が穿たれており、右の目尻も骨ごと削られ眼球が露出していた。

 彼を押さえているのは、破れた背広から機械の肉体を覗かせた黒服で。外した肩をさらに捻り、後頭部に銃口を押しつけながら、主人からの射殺許可を待つ。


 そんな黒服を一瞥で引き留めた日本人は、増援ヘリから降下してきた戦闘服姿の私兵に囲まれながら、あらためて上体を起こして周囲に広がる惨状を見渡した。

 おそらくは全員がボディガードだったのだろう。彼の足元だけでも五人の黒服が頭や心臓を射抜かれ、もしくは主人の身代わりとなり命を散らしていて。


「殺し屋、貴様は俺が何者かを知らされた上で襲撃してきたのか?」

「……シンイチロウ・クロサキ、クロサキグループの次期総帥だと聞いた」

「いいや、今は()()()だ。どうやら、渡された情報がいささか古かったようだな」


 無感情な真顔でそう言い放った日本人は、芝居めかせた動きでコムリンクを取り出すと、そのままどこかへ通話を繋げた。

 少年が霞む視界で顔を上げれば、コムリンクに浮かんでいたのはシンイチロウに似た雰囲気の老人で。その老人が、モニタの向こうで兵士に拘束される。


「どうも親父殿、これで“賭け”は俺の勝ちということで良いな? それでは宣言しておいた通り、アンタがベットしていた地位は余さず俺が戴くとするよ」

「―――――!!」


 老人が何か罵詈雑言を叫んでいたが、それを聞き取る前に画面が赤く染まった。

 シンイチロウはさもなさそうな嘆息を溢すと、コムリンクの画面を消しながらクロサキ本社が存在する方角に真顔を向ける。


「チャンスは与えた。活かせなかったのはアンタのミスだぜ。……親父殿」

「……」


 肉親の情など存在しないかのように言い放つシンイチロウの姿に、少年は自らの敗北を認めてアスファルトへと額を擦りつけた。

 そんな彼へと視線を戻したシンイチロウは、冷ややかな眼差しでコムリンクを懐に戻すと、罠にかかった狼でも拝見するが如く跪いてその顔を覗き込む。


「おい殺し屋。貴様のその腕前、ストリートの路上で腐らせてしまうのは少し惜しい。どうせフリーランスと言うのなら、いっそ俺に仕える気はないか?」

「なに……?」


 少年が呆気に取られた表情で崩れた右眼を剥いて。その反応を嗤うように口元を緩めたシンイチロウは、兵士たちが進言するのを無視して立ち上がった。

 そして大袈裟な動きで腰に手を添えて斜に構えると、部下に救護班の手配を命じながら、世界の王たる振る舞いで少年の黒い瞳を見つめ返す。


「俺の機嫌が良い日で幸運だったな。殺し屋、貴様に次の時代を見せてやろう!」





 あの日から何年経ったのだろうかと、ヴォルフガングは薄汚れたストリートの路上から、高層ビルの狭間に射し込む朝日を見つめた。


 先ほどまで降り続けていた雨がスマートグラスを伝い落ち、その背景では、陽光に追い立てられるように娼婦やヤクザ崩れが帰路へ着いていく。

 「自分もその一人か」と自嘲で口を緩めたヴォルフは、湿った髪を掻き上げながら光に向かって歩みを進めて。途中でダイコクテンの自販機を目に留めると、ハンバーガーを何個かと、コーヒーとあえての豆乳を選んでボタンを押下した。


