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あなたと/わたしって遠いの/でしたっけ?

あなたと/わたしって遠いの/でしたっけ?

木星乗り継ぎ/でよかったのかしら?


石のまくら/に耳をあてて/聞こえるは

流される血の/音のなさ、なさ


これはもちろん、私が詠んだのではない。ある十代半ばの女性が詠んだものだという。


その日、私はある用事で、サンフランシスコの図書館メイン・ライブラリーに出かけた。久しぶり。そこは市庁舎から一ブロック離れたところにあり、コロナ禍には、このあたりはホームレスのメッカで、薬を飲んでゾンビ状態の人々が垂れ流していて、とても近づけない場所だったが、最近は治安が向上している。


私は資料室で用事を済ませた後、ふと思い立って、三階の「Japanese」本棚に行ってみた。日本なら、村役場の待合室のほうがたくさん本があるという冊数なのだが、その中に、村上春樹の「一人称単数」という短編集を見つけた。それはセロファンカバーが光っていて、たぶん誰の手にも触れてないのではないかと思うくらいに新しかったからだ。

そこには文学界で発表された八編の短編が収められていて、最初が「石のまくらに」というタイトルで、「ここで語ろうとしているのは、一人の女性のことだ」で始まり、二ページ目に上の歌があって、目が吸い寄せられた。


詩じゃないのと思ってしまうが、短歌と書いてあるから短歌なのだろう。

そう言えば、短歌にはの自由律というスタイルがあり、上の句が5・7・5でなくても、17字ならばそれでよいという形式。

1字2字の字余り、字足らずには慣れていても、こういう極端なのは初めてである。村上さんが「/」をつけてくれていなければ、どこで区切って読めばよいのか苦労しただろう。


斬新だなぁ。

作者が大学二年生の頃のことを書いたという設定になっているので、ということは五十年以上前の作ということになる。

当時としたら、もっと斬新だったのだろうなぁ。


先日、私はカクヨム短歌コンテストのために何作か作ったけれど、自分にはこんなおもしろい歌は逆立ちしてもできないし、いくつか読んだ応募作の中にも、こんなに攻めた歌はなかったような気がする。


それで、この短編を読んでみようかと重い木の椅子に座ったまではよかったけれど、冷房が効きすぎていて、寒いったらない。それで、下の受付に行って図書カードを作ってもらい、うちに連れて帰ってきた。


作者は「石のまくらで」を作った女性の名前も顔も、思い出せない。歳はたぶん十代半ば。同じ時期に、同じところでアルバイトをしていたが、ふとした成り行きで、一夜をともにし(村上文学ではよくあるよね、このバターン)。以後一度も会ってはいない。彼女は抱き合う前に、「他の男の人の名前を呼んでしまうかもしれない」と言い、彼は噛むためのタオルを用意する。


一夜を過ごした翌朝、彼が文学部にいると言ったら、自分は短歌を作っていると言って、後日、歌集が届いた。四十二首の短歌が載っていて、活字印刷だけれど、手作りのような歌集。


短編には上の二首のほかに、六首載っている。

そのうち、三首は恋の歌。

彼女にはすごく好きな人がいて、いつも頭から離れないのだが、彼は「私の身体がほしくなると、私を呼ぶの」という関係。その男は「おまえは顔はぶすいけれど、身体は最高だって言うの」。


今のとき/ときが今なら/この今を

ぬきさしならぬ/今とするしか


また二度と/逢うことはないと/思いつつ

逢えないわけは/ないともおもい


会えるのか/ただこのままに/おわるのか

光に誘われ/影に踏まれ


作者は彼女の名前も何もおぼえていないのだが、月光を受けた艶やかなその肌や身体のことはよく覚えているのだ。 

私は、この少女のイメージが、渡辺淳一の「阿寒に果つ」に似ている感じがした。あの天才画家は時任純子さんでしたっけ。


あとの三首は歌人としての思い。


やまかぜに/首刎ねる《は》ねられて/ことばなく

あじさいの根もとに/六月の水


午後をとおし/この降りしきる/雨にまぎれ

名もなき斧が/たそがれを斬首


たち切るも/たち切られるも/石のまくら

うなじつければ/ほら、塵となる


短編の作者は「彼女はもう生きてはいない」と考えることがある。

「その歌集に収められていた短歌の多くが、疑いの余地なく、死のイメージを追い求めているからだ。それも、なぜか刃物で首を刎ねられることを(略)」


私は村上春樹ファンでも、アンチでもなく、「理解できないでいる」読者だが、ノーベル賞を取ってほしいとは思っている。著作のほうは、努力はしてみたのだれど、どうもよくわからない。でも、本は読んではいるので、ある本で「本物の物語はこっち側とあっち側を結びつけるための、呪術的な洗礼が必要とされる」と書いてあったのを覚えている。


呪術的な洗礼とは、石のまくらに首をのせて斬首されること。

首を刎ねられることを待っているのは、作者の村上春樹自身だろう。

村上春樹も歳を取り、石のまくらに首をのせ、さて、自分の作品は残るのか、塵となるのか、斧が下されるのを待っているということなのだろう。

彼はエッセイ風に書いているが、この小説は創作で、短歌は彼の自作なのだと思うのだが、いかが。













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