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第281話 新居にお引越し(後編)

 ハムカー御殿(ごてん)に戻ってきた俺は、アイリスを連れて自宅の玄関口を開いた。


「ただいまー」


 俺がマジックコンテナを運んでいる間に家具の配置は一通り終わっていたようで、アンバーとミュールはリビングに広げたシートの上で小物類の整理をしていた。


「おお、帰ったか。どうじゃ、ええ感じじゃろう」


 殺風景だったリビングにはソファやテーブル、棚といった家具が並べられ、大きなガラスの掃き出し窓の上にはハムマン柄の可愛いカーテンが掛けられている。


「うん、グッと生活感が出たね」

「2人とも、リブトンでお昼ご飯を買ってきたよー」

「やったにゃ!」


 アイリスが胸に抱いている紙袋(コック帽を被った豚獣人(ピグレットマン)の顔がプリントされている)を見たミュールは、シュバっと移動してキッチン横の食卓に座った。

 すぐにテーブルの上に、テイクアウトした喫茶リブトンの料理が並んだ。


「アイリスよ、午後はどうするつもりじゃ?」


 口元をケチャップで赤く染めたアンバーは、プラ容器っぽいスライム樹脂容器に入ったハーフリングサイズのオムライスをスプーンでつついた。


「屋敷内の空調設備を、昨晩作った新しいクーラーに入れ替えて試運転するつもり。その後は工房の整理で3日は潰れるかなー」


 そう答えながら、アイリスはフォークでくるくると巻き上げたナポリタンスパゲッティをぱくりと口に運んだ。


「お主の部屋は後回しか」

「ハルトくんと一緒に寝るなら別にいいかなって」

「ふむ……」

「ところでアンバー、2階の方はどうなった?」


 俺の目の前にあるのは懐かしの麻婆カレーだ。

 喫茶リブトン名物のヨーグルトミルクティーも、1L瓶でテイクアウトしてキンキンに冷やしたものを各々のグラスに注いである。


「わしとミュールの部屋はもう決まって、荷解きもすべて終わっておる。じゃが、お主の寝室はベッドだけじゃな」


 俺の寝室で使うベッドはジャイアントサイズ、装具で持ち運ばないと部屋に入らない特注品だ。

 4人でも余裕で寝られる大きさだが……多分、ミュールだけは自室で寝るだろう。


「俺もアイリス同様、追々やっていくとしよう」


 俺達の会話を聞きながら、ミュールは黙々と特製カツサンドを食べていた。

 コ〇ダにありそうな、ボリュームたっぷりで大人気なメニューの一つである。



 昼食後にちょっとだけ休んでから、俺達は荷解き作業を再開した。

 アンバーとミュールは食器などの小物の整理の続き、俺はアイリスの手伝いだ。


「まずはミスリル発魔機のチェックだねー」


 アイリスはリビングと店舗部分の間の廊下、階段の向かいにある扉を開いた。

 窓のない部屋はいくつもの棚に設置されたミスリル発魔機が発した青白い光で照らされており、まるで小さなサーバールームみたいになっていた。


 この発魔室で生み出された魔力が家の外壁と内壁の間に張り巡らされている電気の配線みたいな魔道線を通り、屋内の生活魔道具に魔力を供給するのだ。


 アイリスがパチンパチンとミスリル発魔機のスイッチを入れると、ミスリルプレートと月光発魔パネルの間にあった仕切りがなくなり、出力された魔力量を表す計測器のメーターの針がぐーんと動いた。


