団らんと逃亡劇
「カリーヌ王女の前でタチアナ・ヤールの話をするなよ。母親のことを崇拝しているからな。喋り出すと止まらなくなるんだ」
ロトと〈崖の家〉の中庭を散歩した後に、屋内に戻るとジョンとメアリーが居間で仲良く会話を繰り広げているのが聴こえてきた。リリィは手に持った花束を整えながら微笑む。
「あら、その言い方ってないわ。お馬鹿なお喋り女みたい。王女って優しい人よ。タチアナ・ヤールは確かに驚くべき女性だったし、王女はアレックスの奥さんになるんだから仲良くしないと」
メアリーがクスクス笑いながら言った。ジョンの言い草がおかしかったのだ。メアリーも本気でカリーヌを庇っているわけではないらしい。
「カリーヌ王女にはやけに優しいんだな。俺にはガチョウにしか見えない。まあ、好きに褒めたたえればいいさ。アレックスだって本当は俺とおんなじことを思ってるはずだ」
ジョンが不意に真顔に戻って言う。
「二人ともおはよう。そこの庭でお花を摘んできたの。朝食はもう食べたの?」
リリィは居間に入って窓辺の花瓶に花を生けながら言った。
「ああ、軽く済ませたよ。それにしても珍しいな、三人そろうのは」
ジョンがチラリとリリィについてまわるロトを見て言う。
「あら、ロトも一緒なのね。すっかり大きくなって。撫でてもいい?」
メアリーは屈んでロトのたてがみを撫でた。ロトは満更でもなさそうな表情をする。
「アレックスはすっかりここに寄りつかないな」
ジョンがナイフでガチョウの肉を切り分けながら言った。
「私を避けてるのよ。それに忙しいのね、きっと」
リリィがアンチョビとオリーブのパイを食べながら言う。香ばしい味わいが口の中に広がった。
「俺も避けられてるさ。なんにしろ、アレックスには婚約者がいるんだ。大目に見てやらないと」
「決闘以来、ジョンとリリィを避けているのよ。気に負うことないのに」
メアリーが切り分けられたメロンを口にしながら言う。
「決闘ですって」
リリィが鸚鵡返しに言った。ジョンとメアリーが顔を見合わせる。
「レネーとアレックスは君が意識を失って寝室にいた時に決闘したんだ。レネーはひどい言い草でね、アレックスは怒って当然だった。ひょっとしたら決闘で殺すつもりだったのかもしれない。だが、負けたのはアレックスの方だった」
ジョンが淡々とした口調で言った。
「でも馬上槍試合で勝ったのはアレックスだったのに。何か小細工されていたのよ」
メアリーが言う。
「いや、俺は決闘に立ち会ったがイカサマなんかじゃなかった。レネー・ウィゼカは最強の戦士だよ。まちがいなく彼は天才だ」
ジョンが暗い表情でレネーに感心してみせた。
「エイダの英雄ね」リリィがつぶやく。「教えて、レネーは義兄に何を言ったの」
「知らない方がいいわ」
メアリーが言った。
「私の夫になる人なのよ。知っていた方がいい」
リリィが断固として言う。
「レネーはアレックスに面と向かって、君と皇子の仲を中傷したんだ。何かいかがわしい関係なんだ、と。結婚したら妹からアレックスのことなんて忘れさせてやる、とも言った。妻になったら君を思い通りにできるからって。そういうことを、あいつは表情一つ変えずに言うんだ。嫌な男だよ」
ジョンが苦々しげに言った。
その晩、リリィはヘンリー・トンプソンに会った。彼の命を救う最後のチャンスだったのだ。
トンプソンは弱りきっていた。リリィを見ても誰かわからないらしい。水を飲ませ、痛々しい傷の手当てをした。
「いいか、俺の天使。ヘレナの狙いは七光石だ。富と若返りだよ。人魚の女だけが持っている力だ」
トンプソンは潰れた片目でリリィを見て言う。
リリィはあまりの惨たらしさに目を背けそうになった。
「そうなのね。いいこと、ヘンリー、あなたはこの牢から出られるわ。ジョン・トルナドーレが馬車と従者を用意してくれる。十分な量の銀貨もね。あなたはドゥーサ川を渡ってエイダに出たら自由なのよ。だから、もう少しだけ辛抱して力を出して」
皇女はその晩一人で寝つけず、メアリーと一緒に寝た。甘いライラックの匂いをかぎながら。




