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Knight of Princess





 地球人類の進歩が袋小路に入り、しかし自滅するには多少の猶予を残した時代。





『サウス・ダウンタウンで発生した一日の犯罪件数が四百件を突破しました。銃撃戦による死傷者も過去最多を更新しており、これに対してエリアの警備業務を委託されている“ブラック・サーペント”社は以下の声明を――』


『十五分後の天気は雨、予想されるpHは2.1。外を出歩く際は忘れず防水対策を行ないましょう。特にクロサキ製トレンチコートは対酸性能の高さが実証されており、自動で中和剤を噴霧する機能もオプションから選ぶことが――』


『只今、多業種企業連合“クロサキ”が今季十二度目のM&Aを発表しました。対象となったのは“ワイルド・ネイチャー”で、これによりクロサキグループはサイバネティクス業界の60%を占めることになり、市場への影響が懸念され――』


『大盛り大好きダイコクテン♪ 新味バッタソルト・バーガー、好評発売中~♪』





「………………」


 見渡す限りが高層ビルで、人が蠢く道路など狭間に生まれた緩衝材にすぎず。広告塔から垂れ流されるニュース番組と車のクラクションが鼓膜を焦がし、遠くではパンパンと火薬が弾ける音色が聞こえる。

 街はとうの昔に夕闇の底へと沈んでいたけれど。繁華街に張り巡らされたネオンの明かりが、頭上に微かに望む曇天を太陽より眩しく照らしていた。


 そんな天上界を路地の入り口からぼんやりと見上げていたのは、丈長の白いボアコートを着流した少女で。

 年の頃は十歳前後であろうか。兎の垂れ耳を模したフードの奥から、若くて張りの良い白肌と三つ編みに編まれた銀髪の先が覗き、そして宝石のような碧い瞳が周囲の電灯を映していっそう美しく輝く。


「どうかされましたか、姫君様?」


 路地の薄暗闇から、人生に疲れた中年男が如きやつれた呼び声が聞こえた。それに気づいた少女が顔を向けると、踵を返した人物が照明の下へと歩み出てくる。


 彼は二メートル近くの長身であったが、少女の感じた印象に間違いはなかった。

 白髪の混じったオールバックも、よれたトレンチコートも、ヒゲを剃り残した口元も。東洋人種特有の煤けた肌色と相まって、幼い彼女に歳重ねた大人の悲哀を想起させるには十分なくたびれ具合だった。


