第202話 ムーンサイド事変の顛末
俺が上級天使オリエルから聞き出した、ムーンサイドで起こったダンジョンスタンピードの顛末について語りたいと思う。
聖都のダンジョン――ヘルズゲートのスタンピードは午前11時44分に起こった。
正午より始まるサクレアのライブに参加する為、多くの市民がムーンサイド大闘技場に移動をしていた時のことだ。
ダンジョンの崩壊を検知した魔道具に連動してムーンサイド中で警報が鳴り響いたかと思うと、大聖堂の中から溢れ出した魔物達が聖都を守る結界を紙くずのように破壊し、聖なる断崖を駆け下りてムーンサイドに向かって大行進を始めた。
この警報を聞いたサクレアは大闘技場の上空に舞い上がると、スタンピードを恐れてパニックを起こした人々を落ち着かせるように優しい歌声を奏でたのだという。
たった一曲で暴動を起こしかけた市民を鎮静化させたサクレアは、勇壮な歌声を街中に響かせながら地上を駆ける巡業団を引き連れて聖都ブルームーンに翼を運んだ。
探索者ギルドの天使や街の治安を守る警官によって誘導されて大闘技場に避難した人々が目にしたのは、まさに神話の再現とでも言うべき一方的な戦いだった。
人の魂を求めて、地を揺らしながらムーンサイドを目指す魔物の群れの前に立ちはだかったのは100名足らずの勇者達。
サクレアの極まった歌唱スキルの強化バフを受けた彼らの攻撃はそのすべてが必殺であり、剣士の振るった斬撃は地を埋め尽くす魔物の群れを引き裂き、魔導士の放った魔道は雲海のように押し寄せる魔物の群れをことごとく撃ち落とした。
地震による家屋の損壊、そして最初のパニックで発生した怪我人を除いた一切の被害を出さず、スタンピードは発生から僅か1時間足らずで収束した。
トップのユニエルが不在となったムーンサイドの探索者ギルドで対応に追われる天使達を尻目に、サクレアは涼しい顔でライブコンサートを始めた。
スタンピードがあったことなど忘れるほどに、素晴らしいライブになったという。
探索者ギルドの発表では今回のスタンピードはダンジョンの寿命が原因とされた。
この時、スタンピードに巻き込まれた最上級天使ユニエルとBランク探索者パーティー「こん棒愛好会」の存在は公表されなかった。
ギルドカードで俺達の死亡が確認できなかったこともあるが、アザゼルが重い腰を上げてムーンサイド事変の真相究明に乗り出したことが大きな要因となった。
その調査の結果、聖都のダンジョンマスターの相次いだ不審死にギルドマスター・サマエルが関与していることが判明した。
サマエルはイクリプスまでやってきたアザゼルに対して釈明をしたが、スタンピードの直後にギルドマスター権限でユニエルから探索者資格を剥奪していたこと、加えてサマエルの腹心がアザゼルに罪の告白をしたことで完全に退路が断たれた。
サマエルはその場で石像刑に処され、彼女の石像はムーンサイド大闘技場の前に安置されることとなった。
なぜ大闘技場なのかというと、そこにダンジョンゲートが口を開いていたからである。
これは次元の狭間で俺達が見たものを考えたら簡単に分かることだ。
沢山の栄養を摂取して成長したダンジョンの幼体が成体になったとしたら、すぐ近くの空いた場所を選ぶのは自然の成り行きだろう。
こうして新しく誕生したDランク迷宮ムーンサイドは派遣されてきた老ゴブリン族長の一日ダンジョンマスターに指名されたサブマスターによって、ダンジョンマスター不在のまま管理されることになったのだった。
出発を翌日に控えたその日の昼過ぎ、一人ギースの屋敷を出た俺は療養院に足を運んでいた。
療養院の中は午前中の授業とお昼の給食が終わって今日のお勉強から解放された子供達の姿で賑わっている。
春だから外で遊ぶ子も結構いるが、やはり集まるならここが一番なのだろう。
床にうつ伏せになってアモロ将棋をしている子供達と適当に挨拶をしながら通路を歩いて向かったのは探索者ギルドアバロン支部だ。
俺は寒村の役所にありそうな狭い受付で暇そうにしているモブ天使に声を掛けた。
「ユニエルに会いにきたんだけど、今大丈夫かな」
「はーい、ちょっと聞いてみますねー。……大丈夫だそうです」
念話でやり取りをしたモブ天使は、カウンターの後ろの扉を指差した。
「どうも」
「ごゆっくりどうぞー」
カウンターの横を抜けた俺が扉のドアノブに触れようとすると、ガチャリと音が鳴って勝手に扉が開いた。
扉の奥は狭い通路になっていて、トイレや仮眠室、備品室などの扉が並んでいる。
二階に続く階段もあるが、そこから先はギルド職員のプライベートルームなので今回はスルーだ。