『――料金の支払いをお願いします』


 機械音声に促されてかざしたカードは、黒く乾いた血液で汚れていて。

 しかしスキャン用の光線はなんら問題なくデータを読み取り、チャリンと硬貨が落ちる音と共に、ダイコクテンの広告映像を流し始めた。


 ヴォルフは用済みになったカードを脇のゴミ箱に投げ捨てると、自販機の下部に落ちてきたビニール袋入りの商品を手に取り覗き込む。

 袋の中身はどれもこれも、豆乳の缶までもがホカホカに温められていたけれど。スンと澄ました表情で顔を離したヴォルフは、再び朝帰りの道を歩き出した。


 途中、何食わぬ顔でパトカーとすれ違い、カメラやドローンからは姿を隠す。

 そうして太陽が昇りきり、身なり正しい企業人が大通りに現れるようになった時分、ようやく彼も繁華街の影に打ち捨てられた廃ビルへと辿り着いた。


「お嬢、いま帰りました。遅くなり申し訳ございません」


 スマートグラスをチキチキと瞬かせ、ハッキングによって監視カメラをダミー映像で上書きしてから、重い部屋の扉は手動で抉じ開ける。

 薄暗い室内に視線を向けると、ここ数日ですっかり隠遁しなれた様子のサーシャが、女の子座りでウサミミを揺らしてコムリンクを操作していた。


「おお、戻ったかヴォルフ。少し待て、キリの良いところで一度終わらせる」


 サーシャはちらりと視線だけを動かして彼にそう答えると、右手に握るコムリンクをギターコードでも押さえるように忙しなく振るわせる。

 同時に左手でも、周囲に浮かぶスクリーンをタッチ操作して。数十秒後、コムリンクをスリープ状態に落とすと、それに合わせてウィンドウも一斉に消滅した。


「よし、待たせたな。それでは成果を報告してもらおうか」

「……もしかして、昨日も徹夜したのですか? いいかげんお体に障りますよ」

「睡眠なら貴様の膝を借りている時間で十分確保できている。それに、寝ているときに襲撃を受けでもしたら、体調どころの話で済まぬではないか」


 ふわぁ~とか細い欠伸を漏らしながら、彼の方へと向きを直したサーシャは、ウサミミフードを外しながら虚ろにまばたく碧い瞳をうにうに擦った。

 そんな彼女の強情な振る舞いに肩を竦めたヴォルフは、彼女と向かい合うようにあぐらを掻くと、袋の中身を床に並べつつ会話を進める。


「今日も近隣の下位組織に潜入してクレジットを掠め取って来ました。ロンダリングも済ませてあります……が、さすがに派手にやりすぎましたね。見慣れぬノーマッドが()()()()()いるようだと、ストリートで噂になりつつあるようです」

