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貧困と理想

 山脈の中の旅は険しい。道なき道を大勢で進んだ。深い森の中を罠に気をつけて歩かなければならない。山に侵入する人間のための罠だ。


 夜は憂鬱ゆううつだった。焚き火につられてが不恰好なまいをしにやってくるのも、ふくろうの黄色い目が暗闇に光るのも、狼の遠吠えが聴こえるのも何もかも嫌だ。でも何よりも耐えがたかったのは、落ち葉のかたい寝床で雑魚寝ざこねしなければならないことだった。マルグリットと身を寄せて眠る。左隣の男のすえたような匂いが鼻をついた。寝られそうになかった。


 道中で村々の惨状さんじょうの当たりにした。不作の畑、飢えて痩せ細った子どもたち。衰弱しきって泣くことさえやめてしまった赤ん坊。借金と重税が重なって息子や娘を奴隷に売るしかなくなった親たち。


 エズラは農民たちのそうした悲惨な現状に怒りを覚えて立ち上がったのだ。正義はなされなければならない。領主や貴族の横暴おうぼう傍若無人ぼうじゃくぶじんなほどの贅沢ぜいたくも許さないのだ。リリィも暴力的で度をした残虐さは容認できなかったが、エズラの活動や理想に少しずつ共鳴きょうめいを覚えていった。


 特に貴族の農場で労働する奴隷たち。むちを振るわれてもまた立ち上がって労働を続けなければならない。リリィはある男の血の流れた背中と、炎天下えんてんかの中、苦痛にゆがんだ顔を何度も思い出すのだ。

 たしかにエズラの怒りの中に正義はあった。



「あなた、いつまで捕虜でいるの?」

 リリィが荷馬車に繋がれているギーにパンを渡して言った。

 ギーは座り込んで宙を眺めている。マルグリットが隣で眉をひそめた。今のギーは酒場にいる浮浪者ふろうしゃみたいだったのだ。


「洞窟について、エズラの妹と結婚するまでさ」

 ギーがかたいパンをかみ砕きながら言う。まずそうだった。


「洞窟?」

 リリィが聞く。


「そう、洞窟ですよ。長くて広い、まるで迷路のように入り組んだ洞窟。貴族やその間者が入れば、迷って餓死がしするか、農民の斧に背後から襲われるか。その地下でエズラが手配てはいしてくれた婚礼が行われるんです」

 ギーがのんびりとした調子で答えた。


「婚礼なら私もエズラと結婚するわ」

 リリィが小声で打ち明ける。


「へぇ、エズラもあなたには参っちゃったんですね。不思議はありませんよ。あなたはきれいですから」

 ギーがちらりとリリィを見上げて言った。リリィが悲しそうな顔をして、ギーの近くに膝をつく。


「まるで変わってしまったわ。イリヤ城で婚礼を挙げた時、こんなことになるって誰が思ったかしら。こんなひどい目に遭うなんて。あなたは乞食こじきみたいなかっこうさせられて、私だって何日も着替えてないわ。それに、家族を失ってしまった」

 リリィが力なく言った。


「だけど、僕たちは生きてるんだ。あなたがエズラと結婚することは悪いことだとは思わない。それが生きる手段だから。弟だって怒らないだろうと思う」


「レネーは生きてるわ」

 リリィが思わず口走る。ギーに同情していた。家族が皆殺しにされたなんて……それに、リリィに悲しみを分かち合ってくれる人は多くいなかったのだ。


 ギーはリリィの言葉を吟味ぎんみするかのように頭を下げ、土の上に何か書いた。

「じゃあ、弟はなんとしてでもあなたを取り返しにくるだろうね。僕と違って家族のかたきも打つだろう。エズラは長くはもたないと思う。彼は民衆の王といって農民にもてはやされているけれど、農民は武器をもたない。どっちみち、イリヤとエズラとレネーで血の争いが起きるのは確かだよ。こんなこと、あなたに聞かせるべきじゃないのはわかっている。でもレネーが死んでいたら、僕も敗者らしく、落ち着いた気分でいられただろうにね」


「どうして?レネーに会いたくてたまらないのよ。彼はエイダの正統な王よ」

 リリィが恋しさと孤独に声を震わして言う。


 ギーが何か言おうとした矢先、男が来てギーをリリィから突き離した。

「離れろ、エズラ様の婚約者に話しかけるんじゃない」


「私から話しかけたのよ」

 リリィは男がギーを殴るのを止めようとして言う。ギーは青い顔でよろめいていた。


「関係ない。こいつはあなたの同情をひいて逃げ出すつもりだ」

 男は聞く耳をもたない。


「この人は王の義理の弟になるのよ」

 マルグリットも加勢する。


 男は地面に唾を吐くと、その場を去った。


「フランシスと結婚すれば、少なくとも殴られることはない。人質には変わりないけどね」

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