作家と映画
タイトルを「作家と映画」としたけれど、詳しく書くと、「作家として成功したい人が出てくる映画」のことである。
思い出す映画は三つ、
一つ目は「キリマンジャロの雪」。
主人公の男は小説家をめざしているが、まだ何も書けてはいない。書くには、まだ体験が足りないと思っていたが、さまざまな経験を経て、ようやくその時からきたと思った。しかし、ちょっとした怪我がもとで、死が迫っていることを知る。書きたいことがたくさんあるのに、もう時間がない。
そういう話。こういう思いをして死んでいった作家志望はたくさんいるのだろうね。
次はウディ・アレンの「ブロードウェイと銃弾」。
この脚本作家は、ハーバードに行って勉強もしたし、ありとあらゆる舞台関係の本を読んでいて、知識は誰よりもあるし、舞台芸術について理論的に語ることができるし、哲学だってある。
しかし、しかし。
問題は、彼の作品は客に受けない。人気脚本が書けないのだ。
ところが、そこに無教養のギャングが現れる。彼は学校にも行ってないし、脚本のことなど何も知らないけれど、試しに書かせてみると、おもしろいものがすらすら書ける。そして、それは観客の心をつかむのだ。
三番目は見たばかりの「アメリカン・フィクション」。
昨年のアカデミー脚本賞を取ったというので、観てみたら、これが、おもしろい。
黒人の教授/作家がいて、カリフォルニアで教えていたから、学生と口論して大学をクビになり、故郷のボストンに、帰りたくないけれど帰るはめになる。
彼は父親が浮気して自殺、妹(医者)は突然心臓麻痺で死に、弟(医者)は男と寝ているところを妻に見つかり、離婚された。
黒人にしては(いや白人にしても珍しい)医者一家だけれど、想像するような金持ちではない。
母親がアルツハイマーになり、施設にいれなくてはならなくなるが、クビになったばかりのモンクにはお金がない。弟に頼むが、離婚されたばかりで金欠だし、彼はゲイバーが一件しかない地方に住んでいて、フラストレーションがたまり、薬をやっている。
モンクは黒人枠を超えた、人間を描く作家になりたいのだ。しかし、ブックフェイテバルに行くと、彼のところには人が来てくれない。人気があるのは、軽薄なことを書いている黒人女性ライター。大学を出てすぐに大手出版社にやとわれ、本を書いたらベストセラーのラッキー女性。彼女に、人生が何がわかるのだと、モンクはいら立つ。
モンクは他の黒人ライターのように、「黒人」を売り物にはしたくはない。
黒人として扱われたこともない、と思いたいのだ、現実には、目の前のタクシーはモンクを素通りして、白人の前で止まったりする。
ブックストアに行くと、自分の書いた本は黒人コーナーに並んでいる。それを書店員と争いながら、アメリカ文学のコーターに移そうとすると、そこにはあの軽薄ライターの本が山積みされているではないか。
母のアルツハイマーはますます悪くなり、ゲイ弟は手伝ってくれず、モンクは頭にきて、深夜、酒を飲みながら、今まで軽蔑していた種類の小説を書きなぐる。
主人公の黒人はワルで、ラッパーで、薬をやり、犯罪を犯し、殺人をし、警察に撃たれる、そんなテンプレブラック小説。
それをペンネームで書いてエージェント(アメリカはエージェントが出版社を探す)にわたし、これを出版社が見たらどういうか、知りたいと言う。もちろん、ぼろくそに言われるに決まっている。
ところが、大出版社が興味を示す。
そんな馬鹿な。とんでもない話だ。出版される価値はないからと拒否し、絶対に、拒絶される条件を出す。
それは、タイトル「F〇〇〇」にすること。
これで百パー拒絶されるだろうと思ったら、編集者はそれは黒人らしいとますます気にいり、高額を支払ってくれる。唖然とするモンク。
しかし、それで母親を高額なセンターにいれることができるのだが、モンクの心は複雑だ。
次は映画にする話がくるが、その示された提示額が、なんと四億円以上。それから、文学賞を取ったりして、「黒人の傷を描いた」と絶賛される。
そんな話。最後におもしろいシーンがあるが、そこは見てのお楽しみ。
「アメリカン・フィクション」を書いたのは黒人。会話なんかもおもしろくて、つい笑ってしまうが、映画の中で、大学の上司、編集者、映画プロデューサー、文学賞でモンクを推した審査員はすべて白人。
作者は、白人に黒人の何がわかるんだ、と皮肉っているのだろうか。
この映画、白人には大受けしたが、黒人が見ても、笑うのだろうか。
これって、純文学を書きたい人が、ラノベに挑戦する話に似ていると思った。純文学を目指していた人が、全然売れないから。いいかげんなラノベを書いたら、人気が出たとか。そういう人が、現実にいそうな気はするけど・・・・。
先日、「映画を観にいったハナシ」を書いたので、それにかこつけて、この「作家と映画」を書いて、このエッセイをここで締めたい。
次はもっとましな、もっと広がるタイトルをつけようと思ってはいる。
では、また。