 しかし、ただ一点。こめかみに直接ネジ留めされた調光式のスマートグラスが、彼の本当の感情を少女から隠し通していたのだけれど。


「……姫君様?」

「いや、なんでもない。行くぞ」


 男と対照的に、少女の口から紡がれたぶっきらぼうな喋りは子供離れしていた。

 実は外見が幼子なだけで、本性は政界に数十年と棲まう重鎮なのではないか。そう錯覚させるほどの堂々たる足取りで、少女は男を追い越し路地に入っていく。


 男はそんな少女の側頭部で揺れるウサミミを一寸見つめ、それから苦笑を押し殺すように肩を竦めてから、彼女の後ろに付いて歩いた。


「想像していたよりもだいぶ臭うな。……これはアルコールとドラッグと吐瀉物、それに蛋白質が腐ったニオイか」


 ネオンが届かぬと言っても、車がすれ違える程度の道幅はあったが。その代わり、先行く少女が呟いたように、野外とは思えぬすえた悪臭に包まれていた。

 路上に点在するのは酔っ払い、ジャンキー、ホームレス。そして生死も定かでない人間が横たわり、左右の建物からは室外機の不快な温風が流れ込んできて。


 だが、それでも少女の歩みに淀みはない。セリフとは裏腹に、眉一つ動かす様子も見せることなく、通りのど真ん中を無感情な真顔で闊歩して歩く。

 その矮躯に従者よろしく付き従う男は、時折二人へ不審の目を向ける路上の人々を鋭く一瞥しつつ、しかし言葉の尻だけでも謝罪するように語気を弱めた。


「申し訳ございません。大通りはブラック・サーペントの夜警が厳しいもので」

「言っただけだ、貴様は気に負うな。それに、私はこのニオイが嫌いではないぞ」


 少女の返事は決して強がりではなく、ともすればムセかねないこの汚れきった空気を、彼女は鼻から肺いっぱいに吸い込でみせた。

 なんならその足取りが少し浮足立ったようにも感じられて。男は理解できないとばかりに天を仰いでから、自分たちが歩いてきた道を振り返る。


「これから雨も降るようですし、今夜はこの街で寝床を探すとしましょう。出来るならそのまま数日留まり、路銀の調達も済ませたいと考えています」

「……なんだ、事前にクレジットを用意しておかなかったのか?」

「もちろん、ある程度の持ち合わせはございます。ですが、これからの逃避行を考えると、貯えに余裕はあった方がよろしいかと」


 振り返った少女の口調もべつに憤っているわけではなく、単なる現状の確認にすぎなかったのだが。彼女の指摘に男は申し訳なさそうに頭を掻いた。

 対する少女はフムと顎に手を添えて一考すると、やっぱり何を考えているか分からない真顔のまま、グッと背筋を伸ばして薄汚れた路地の闇を見据える。


「ヴォルフガング、すまない」

「はい?」

「私を安全な場所へ運ぶには金が要る。しかし金を稼ぐには、まず私を安全な場所へ隠さねばならない。……まったく、笑えん悪循環だな」

「よして下さい、姫君様。それを承知で、私はこの任務を引き受けたのです」


 先ほどとは違った意味合いで、男が少女の背中に苦笑を浮かべて。すると、何を思ったか少女は足を止め、ジロリと物言いたげな真顔で男を顧みた。


「その“姫君様”というのはそろそろ止めてくれ。なにかと悪目立ちしてしまうし、それに、私は元より姫などではない」

「はあ。では、ええとその、いったいどのようにお呼びすれば?」

「呼び捨てでも何でも好きにすればいい。それくらい貴様で考えろ」


 もしかすると、そもそも感情の発露が下手くそな子供なのかもしれない。彼女の言い方は素っ気なかったが、呆れているというよりも拗ねただけのように見えた。

 ヴォルフガングと呼ばれた男は敬礼の代わりに大っぴらに肩を竦め、少女もそんな男を敬も不敬もないままに見つめ続ける。


 ――ぎゅるるるるるる。


 その絵に描いた見事なオノマトペは、少女の腹部で奏でられた。

 ウサミミを揺らして己が腹を見下ろした彼女は、それとなく両手で胃の上を押さえると、恥ずかしげもなくヴォルフガングを見上げ直す。


「おいヴォルフ、私は腹が減ったぞ」

「はいはい。それではそこの屋台に入りましょうか、“オジョウサマ”?」

「うむ、悪くない選択だな。……それと、せめて“オジョウ”にしろ」


 ここで初めて、少女が不愉快そうに目元をひそめた。


 しかしそれも一瞬のことで、ヴォルフが指し示した先へと碧眼を向けた少女は、またしてもズンズンと王者の歩みを再開する。

 少女が目指す先は、道端の暗闇に横付けされたキッチンカーで。木造屋根風にデザインされた暖簾を潜ると、熱気と共に食品添加物の香りが吹き抜けた。


「……あいよ」


 屋台の店主を勤めていたのは、安っぽいレインコート姿の初老男で。店主は二人に気づくなり、金属骨格が剥き出しの右腕で、フードを目深に引っ張った。

 そんな彼の前には、グツグツ湯気立つ四角いおでん鍋とホログラムテレビが設置されていて。車内を見渡したヴォルフは、事前に握っておいたカードを差し出す。


「酒はいらん。二人分、適当に見繕ってくれ。それとウドンは出せるか?」

「……600秒ほど、お時間をいただきやすが」

「かまわんさ、そちらも二人前頼む。支払いは()()でな」

「……ちっ、プリペイド(オレンジ)かよ」


 ヴォルフからカードを受け取った店主が、あからさまに面倒臭そうな顔でボヤいた。そして我先にと椅子へ腰掛ける少女と、ヴォルフの眼鏡を見比べる。


 その店主が右手を懐へ入れると、ヴォルフの眉もピクリと反応したが。そこから取り出されたのは、市販品の標準的な複合端末、通称“コムリンク”――の、ポートにゴテゴテとセキュリティ機器を挿げ付けて魔改造したものだった。

