第5話 金魚鉢の人魚
知らない天井だ。
俺はビジネスホテルの一室に据えられたベッドの上で目を覚ました。
爽やかな目覚めに違和感を覚えつつも、昨晩のやらかしを思い出して頭を抱える。
ベッドのそばのテーブルにはぺらぺらになった布袋が置いてあった。
ひっくり返してみると、そこから2枚のコインが転がり出てきた。
俺は1ヵ月分の生活費をたった一晩で使い切ってしまったのだ。
後悔先に立たず。
酒は飲んでも飲まれるなとはまさにこのことだ。
壁に設置されていた時計を見てみると、既に時間はお昼を過ぎている。
正午に講習を受ける約束をしていたというのに、参ったなこりゃ。
まあ、今更焦っても仕方ないか。
寝ぐせの付いた頭をポリポリと掻いた俺はひとまずシャワーを浴びることにした。
汗を流してスッキリした俺はパンツ一丁で洗面台の鏡の前に立つと、歯ブラシ(備え付け、柄は木製だった)を使って歯を磨いた。
服を着て床に転がっていた鞄を手に取るが、少し軽い。
見ると、中に入っていたパジャマが無くなっていた。
元々血がついてボロボロになっていたし、まあいいか。
俺は鞄を肩に引っ掛けるように持ったまま、扉を開けて外に出た。
すると、背後で閉まった扉からガチャリと鍵が掛かる音がした。
取っ手をよく見ると、どうやらギルドカードで認証する形式になっているようだ。
ハイテクだなぁ。
階段を降りて一階へ行くと、昨晩とは打って変わって店内は閑散としていた。
テーブルの拭き掃除をしていた店主の親父から声が掛かる。
「お寝坊さん、よく眠れたかい」
「はい、介抱してくれてありがとうございます」
「すぐに飯を用意してやるから、これでも読みながら待っているんだな」
そうして渡される一冊の冊子。
表紙には湖のイラストとともに丸い文字で「みるだむ アクアマリン」と書かれている。
「これは?」
「探索者ギルドの加盟店で配っているガイドブックだ。アンバーの嬢ちゃんから話を聞いたが、お前さんこの街にきたばかりなんだって? また迷子になっちゃいけねえからな。それでこの街の地理をしっかり頭に叩き込むといい」
おのぼりさんにはありがたい話だ。
早速開いてぺらぺらとめくる。
観光地だろう、この街の名所や商業施設の情報が沢山載っていた。
お、後ろの方にはクーポンまで付いている。
ページの一番最後にはこの街の目玉であろうアクアマリン迷宮の概要図が描かれていた。
なんだか巻貝と言うよりアフリカマイマイの殻に似ているな。
俺はこのダンジョンのことを密かにマイマイダンジョンと呼ぶことにした。
縦に割った迷宮案内図には異界の名前と出現する魔物の名前が記載されている。
異界の間は緑に塗られ、狭間平原と書かれている。
ここはどうやら魔物の出現しない安全地帯らしかった。
やっぱり、黙って助けがくるのを待っていたら痛い思いをすることはなかったのか……。
俺が放心していると、カウンターの向こうから魚の焼けるいい匂いが漂ってきた。
壁に貼り付けられているメニュー表を見ると、見知らぬ魚の名前がずらりと並んでいた。
やはり湖の街だけあって、魚料理が名物らしい。
しばらくすると、親父さんがお盆を持ってやってきた。
目の前に並べられたできたてホヤホヤの料理からは白い湯気が立ち昇る。
「賄いですまんが、これで勘弁してくれ」
「いえいえ、お構いなく」
礼を言っていただきます、と手を合わせる。
箸を手に取り、茶碗に盛られた一粒一粒が大豆ほどの大きさをした米を口に運ぶ。
するとしっかりとしたお米本来の甘みが口の中に広がった。
メインは丸い形をした焼き魚だ。
箸で身をほじくり返すと驚いたことに骨がない。
ぱくりと口に含むと、振りかけられた岩塩と白身魚特有の淡白な味わいが舌の上でデュエットを踊った。
付け合わせの汁物を啜ると、タニシのような貝から出た出汁の旨味が五臓六腑に染み渡る。
美味い……。
俺は異世界にきて初めての食事に舌鼓を打つのであった。
ついつい二回もおかわりしてしまった。
俺がお茶を飲みながら余韻に浸っていたその時。
いきなりバン、という音とともに店の扉が勢いよく開いた。
様子を伺うと、両開きの扉から一人の少女が入ってきた。
金魚鉢のような形をした白い浮遊するポッドに乗っている。
また変なのが現れたな。クッ〇Jrかよ。
「あー! やっぱりここにいた!」
どうやら俺に用事らしい。
額の小刻印を見る限り、彼女はサブマスターの権限を持っているようだ。
昨日、プリメラさんが言っていたギルド職員とはこの娘のことだろう。
彼女は約束をブッチした俺に怒り心頭のご様子。
透き通るような青髪を振り乱し、その緋眼は怒りに染まっていた。
「2時間も待ったのに全然こないし! 散々人を待たせておいて自分は優雅にティータイムなんてどんな神経してるのよ!」
彼女はずかずかと(比喩表現)俺に近付くと、金魚鉢から身を乗り出して罵ってきた。
バシャバシャと跳ねた水が顔に掛かる。
うわぁ、冷たい。
そんなことよりもだ。
この少女、あまりにも乳がでかい。
首から下げたネックレスを挟む二つのメロンから目が離せない。
彼女が身体を揺らすたびにたゆんたゆんと弾んでいるぞ。
なんだこの戦闘力は……!?
1万、2万……まだ上がっていくだと!?
バシン! ビンタされた。
「痛い! 親父にもぶたれたことないのに!」
「アンタ父親いないでしょ」
実際そうだけども。
生後1日の成人男性に向かって言っていいセリフではない。
「アタシにだって予定ってもんがあるんだから。早く行くわよ、ほら」
腕を掴まれてぐいぐいと引っ張られる。
抵抗しようにも筋力Eではどうしようもない。
もはやこれまでだ。
許しを請いどうにか手を離してもらうと、俺は襟を正して土下座した。
「約束をすっぽかした私が悪うございました。本当に申し訳ございません」
「よろしい」
俺は呆れる店主に見送られながら、店を出ていく少女の背中を追いかけていった。




