彼、もてるってよ
昨日の靴皮膚炎のほうは、朝起きて、足を見るのを忘れてしまっていたくらい治った(というか、ただの健忘症なのかもしれないかも)。
これから村上春樹について書こうと思うのだけれど、彼はこの()で説明補足というのが多い。前にもそんなことを思った気はするが、今回の短編集を読んでそう思った。
()って、小説には使うべきではないと思っていたが、どうもそうではないらしい。まぁ、お茶でも、特別な正客はマナーを守らなくてよいと聞いたことがあるから、それと同じかな(違うかな)。
今日は私も()を乱発の予定。
さて、ここでは、彼の短編集の中から、「ウィズ・ビートルズ」を取り上げたい。
といっても、ちゃんとした論評とかではなく、ただのわたしの勝手なぐたぐたエッセイなので、村上文学に詳しい方は、お好きな方はここでおやめください(前にも書いたけど)、むかつくと思うよ。
私は村上春樹を知ったのは評判→顔写真→本の順。その時私はアフリカに住んでいて、本など簡単には手にはいらなかった時で、日本の母が手紙の中に新聞の切り抜きをいれてくれた。
それで、「村上春樹」という作家がとても人気があるということを知った。
「春樹」と言う名前は作家には似合わないなぁ。「冬樹」のほうがよかったんじゃないと思った(後で、本名だと知った)。
その若者の心をつかんだ春樹さんは、いったい、どんな小説を書いているのだろう。早く読みたいとわくわくしたものだ。
その「春樹」の切り抜き写真はかなり後になって届いた。何人か映っていたが、たぶん真ん中の人。一番作家らしくない人が「春樹」さん?
驚いた。
作家のイメージって、芥川の写真みたいに、面長で、髪の毛がふさふさで(乱れていたら、もっといい)、哀しい雰囲気を醸し出す人だったけど、春樹さんはそうではない(というか、逆)。悪とか弱とか、しゃべることは馬鹿でも瞳が輝いているとか、そういう男は魅力的だと(私は)思うのだけれど、彼はそれのどれでもない。なんか、よくわからない。どういう話し方をするの人なのだろうか。
きっと「ライ麦畑でつかまえて」みたいな「大人はわかってくれない」系の小説を書いて、みんなの共感を得ているのだろうなと思っていた。
けれど、読んでみたら、それも違った。それに、ストーリーはそれほどおもしろいとは思わなかった。評判の美人を見たら、それほどでもなかったというような印象。慣れたら、おもしくなるのかな。
でも、ショックな部分はあった。
「あのイノセント顔の人が、こんなこと、書く?」的なショック。
彼の小説では、作者の分身のだと思われる主人公はよくもてるのだ。すぐに関係ができる。
小説って、ふたりがつながるまでの心情を描くものだと思っていたけれど、彼の小説では、それはない場合が多い。そして、描写がむき出し(なところがある)。
若いファンの人に、どこが好きなのかと尋ねてみたことがある。
「料理が出てくるところがいい」
「雰囲気」
「ゲーム感覚で読めばいい」
そんな答えが返ってきた。
対談で読んだのだが、彼は最後のところは考えないで、書いていくらしい。そのうちに、自然とつじつまが合って、物語ができていくと語っていた。
いつだったか、宮崎駿のドキュメンタリーを見たことがあるが(監督は、ものすごく感じが悪かった。インタビューをしていた若いプロデューサーは胃腸炎になってないといいけど)。
「話のさいごがわかっていたら、おもしろくないだろ」
監督がその若者を叱っていた。
村上さんも、そうなのかしら。今は何を書きたいより、どう書きたいかを大事で、勢いで進めるやり方が、人気があるのかしら。
私は結論に向かって書いていくのが小説作りなのかと思っていたけれど、そんな肝心な部分までも変わっていくのかしら。もう手書きをする人もほとんどいないように。
今日取り上げようと思うのは、短編集の中の「ウイズ・ビートルズ」。「国境の南、太陽の西」ま原型かなと思わせるような小説(エッセイ?)。
私はエッセイが好きで、時々、サイトでも(いわゆる素人作家の作品)読むのだけれど、中には本になったら買いたいと思うものがある。状況を正確に伝えようとその真摯さが伝わるし、考えぬいた美しい文章もある。
でも、この短編集を読んで、村上さんと素人の作品の違いに気がついた(ように思う)。
プロの村上さんはやはり読ませ方を知っている。売り方を知っている。「ノルウェーの森」を二冊に分けて売るみたいに、あれ一冊にすべき(毒がでました。すみません)ではないかしら?
彼の短編はつまらない部分が続いたりして、またあのパターンかと思って飽きてくるのだけれど、そのたびに、彼は直球を投げて(指につけた水滴を飛ばし、という表現のほうがいいかな)私の眠気をさまさせる。
たとえば、私にとっては、この短編中には、そういう箇所三ヵ所あり、下がそのひとつ。
「僕はハンサムでもないし、花形運動選手でもないし、(略)弁がたつわけでもない。(略)しかしそれでなお、なぜかそんな僕に興味をもって近づいてくる女性が、だいたいいつもどこかにいた(略)」
こういうこと、書いてくるもんね。目が覚めるでしょうが。
しかし、今さら、これ書く?
2019年の作だから、村上さんは七十歳かぁ。
実はこの小説、
「歳をとって奇妙に感じるのは、自分が歳をとったということではない。驚かされるのは、僕の周りにいた溌剌とした女の子たちが、(略)年齢になっているという事実だ。そのことを考えると、(略)悲しい気持ちになる」
という文章で始まっている。
そうかぁ。私は自分が歳を取っていくのは奇妙だとは感じるけど、周囲の人を見て、そう感じたことは一度もない。彼がそう書いているのを読んで、悲しくなった。
ところで、ここまで何字なのかしら。
もう充分長いようなので、短編「ウィズ・ビートルズ」については次回で。