 店主はそのまま読み取り口にカードをスラッシュし、液晶に表示された金額を念入りに確認してから、投げ捨てるようにヴォルフへと返却する。


 物珍しげに鍋を覗き込んでいた少女が、そんな彼らのやり取りに碧眼を向けて。


「べつに飲んでもかまわんぞ。分解酵素くらいインプラントしているのだろう?」

「いえ、お嬢に遠慮しているわけでは。……酒はだいぶ昔に辞めたのです」


 少女にはそれ以上詮索して欲しくなさそうに、ヴォルフも椅子に座ると、壁に浮かび上がる半透明のニュース映像にスマートグラスをかざした。

 その横顔に何を感じたのか。少女はしばらくジッと真顔で彼を見据え、そして店主が雑に叩きつけたカウンターのおでん皿へと興味を移す。


「ほう、これがオデンか。何と言うか想像よりだいぶ……賑やかな食い物だな!」


 少女の表情筋はピクリともしていない。しかしどうしてか、ウサミミを揺らしてフォークを逆手に握るその姿は、期待に心躍っているように感じられた。

 さてどれから食べるかと少女が歯先を迷わせ、ヴォルフも微笑ましげにその様を盗み見て。店主がうどんを茹でようと棚を漁ったところで、テレビからけたたましいビープ音が鳴り響いた。


『緊急速報です。クロサキグループ総帥、シンイチロウ・クロサキが先ほど会見を実施しました。氏は本社が賊の不法侵入を受けたことを認め、その際に、氏の実娘であるアレクサンドラ・クロサキのクローン素体が盗まれたと公表しました』


「っ……!?」


 がんもどきに似た物体を頬張ろうとしていた少女が、口を開けたまま瞬きを止めた。顔をテレビへ向ければ、ヴォルフはすでに画面を睨みつけていて。


『下請けであるブラック・サーペント社が犯人の捜索にあたっていましたが、発生から100時間が経過しても解決の糸口が見られなかったため、事件の長期化を懸念したグループが情報公開に踏み切ったものと思われます』


『クロサキ氏はこの事態を“ワイド世界銀行”のエージェントによる所業だと断罪。その責任を厳しく追及すると同時に、犯人確保と素体の回収に向けて、バウンティハンター協会を通じて広く民間の協力を求める意向を明らかにしました』


『アレクサンドラ嬢は、十歳九ヶ月女性、白人系の銀髪碧眼。心身共に健康体であり、染色体異常等の疾患も認められていません。素体を回収した場合、クロサキより一億$円(ドレン)の報奨金と、アーコロジーへの移住権・名誉市民権が授与されます』


『生死を問わず。繰り返します、クローンの回収に生死は問わないとの続報です』


 多重に浮かび上がるホログラムのスクリーンから、AIキャスターの合成音声による、矢継ぎ早なニュースフラッシュの濁流が押し寄せた。

 端に映し出されるのは、総帥が娘とおぼわしき子供の肩を抱いている映像で。その容姿は、がんもどきを手に硬直している少女と瓜二つであった。


 二度見三度見を繰り返していた店主がゴクリと喉を鳴らし、屋台の外からもカチャカチャと、銃器の動作を確認するような音が聞こえてくる。


「……姫君様。……今日の夕食は、やはりバーガーに致しましょうか」

「そうだな、異論はないぞ。ダイコクテンのバーガーも嫌いではない」


 ヴォルフに促されるや否や、少女もフォークを置いて立ち上がった。そのまま何事もなかったかのように暖簾を捲ろうとすると、店主が慌てて身を乗り出す。


「ちょ、ちょっとお待ち下せぇ! 食わねぇのなら御代は返金しやs――」


 BANG!と爆音が轟いて、車内に血飛沫と肉片が飛び散った。


 ノイズで乱れたホロ映像に照らし出される、銀色に輝くリボルバー式ハンドキャノンと、それを右手一丁で突き出すヴォルフのスマートグラス。

 そして内側から破裂したように顎から上を失い、血の噴水と共にダラリと情けなく舌を垂れ下げていたのは、数秒前まで店主だった物体の亡骸で。


 しばらくフラフラと立ち尽くしていたその死体も、やがてはバランスを保てなくなり、おでん鍋の中へと突っ込むようにして前方にくずおれる。

 そんな右手のサイバネティックアームが握り締めていたのは、会計用のコムリンクではなく、見るからに安っぽいプラスチック製のデリンジャーだった。


 驚くべきは、この凄惨な光景を目の当たりにしても、少女の真顔には微塵も感情の揺らぎが見受けられなかったことだろう。

 彼女は潰されたハエでも眺めるようにまぶたを細めると、頬に撥ねていた一滴の返り血を袖口で拭い落した。それからヴォルフを置いて店の外へ出たところで、暗い路地が幾重ものフラッシュライトで満ち溢れる。