「それは仕方あるまい。さもないチンピラが相手とは言え、下手に記録に残る取引をするわけにもいかんからな。だが、そうなると此処もそろそろ潮時か」

「同感です。貯蓄は少々心許ないですが、今夜にも街を出るとしましょう」


 そう宣言しつつ、ヴォルフが彼女の前にドスンと豆乳の缶を立てると、無感情なサーシャの目尻がピクリと痙攣した。

 しかし意識的にその銀色の缶をスルーした彼女は、がさがさとハンバーガーの包みを開き、ハムスターのような表情でそれを頬張る。


「なんにせよ、ご苦労だった。ただでさえ雨の中で働いてもらったからな。どこか腐食してしまったサイバネティックはないか?」

「いえ。多少濡れたところで、皮下装甲やネオスケルトン自体にも対酸コーティングを施してありますので。デック・スロットが不安と言えば不安ですが……」


 どちらかと言えば冗談の類だったのだろうか。ヴォルフは襟首に右手を回すと、そこに露出しているミニカードやジャックの挿入口を叩いて笑う。


「……」


 その仕草を黙って見つめていたサーシャが、ふとバーガーを食べるのを止め、傷一つない自身の艶やかなうなじを静かに撫でた。

 ヴォルフは彼女の沈黙に気づくと、己が失言を誤魔化すように豆乳を指差す。


「お嬢、ちゃんと飲み物も取って下さい。また喉を詰まらせても知りませんよ?」

「……どうせ、またソイジュースなのだろう。貴様という男は、なんで言っても聞かせても私にソレを飲ませたがる」

「これも御身を気遣ってのことです。ただでさえ連日の粗食で栄養が乱れているのですから、せめて豆乳くらいは毎日飲むようにしましょうね」

「貴様のそのソイジュースに向ける信頼は本当になんなのだ?」


 嫌いな野菜を食べさせられる子供のように(いや実際そうなのだが)。サーシャはやれやれと恨み節の籠った溜息を吐きつつ、豆乳の蓋をパキンと捲り開いた。

 そして、そこから立ち昇る湯気と薫りにぐっと留飲を堪えると、少しでも刑の執行を遅らせようとヴォルフに碧眼を向ける。


「そういえば貴様のコムリンクはすごいな。軍用品かと見紛う性能だぞ。我が社の製品とはこまごま異なるようだが、これは自前で改造したのか?」


 サーシャはそう言うと、脇に転がしていたコムリンクを拾い掲げた。

 自分の飲み物を開けていたヴォルフは、頷きながらそれを受け取りホロを点す。


「廃棄品から使えそうなパーツを譲ってもらい、我流でここまで組み立ててきました。私にとって数少ない趣味のようなものです」

「なにが趣味か、十分市場に乗せられる出来栄えだと思うぞ。もう少し早く貴様と出会っていれば、次代の開発ソースとして解析させてもらっていたくらいだ」

「姫君様は……お嬢は、クロサキの製品開発にも関わりが?」


 それが豆乳から逃れるための話題逸らしだということは分かっていたが。ヴォルフはコムリンクを返却すると、コーヒーを口にしつつ問い返した。

 対するサーシャは、フフッと一瞬だけ自虐的にまぶたを閉じ、それから無感情な真顔に戻って豆乳を見下ろす。


「いや、父上はグループの経営に一切私を携わらせてくれなかった。貴様のような子供に会社(くに)を任せるほど、俺は愚か者ではないとな」

「……」

「だからこそ、来たる日に父上の即戦力となれるよう、可能な限りの知識を頭に叩き込んでおいたのだ。カレッジ程度の教養も、クロサキ製品のデータも。ライバル企業を蹴落とすために必要な帝王学もな」


 グイッと。この話題はここで終わりだと宣告するように、サーシャは自ら進んで豆乳を一気飲みし、その喉越しと風味に涙目をしかめた。

 その勢いで袖口で濡れた口元を拭うと、まだ手を付けていないハンバーガーの包みを脇に退けつつ、四つん這いのままヴォルフの足元に近づいていく。


「やはり少々眠くなった。今日も貴様の膝を借りるぞ」

「それはべつに構いませんが。……私の脚では逆に硬くありませんか?」


 ころんとあぐらの上に転がり込んだ彼女の姿は、膝を借りるというよりも、股間に挟まってじゃれつく子犬のようであった。


 懐いてくれること自体は嬉しくもあるけれど。しかし、歳の差を考えると世間体を問われそうな構図に、ヴォルフはどうしたものかとスマートグラスを困らせた。

 一方のサーシャは、そんな彼の表情を愉しむように見上げると、まだ未成熟な矮躯を儚みながら薄い胸元へと両手を添える。


「すまんな、ヴォルフ。私がもう少し性徴していれば、貴様の忠義を、せめてもカラダで労ってやることができるのだが。初歩的な電脳化すら適わぬこの肉体では、貴様と“結線交合(ラインセックス)”してやることも出来ん」

「ぶふぅうううっ!?」


 十歳の幼女からはおおよそ聞かれることのないだろう単語に、ヴォルフは飲みかけのコーヒーを噴き出しながらムセ返った。

 そのまま呼吸補助のサイバーウェアを起動することも忘れて彼女を見つめ返すと、サーシャはどこか得意げな口調で真顔の頬を緩めてみせる。


「言っただろう、カレッジの連中が嗜む程度の教養は頭に入っていると。もちろん床の作法に関してだって、そこらの学習ソフトよりも優秀な自信があるぞ」

「お嬢、やめて下さい。コンプライアンス以前に、お館様に殺されてしまいます」

「なにを今さら、この期に及んで父上に立てる操などあるまいに。それともう一つ言わせてもらえば、私の母親はなかなかにセクシーな女性だったぞ。なにせあの堅物の父上を篭絡して私を孕んだ女丈夫なのだからな」


 だからせいぜい五年後に期待するがいい。と、サーシャは自信満々に胸を張りながらウサミミフードをかぶって寝に入った。

 そしてヴォルフがツッコミを探している間にも、スヤスヤと寝息を立てて。最近の子供の考えることはよく分からんと、彼も残ったコーヒーに逃避する。


「……。……まさか、俺を父親代わりにしようって魂胆じゃないよな?」


 普段以上にくたびれた苦笑でそう呟いたヴォルフのスマートグラスには、射し込んだ朝日が苦々しく反射していた。





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