「うーん、設置時にいくつかのミスリルプレートが破損しているっぽい」

「業者のミスか……まぁ、よくあることだな」


 薄っぺらいミスリルプレートは非常に衝撃に弱いので、スライム樹脂で保護しようともちょっとしたことで割れて蒸発してしまう。

 その代わり、安価で――それでも1枚1000メルくらい――大量生産が可能だ。


「稼働に必要な魔力は足りているから、交換するのは暇ができてからでいいかなー。ハルトくん、次はクーラーを入れ替えよっか」


 アイリスが昨晩のうちに用意したクーラーの魔道具は3台。

 それぞれリビングと工房の天井、それと2階の吹き抜けの上に設置した。

 魔道スキルがあるこの世界だと高所作業をするのが楽で非常に助かる。


 2階のクーラーは業務用に使われているタイプで、天井裏の配管を通って全ての個室に新鮮な空気を循環させる仕組みだ。


 魔道具のエンチャントに使うミストコアは3つしか手に入らなかったので、地下と書斎は元からあったクーラーで間に合わせることにした。


「凄いクーラーって聞いていたけど、あちしにはあんまり違いが分からないにゃ」


 ミュールはひんやりとした空気が噴き出すリビングのクーラーの前で首を傾げた。


「湿度や温度の調整が効きやすいのと、後は魔力消費量の違いだねー」


 エレメンタルコアによるエンチャントの効果は、主に属性の増幅と魔力消費量の軽減の2つに分かれている。

 これをどのような配分で振り分けるかが、魔道具職人(クラフター)の腕の見せ所といえよう。


「その為だけに何十万メルもするエレメンタルコアを使うってんだからな。コスパ最悪もいいところだ」

「こういうのも、一度やってみないと分からないからねー。わたしはダンジョンまで取りに行けて良かったと思っているよ」

「これぞ、上級探索者の特権じゃのう」


 俺達の旅の思い出は魔道具となって、乾燥のしやすい季節にお肌をぷるぷるに保つことに貢献するだろう。



 しばらくして、照明や冷蔵庫などの生活魔道具の設置作業は終わった。

 それからアイリスの指示通りに工房の準備の手伝いをした俺は、夕方になったので夕飯の支度をすることにした。


 ハムマン柄の可愛いエプロンを身に着けて、鼻歌を歌いながらシステムキッチンの前に立ち、開いた料理本を見ながら石の触手を操って野菜の下ごしらえをする。


 大粒な鬼米の浸水には結構な時間が掛かるので、調理スキルでの時短は必須だ。

 普段は石釜で炊いているんだけど、今回は炊飯器の魔道具を使ってみるとしよう。

 そんな感じで楽しく料理をしていると、チリンチリンと玄関の呼び鈴が鳴った。


「パパ―、会いにきたよー!」


 扉越しに聞こえてくる元気な女の子の声。

 どうやら学校帰りのアルテミスが遊びにきたようである。

 俺はコンロの火が消えていることを確認してから、玄関に行って扉を開けた。


「アルテミス、元気だったか?」

「もちろん!」


 バシャンと金魚鉢型のポッドから跳ね上がった(上半身だけ)セーラー服を着ているアルテミスは、両腕を俺の首に回すように抱き着いてきた。

 俺はいつもの感じで、彼女のお尻(魚だけど)を支えて抱き抱えた。


「訓練の方は上手く行っているかい?」

「うん、もうポッドは卒業したよ!」


 よく見ると玄関扉の向こうにある金魚鉢型のポッドは、アルテミスがスキルで生み出した石の流体でできていた。

 少なくとも、維持に必要なマルチタスクは可能となったと見るべきだろう。


「魔力還元の方はまだ全然だけど……」

「それはパパも苦戦したからな、長い目で見ていこう。今、夕飯を作っているところだ。アルテミスも食べていくか?」


 俺は抱えていたアルテミスをポッドの中に戻した。


「食べる! それと……今日はお泊りしてもいい?」


 愛娘の上目遣いの威力に、ついつい二つ返事で了承してしまいそうになる。

 だがここは、ちゃんと確認しなければならない。


「エクレアに連絡はしてあるか?」

「朝出る時、リコリスに話してあるから大丈夫!」


 守り人のリコリスに話を通してあるなら問題ないか。

 うっかり者のテトラと違って、真面目なリコリスは伝言を忘れたりしない。


「じゃあ、今日は泊まっていいよ」

「やった!」


 アルテミスがお泊りをする時はいつも俺と一緒のベッドで寝たがるから、今夜のお楽しみはナシで決定だな。

 俺はちょっと残念な気持ちを抱えながら、キッチンに戻って料理を再開した。


 アルテミスは金魚鉢に乗ったまま食卓のテーブルの上にプリントを広げて、学校の宿題を始めた。


 この世界の学校の勉強をろくにしていない俺は手伝えないのがちょっと歯がゆい。

 こういうのはアンバーやミュールの方が得意だから任せているけど……いずれは勉強をしなければならない日がやってくるかもしれないな。

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