「……ヴォルフよ、これがバウンティハンターという輩か?」

「いえ、彼らは賞金に釣られただけの、ただのならず者(ハイエナ)でしょう」


 唐突な眩しさに少女が目元を覆うと、ヴォルフが盾になるように一歩前に出た。


 その見解を検証する必要もなく、キッチンカーの周りは見るからにまともではない、至るところにクロームを施したパンクな風体の不良集団に包囲されていて。

 各々に思い思いの安物拳銃を掲げた彼らは、自ら鼻先に転がり込んできた子兎を歓迎するように、渋い表情で逆光を見据える少女を嘲笑った。


「ようやく俺らにもツキが回ってきたぜ! おい聞こえてんのか、そこn――」


 どうやら店主の顛末から何も学ぶことができなかったようで。悠長に最後通牒を送ろうとしたリーダーらしき男の頭が、食い気味に放たれた弾丸で吹き飛んだ。

 周囲の不良たちは痙攣して崩れ落ちるリーダーへと間抜け面で振り返り、そして、顔の金属線に青筋を浮かべつつヴォルフたちに銃の照準を合わせ直す。


「……姫君様、こちらへ」

「ん、頼む」


 ヴォルフは右の愛銃を下ろすと、入れ違いに左手でトレンチコートの裾を掴み上げ、少女の身体を彼らから覆い隠した。

 それを受けた少女も彼の懐に身を寄せ、フード越しに鼓膜を押さえる。


「くたばりやがれ!!」


 誰ともない叫びに乗せて、不良たちの一斉射が開始された。


 スマートリンクどころか補助AIすらインストールされてない射的は半分以上が逸れ、流れ弾が背後の屋台をジャンクに作り替えていたけれど。

 やっとの思いで二人に命中した銃弾も、着古された外套の表面に触れると同時に、チュインチュインと火花を発してあらぬ方向へと弾かれてしまう。


「クソッタレ、もしかしてリアクティブファイバーってヤツかぁ!?」

「どけどけっ! こうなりゃ全部まとめてブッ飛ばしてやるぜぇ!!」


 そう腕を振りかぶった不良の手には、原始的な造りの手榴弾が握られていた。

 おいバカ!粉々にしたら換金できないだろうが!!と、隣の不良が大慌てで制止しようとしたが。そんな彼の心配を、一発の銃声が杞憂に変える。


 少女への銃弾を変形硬質化する防弾コートで受け流し、自身の頭部に受けた銃弾も、人工皮膚の下に隠された合金製の頭蓋骨で無効化して。

 その体勢でのっそりと持ち上げた銃身を左肩に添えたヴォルフが、スマートグラスの奥で赤外線を瞬かせながら、手榴弾を握る不良の手首を撃ち抜いたのだ。


「あっ……」


 示し合わせたように、事態に気づいた不良たちが銃撃を止める。


 セーフティレバーの外れた手榴弾はスローモーションで地面に落下し、それから不良たちの眼前へと跳ね上がった。

 その一瞬でコートの裾を払ったヴォルフは、腰を落としつつ少女をお姫様抱っこで抱え上げ、体表の節々に走るニューロストリームを明滅させる。


「“マリーチ”を使用します。静かに目を閉じ、下腹に力を入れ続けて下さい」

「わかった」


 ここだけは素直な子供みたいに。少女はウサミミフードを押さえたまま、ヴォルフに促された通り、まぶたを閉じて身を委ねた。


 そして、手榴弾が真昼より明るい輝きで路地を満たす。


『――以上、この時間のヘッドラインはダイコクテンの提供と、インタラクト・インテリジェンス・インターフェイス“I3(アイスリー)”トロンがお送り致しました』


 行き場を失くした火の手は天を目指して噴き上がり、しかして高層ビルを超えることは叶わぬままに力尽きて。

 爆風と破片に打ちのめされた不良たちが事切れるのを待たずして、膨れ上がった黒雲からはオイル色の雫が滴り始めるのだった。





――――――――――

world:ナイトプリンセス

stage:チャプター1 十歳七ヶ月

personage:ヴォルフガング/アレクサンドラ

image-bgm:人間ってそんなものね(KOKIA)

――――――――――

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