第3話 ダンジョンマスター
お洒落なランプに照らされた水路の上を小さな小舟が流れていく。
複雑に入り組んだ水路にまるで本物の迷宮の中を彷徨っているかのような錯覚を覚えた。
もしこの場に放置されたらどうしようか。お外に帰れる自信がない。
しばらくすると、扉のないシンプルな部屋に案内された。
部屋の中央にはテーブルを挟んで二つのソファが向かい合わせに置かれている。
片方はかなりの大きさだ。
ジャイアントが使用することを想定すると、これくらい大きくする必要があるんだろうな。
俺が異世界のフリーサイズ事情に思いを馳せていると、ビッグサイズのソファの向こうから優しい女性の声が響いた。
「どうぞ、こちらにお掛けください」
大きなソファを回り込むと、小さい方のソファに一人の人魚が腰掛けていた。
透き通るような青い髪に紺色の瞳。
にこやかに微笑む彼女の双丘は母性に満ち溢れている。
そして、彼女の額には瞳を模した大きな刻印が施されていた。
先ほど案内してくれた人魚の額に刻まれていたものとは意匠が異なる。
こちらの方がより緻密で複雑だ。
つまり、彼女こそ……。
「ハルト・ミズノ様。私は迷宮都市アクアマリンのダンジョンマスター、プリメラ・アクアマリンと申します」
「俺の名前までよくご存じで」
「このダンジョンで私に分からないことは何もありませんよ」
「ははは……」
ダンジョン内での会話は全て筒抜けだったというわけだ。怖い怖い。
「さて、お腹も空いていることでしょう。すぐに手続きを終わらせましょうか」
そう言うとプリメラさんは一枚のカードをテーブルに置いた。
ギルドカードだ。
「ギルドカードの上に指先を出してください」
言われるままに手を差し出すと、指先がチクッとした。
よく目を凝らすと、空中に浮かんだ透明な針が指の先に刺さっていた。
血が溢れて一滴の雫を作ると、ぽちゃん、とギルドカードに沈み込んだ。
ギルドカードが青く光り、文字が浮かび上がる。
ハルト・ミズノ 0歳 ランクE 無職 Lv1
魔力S 筋力E 生命力E 素早さE 器用さE
おお、ステータス!
一目で魔力特化型だということが分かった。
このEというのがどれほど低いのかは知らないが、少し希望が見えてきた。
しかし、年齢が0歳というところが気になるな。
異世界人だから表示がバグっているのかもしれない。
おやプリメラさんがめちゃくちゃ驚いてる。そんなに凄いのこれ!?
こういうのを待ってたんだよ。魔力チートで俺SUGEEEだ!
目を閉じて思案するプリメラさんをよそに俺はアホなことを考えていた。
それから少しして、プリメラさんは真剣な眼差しでこちらに語りかけてきた。
「あなたは帰還者と呼ばれる存在です」
「帰還者?」
「ダンジョンが生み出す富は大きく分けて三つ。一つ目は木材や鉱物、魔石といった再生資源。二つ目がダンジョンコアから生み出される宝珠。そして最後の三つ目が出現品と呼ばれる存在です」
なんか解説が始まった。
いつも思うけど、こういう説明聞いてるとワクワクするよな。
俺、ゲームの設定資料読むの大好きなんだ。
「出現品は過去にダンジョンが飲み込んだものが何かの拍子で再現されたもの。そのほとんどは人間の持ち込んだ装備品の類ですが、ごくまれに人間そのものが再現されることがあります」
要するにクローンみたいなものか?
またの名をスワンプマンとも言うが。
いやいや、俺は異世界トリップしてきたんだ。
死んだ記憶もない。
この例には当てはまらないだろう。
「あなたは自身の家族や友人の姿を覚えていますか?」
……お、思い出せない!