俺が通路の突き当たりにあるマスタールームの前に立つとまた勝手に扉が開いた。
部屋の内装は昔見たユニエルの院長室にそっくりだが、一つだけ違いがあった。
壁にスクリーンセーバーの流れるモニターがいくつも設置されているのだ。
「ようこそ、いらっしゃいました……」
「最後だから一応、別れの挨拶くらいは済ませておこうと思ってな」
小さな丸テーブルにティーセットを並べてお茶の用意をしていたユニエルの目の前の席に腰を下ろした俺がそう告げると、彼女は複雑な感情の入り混じった不安そうな表情を浮かべた。
「私はハルト様に酷いことをしましたから、もう会いにきてくださらないとばかり思っていました……」
俺に酷いことをしたのはユニではなくエルなのだが、彼女が言いたいのはそういうことではないだろう。
つまり、聖都のダンジョンを討伐して無理心中を図ったことだ。
「俺達は許し、ギルドも許した。これ以上何を恐れる必要がある?」
「ですが、私は贖罪の機会を失ってしまいました。この地の人々を助け守り続けることが救いに繋がると信じていますが、それでも……」
仮面の天使に刷り込まれた聖書の教えは、未だにユニエルの心を強く縛り付けていた。
アンバー達に普段見せていた姿などただの虚勢に過ぎなかった。
彼女は旅の間もずっと、自分の犯した罪の意識に苦しんでいたのだ。
俺はそれを知ってはいたものの、どうしたらいいか分からずに逃げていた。
アンバーとの約束を守る為、なんて心の中で嘯いてプライベートな接触の機会を断っていた。
……でも、最後の最後になってようやく決心が付いたんだ。
俺はテーブルの上から腕を伸ばして彼女の細長い指先にそっと手を触れた。
「ユニ……お前が謝らないといけないのは俺達やギルドなんかじゃない。どんなに辛く苦しい時も支え、守ってくれた唯一無二の兄妹の方だろう。違うか?」
もしもユニエルが懲罰刑を受けていたのなら、彼は必ず自らを犠牲にして彼女の心を守っただろう。
かつて螺旋の牢獄に収容された時と、同じように。
「それは……」
ユニエルは俺の言葉に意表を突かれたのか、目を丸く見開いた。
それから……彼女はゆっくりと目を閉じて自分の心の中に埋没した。
俺は湯気の立つティーカップを手に取って、対話が終わるまで待つことにした。
時計の針が動くカチカチという音だけが、静寂に包まれた部屋に響いている。
10分が経ち、30分が経ち、1時間が経った。
そしてある時、ユニエルは透き通るように白いまつ毛の生えた瞼を上げて俺に微笑みかけた。
「ようやく彼女を説得することができました。ハルト様、本当にありがとうございます……」
「その分だと、対話は上手く行ったようだな」
身体の主導権を手に入れたエルは自らの手のひらをじっと見つめた。
「思えば、僕はユニに譲歩しすぎていたのだろう。そうでなければ、陰と陽のパワーバランスが崩れることなど有り得ないのだから……」
普段は心の底から口を出すばかりで、セックスする時だけ表に出るようじゃあ二人の力関係が崩れるのも当然だ。
これからは主人格と副人格ではなく、同等の人格として付き合っていくべきだ。
そうすればきっと、ユニエルは天使の持つ完全性を手に入れることができる。
「これでもう、俺に依存するようなことはないだろう。じゃあな、ユニエル」
席を立った俺が扉に向かうと、背後からガタっと椅子の倒れる音がした。
「待ってください……!」
振り返ってみると、慌てた様子のユニエルが俺に駆け寄ってきていた。
聖衣みたいな白衣を押し上げてゆっさゆっさと揺れているお胸に目が強烈に引き寄せられそうになるが、俺は努めて我慢する。
「これが今生の別れになるなんて嫌です。行かないでください……!」
長身の天使にぎゅっと抱き締められて顔が双子山の柔らかい感触に包まれた。
うほぉぉぉ、アクアマリンに帰りたくなーい!
「ふごふご……(俺はアクアマリンに帰らないといけないんだ。アンバーと……アイリスと一緒に)」
「二人もここで一緒に暮らせばいいでしょう……!」
「ふごふご……(ここに残ってもいずれ別れる時がくる。それが早いか遅いかの違いでしかないんだよ)」
「それでも、私は……!」
「……」
ユニエルのおっぱいで窒息した俺は、それ以上話すことができずに気を失った。
その後、俺はギースの屋敷にある自室のベッドで目を覚ました。
身辺を検めたところ特に乱暴はされていないようだったが、何故だかとてつもなくスッキリとしたような感覚がして不思議な気持ちになったのだった。




