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村上さんと小澤さん

このエッセイは、図書館で村上春樹の短編「石のまくらに」の中の短歌を読んで書き始めてしまったもので、特に何かを伝えたいという深い考えはなかったし、書き続けるつもりもなかった。

でも、なぜかすぐには終わらせずに、気分にまかせて、勝手なことをぷらぷらと書き続けている。タイトルを「ぷらエッセイ」にすればよかったなぁ。


というわけで、今日もあちこちにぷらぷら書くのだが、あと二回ほどで締める予定なので、ご辛抱を。


***


村上春樹さんが音楽、特にクラシックやジャズに詳しい人だということは有名だし、私でさえも知っている。

私は「(村上春樹が)小澤征爾さんと、音楽について話をする」という400ページに近い対談集をもっていて、自分レベルではかなりじっくりと読んだことがある。

しかし、私には音楽知識が足りないので、どこまでついていけたかというと、たぶん半分以下。


この本は新潮社の出版だが、村上自身の企画で、一年がかりで六回にわたって行われた。時には村上さんがスイスにいる小澤さんを訪ねて(奥さんの陽子さんが同行していたことは、小澤さんのあとがきに書いてある)行ったりもした。


音楽家と音楽に詳しい作家のふたりの会話は、わからない部分はあっても、とてもおもしろい。中でも、印象深かったのが、マーラーの交響曲第一番のフィナーレの部分。その時、座って演奏していた七人のホルン奏者がそろって立ち上がるのだが、小澤さんがそれは音譜にちゃんとその指示に書いてあるというところ。

(私はコンサートに行って、左後ろの数人が突然立ち上がったので、ええっ、どうした?と驚いたことがあった)


マーラーの場合にはベートーヴェンとかブルックナーと違い、楽器ごとに指示がたくさん書き込んであるのだという。

小澤さんのその説明を聞いて、ああ、なるほどね、そうなのだととても感心した。

それから、小澤さんという人は純粋で、正直な人柄だなぁと思った。

「これおいしいね、マンゴ?」

「パパイアです」

というところは笑ってしまった。

 

余計なことを書いて前書きが長くなったが、音楽に詳しい村上さんだから、当然、ビートルズも大好きなのかと思っていた。

「ノルウェーの森」や「イエスタデー」など、ビートルズの楽曲のタイトルが題名になっていることだし。


ところが、短編の「ウィズ・ザ・ビートルズ」にはこう書いてある。

「不思議といえば不思議なのだが、僕が『ウィズ・ザ・ビートルズ』というビートルズのアルバムを最初から最後まできちんと聴き通したのは、三十代も半ばになってからだった」

「三十代も半ばになり、もう少年とも青年とも言えなくなった僕が、その(ビートルズの)LPを初めて耳にしてまず思ったのは、そこにあるのは決して息を呑むような素晴らしい音楽ではないことだった」


私はこの部分には、ちょっと、いや、かなり驚いた。

彼が逆のことを述べたとしたら、驚くどころか、すんなりと納得したと思う。

そして、それは彼がビートルズにあまりに期待しすぎていたからなのだろうか、と思ったりした。


厚顔無恥に言ってしまえば、ビートルズというところに「村上春樹」をいれたら、私が彼の本を読んだ時の感想に当てはまる。初めて、まとめて「村上春樹」を読んだが、「これがあの人気の作品なのか」と正直思った。

当時の私は、日本からもアメリカからも遠く離れていて、村上春樹の高評判だけを聞いていたから、あまりに期待しすぎていたのかもしれない。


しかし、世界中からも愛されている大作家のことをそう感じるのは、自分の読書力のせいなのだろうと思っていた。けれど、この短編の中で、村上さんが大ビートルズのことをそう言っているのだから、私も思ったことを言ってもいいかなと思って、書いてしまった。


でも、その時読んだ多くの作品と比べて、今回の小説はわかりやすいし、とても惹かれた。中でも、「石のまくらに」、「ウイズ・ザ・ビートルズ」、「一人称単数」が好き。


この短編集は読み返すと、昭和の香りがしてくる。

活字の香りというのかな。とても懐かしい。

活字小説とウェブ小説の違いとかあまり考えたことはなかったけれど、今回、はじめて違うと思った。


たとえば、「石のまくらに」の中にこういう会話があるので、そのまま載せるてみる。


「いいけど。どうして?」

「小金井まで遠いから」と彼女は言った。

「狭い部屋だし、けっこう散らかっているけど」と僕は言った。

「そういうの、全然気にしない」と彼女は言った。


この四行の文章の中に、三回「と言った」がある。

これはふたりだけの会話なのだから、いちにち「僕が言った」、「彼女が言った」は書かなくてもわかるわけで、ウェブの人気小説ではこういう書き方をしている人はいないように思う。「と言った」は全部カットか、別の描写をいれる。


また彼の短編には、こういう書き方もよくある。

「あなたはずいぶん変わったみたいですね」と僕は言った。「なんだか印象が違います」

「まあ、いろいろあってね」と彼は笑いながら言った。「ご存じのように、一時はずいぶんこじれたことになってたけど」


このひとりの人のセリフを全部続けてしまわずに、途中で、「僕は言った」と一拍おいてから、続けるやり方。

私も「と言った」はよく書いていたし、会話をふたつに分ける書き方もよくしていた。

たとえば、「そうなの」と私は言った。「でもね、○○」という具合に。そのほうがリズムがよいし、そういう書き方に慣れていたから。


でも、ウェブで書くようになってから、そういう書き方は下手な人のやり方だと読んだことがあり、もう古いかぁと思って、極力やめようとしていた。もっと洗練した書き方にしようと心がけていた。でも、時々は、リズム的になにか落ち着かないから、まあ、どう思われてもいいやと思って書いてはいた。


それで、この短編集の中で、村上さんが何度も、堂々と、そういう書き方をしていたので、すごくほっとした。そういうことで、この本が特に気にいったのかもしれない。







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