どれだけ頭を巡らせても顔の部分にもやが掛かっているように感じる。
なるほど、プリメラさんの言う通り俺はこのダンジョンの中で一度死んだのか。
オリジナルの俺が地球で行方不明になったのか、それとも死んだのかまでは分からないが、どちらにせよロクな結果にはなっていないだろう。
地球で暮らす親父、お袋、そして妹よ。
先立つ不孝をお許しください。
「出現品は構造が複雑なものほど深部で出現する傾向がありますが、帰還者もその例に漏れません。その多くが生還することなく命を落とすのです。その点、あなたは一層に出現した。これがどれだけ幸運なことか分かりますか?」
あんまりかな。
だってアンバーが助けに来るのが少しでも遅ければ死んでたわけで、そこまで凄いことだとは思わなかった。
あれは何も考えずに安全地帯から離れた俺の自業自得だけどさ。
普通、助けが来るなんて思わないじゃないか。
「問題は、あなたのギフトが特別なことです」
「前々から気になってたんだけど、そのギフトっていうのは一体何なんだ?」
「生まれ持ったステータスに偏りがある者をギフトホルダーと呼びます。アンバーさんもその一人です。彼女はハーフリングとして生まれながら、とても低い魔力と器用さを持っていました。その代わり、非常に高い筋力とそれを支える生命力を有しています」
つまり、種族固有の初期ステータスの振り分けがランダムだったわけか。
アンバーは上手いことその特性を活かすことができたが、ギフトホルダーの中にはそうでないものも多いだろう。
あれ? となると俺はどうなるんだ?
「帰還者のステータスはレベルアップによる《《成長率も含めて》》極めてランダムに振り分けられます。これがどういうことだかお分かりですか?」
「つまり、魔力以外まったく成長しない貧弱もやし?」
「もやし? は良く分かりませんが、そう言うことです」
別に悪くなくない?
ネトゲとかでも極振りは基本だもん。魔力チート最高!
俺が浮かれていると、プリメラさんが溜め息をついた。
「あなたの問題はその魔力の値が遺伝することです。子供に引き継がれる魔力量は両親の平均値に等しい。もしあなたの存在が他の誰かに知られたらどうなると思いますか?」
「めちゃくちゃモテる?」
「いいえ、あなたは首輪で繋がれることでしょう。ダンジョンでパワーレベリングを受け、魔力が育ったら寿命が尽きるその瞬間まで牢の中で精を搾り取られ続けるのです」
マジかよ、そんなことになったら小説のジャンルが変わっちゃうじゃん。
なろうをBANされてあっという間にBADENDだ。
「ステータスの改ざんは基本的にできないのですが……致し方ありません」
プリメラさんがギルドカードを指でなぞると、少しだけ表示が変化した。
ハルト・ミズノ 18歳 ランクE 無職 Lv1
魔力S 筋力E 生命力E 素早さE 器用さE
年齢が18歳になっている。
これなら自分からカミングアウトしない限りバレることはないだろう。
「あなたは遠い島国カワサキのミズノと呼ばれる迷宮都市からやってきたダンジョンマスターの子息です。これから先はそういう設定で通してください」
なんかどこかで聞いたことのあるような設定だな。
人間の考えることはどこの世界でも一緒ってことか。
「明日の正午、ギルド職員による講習を行います。スキルの扱い方を含めた詳細はその者に聞いてください。それと、こちらを」
テーブルの上に置かれた布袋がチャリンと音を立てる。
これこれ、これを待ってたんだよ。
俺は受け取った布袋をいそいそと鞄に仕舞い込む。
「1ヵ月分の生活費を入れておきました。当面はこれで何とかなるでしょう」
「色々とありがとうございます、プリメラさん」
「あなたはこのダンジョンが生み出した私の子供にも等しい存在です。これからの道行に幸運がありますよう、祈っております」
プリメラさんが手を振ると遠くからチリン、と音がした。
すぐにばしゃんと水音が響く。
先ほど案内してくれた人魚さんがやってきたのだ。
アンバーが待っている。早く帰らないと。
俺は一礼してソファを立ち上がり、人魚の待つ小舟に向かうことにした。




