悪魔とおどる姫君
舞踏会がお開きになる頃には、リリィも疲れ切っていた。ダンスの誘いは尽きず、音楽も止まらない。めまいがするほどに踊った。
メアリーはジョンとアレックスと代わる代わる踊った。他の男性からも誘いはあるが断っている。ジョンはウージェニーの相手をするのをすっかり忘れているらしい。一度踊ったきりで、あとはメアリー・トマスにかまけてばかりだ。もっともウージェニーに拗ねたふうはなく、自らメアリーの知己を得ようとする始末である。ジョンはこの行動に純粋な恐怖を感じた。そして、ますます従妹を敬遠するようになったのだ。
メアリーはウージェニーを紹介されても喜ぶ様子はない。型通りの挨拶と上辺だけの会話をし、猫のような気まぐれを見せて早々に踊りに行ってしまう。
レネーとは一度だけ踊った。リリィは彼が廊下で言ったことを考えている。あいまいかつ不気味な物言いだった。
「お兄さまとはもう四度も踊ったのですよ」
リリィが言う。
「僕ももっとあなたと踊るべきだと?」
レネーはそう言って、リリィの腰を軽々と持ち上げた。
「いいえ、そうは思わない。私をダンスに誘うなら、真心がなくては」
リリィが頬を赤くそめ、息を弾ませて言う。
「では、あなたに求婚する気になった、と言ったらどうなのです?これで真心を疑われますか」
彼はリリィの胸を引き寄せて言った。
めまいがする。考えなくてはならない。冷静にならなければ。
「ずいぶん早急な方なのね。でもそうなったら王太子の運命はどうなるのです?さっき、何か含みのある言い方をされていましたわ」
「早急な方とは」レネーが苦笑する。「あなたが兄の妻になって、一生を不幸に過ごすのを見ていられない。エドマンドと踊るあなたを見てそう思ったのです。母のタチアナは父と結婚して不幸でした。能天気な父を愛してはいなかったのです。あなたは自己犠牲の気持ちから結婚したところで兄を愛すことはないでしょう。愛してもいない、尊敬さえしていない男の運命など案じてどうするのです?兄が国を治める上で、堕落し、命を落とすのなら、それも神の定めたことです。父は王としては偉大ですが、夫としては愚かでした。兄は王位を継承してもその地位を無駄にし、あなたを娶ってもきちんと愛すことができないでしょう。それでもあなたは兄を選ぶのですか」
まるで蛇のような男だ、と思った。どうして兄弟殺しを仄めかした後、こんな風に求婚できるのだろう。リリィはレネーの心の深淵をのぞいてしまったような気がした。もし、この三兄弟のうちに王冠がないのならレネーを選んだだろうに。リリィはたしかにこの謎めいた悪魔的な男に惹かれていた。でも、あのような告白を聞いた後では結婚することはできない。それではエドマンド殺害を黙認したも同じだ。
「ええ」
リリィがまっすぐレネーの瞳を見て言う。
レネーの顔がゆがんだ。
「兄は女に対しては虫けらのような男だ」
「わかってます。でもあなた、嫉妬してるんですわ。嫉妬した男ほど恐ろしいものはない。世間では女についてそう言いますけれど、私は男性の方がよく当てはまると思うんです。どうして私に兄殺しを共謀させようとするのです?もし私と結婚したいなら、お兄様の王冠と治世と命を保証してください。そうでなければ、私もあなたのものにはなりません」
リリィはその瞬間もう決意を固めていた。レネーに何を言われようとも、彼の妻になることはない、と。レネーとて野心と暗い嫉妬の感情を捨ててまでリリィを手に入れようとはしないだろう。そういう暗い感情こそが彼を形作っているのだ。
部屋に戻ると、寝室の窓が開いていた。侍女が掃除の後に閉め忘れたのだろう。ぼんやりと寝台のまわりのカーテンが風に揺れるのを眺める。
舞踏会の後、エドマンドが〈皇妃の館〉まで送っていってくれた。本当はメアリーと帰りたかったのだが、アレックスと言い争っていて話しかけるどころではなかったのだ。
エドマンドはいくぶん丁寧になって、愛想のひとつやふたつを言う。リリィは微笑んで、月を見上げ、ナイチンゲールの歌声に聴き入った。
「父はどうやら、あなたと結婚させたいようだ」
リリィはエドマンドの方を向いた。
「そのようですね。でも、私の父の意向はわかりませんわ。皇帝はきっと、殿下とレネー王子と迷っていらっしゃるんです」
「俺に愛する人がいるのは、あなたも知っているでしょう。苦しんでいるのはそういうことですよ。あなただって俺を選んでもいい思いはしない。
レネーと踊っていましたね。弟は大人しいが何を考えてるのか、正体がさっぱりつかめない。だが、皇帝の娘が結婚すべきなのはああいう男だ。
だけど、あなたはどうして俺のみっともない話を黙って聞いてるんです?俺はあなたが憎らしくてたまらない。あなたの細い首を今この場で折ってしまいたいほどにね」
エドマンドはぎらぎらと光る目でリリィを見ていた。彼は激しい怒りを抱えている。
「私を憎んでるなんて嘘です。私はあなたの奴隷と同じ。憎んでいるのはメアリー=ジェインだけ。わたしだって彼女を憎んでますわ。もし彼女がいなければ、あなたを愛すことだってできたかもしれない」
リリィがシャンと頭をあげて言った。
鏡台の前に座り、きらめく宝石の一つ一つをとり、髪をほどいてゆく。出かける前につけた香水の匂いが広がった。
「僕と一緒に来てくれたら、人や帝国の運命のことなどで悩まなくていい」
少年の声がした。鏡の中に人影が見える。
「トゥーリーン!」リリィが消え入りそうな声で言った。
トゥーリーンはこちらをまっすぐ見つめて立っている。褐色の肌に、闇夜の狼のように鋭い瞳。
リリィのほてった顔からサッと血の気が引いた。
「いいえ、出ていって。出ていって、私の心はもう決まってるのよ。ギーと結婚するの。だからこの部屋から出ていって」
皇女はいすから立ち上がり、断固とした口調で言う。
トゥーリーンは何か言おうとして口を開けた。だが、リリィが殺気だった形相で彼をにらみ、口を塞ぐ。
少年は悲しそうな顔をした。仕方ないのだ。今のリリィに話してなんになるだろう?彼女は拒絶するしかないのだ。




