表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/8

女優とチップ皿

先日、図書館に行った時のことである。

私は三階で村上春樹の本を読み始めたのだが、冷房がかかりすぎていて、寒くて仕方がない。カウンターに行って、本を借り出せるかかと訊いたら、下に行って図書カードを作れば借りられると。ついでに、トイレはどこかと訊いたら、それも一階まで行かないとないという。


カードを作るのは時間がかがるだろう(実際は自分でコンピュータに記入するだけでよいので、簡単だったが)と、手続きの前にトイレに行った。


中にはいると、右側がトイレなのだが、正面の端に茶色のテーブルと椅子があり、黒人の女性が手をいじくりながら座っていた。

おお、トイレ番がいた。


ヨーロッパではよくトイレ番がいて、そこでお金を払ったりするが、ここは公共の建物なのでお金は取らないし、アメリカでは、トイレ使用のために、お金を請求されたことはない。


ヨーロッパでは、時々、ある。駅、美術館、公園など。今では、機械になったところが多いが、それでも、人がいるところがある。

それを見るたびに、思い出すことがある。


私が中学生の頃だったか、学校から帰ると、母がテレビで「徹子の部屋」かなにかを見たらしく、ある女優がヨーロッパのウイーンだったかなでトイレにはいったところ、帰りにお皿にお金を置いてでなければならなかった。でも、小銭がないから、そのまま出てきちゃったのだという。


それだけの話だが、それを話す母の顔がとてもうれしそうだった。当時はヨーロッパ旅行に簡単に出かけられる時とはなかったので、母はどんな楽しい想像をしたのだろうか。旅行をしてきたような、とびきりの笑顔だった。


後になって、私にはヨーロッパを旅行するチャンスがあった。トイレでお金を払ったり、チップ皿を見るたびに母のことを思い出した。パリにも、ウイーンにも、ベネツィアにも連れて行きってあげたかったが、母を連れていけるようになった時には、母は病気で、もう行けなくなっていた。


母のとびっきりの笑顔を思い出しながら、この図書館のトイレでもいい、連れてきてあげたかったと思った。


日本の温泉センターにはよく中央に仕切りがあり、その両側に人が座って頭や身体を洗うようになっているが、この図書館の洗面台はそれに似ている。仕切りが中央にある。もちろん、ここでは立って手を洗い、鏡は少し高い位置にある。


私がその洗面台で手を洗って、少し背伸びをして鏡を見たら、私が黒人だった。

つまり、鏡に黒人が映っていた。

一瞬、脳がバグってしまったが、でも、すぐにこの仕切りには鏡がついておらず、見えたのは向う側の人だとわかった。

手洗いの壁に、鏡がついていないところなんてない、と信じていたので、ふいを食らって、脳が小さなパニックを起こしたのだ。


トイレを出た後は、これもなかなかないおもしい経験ではないかと思った。

お母さんが生きていて、この体験を伝えたら、笑ってくれるだろうか、女優のチップ皿の時よりも。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