わたしにプロポーズして
皇女の私室にはアレックス皇子とジョン・トルナドーレが迎えに来た。アレックスがメアリーと、ジョンがリリィと歩く。ジョンは陽気でいつに増しても優しかった。メアリーやリリィにお世辞なんか言い出す始末だ。メアリーはジョンの賛辞に満更でもない顔をした。
ジョンは社交界では伊達男だ。次期後継者のアレックスとは違い、女性陣も気楽な会話をできる。人当たりがよく、大抵の人には好かれた。
大広間はいつもとは様子が違う。長い石のテーブルもなければ、煙がくすぶって空気が濁っていることもなかった。上座の後ろには皇家の紋章の人魚の描かれた赤い垂れ幕が下がっている。入り口から皇帝の玉座まで、金色の絨毯が敷かれていた。リチャードの姿はなかったが、隣の玉座に皇妃が座って、貴族の青年と話しているのが見える。ヘレナの低い笑い声がこちらまで聴こえてきた。
「姫君、踊ってくださいますか」
ジョンがうやうやしい口調で聞く。
「ええ、もちろん」
リリィはちょっと面食らいながらもそう答えた。まさか、あのジョンがダンスに誘ってくれるとは思わなかったのだ。
ジョンとのダンスは楽しかった。踊りは上手だし、会話も弾む。リリィはダンスの間、クスクス笑いを止めることができなかった。ジョンが笑わしてくるのだ。皇女の白い顔に赤みが差し、目は笑いの涙でうるんだ。ジョンもにやにやとしている。
ワルツが終わると、アレックスが二人の方にやってきた。リリィと踊りたいのだと言う。皇女は不服そうに義兄を見た。もっとジョンと踊りたかったのだ。
「お前が皇女と親密だと具合が悪い。従妹のところへ行ってこいよ。婚約者だろ」
アレックスが親友の肩に触れて言う。
「わかったよ。だけど、ウージェニーより先にメアリーと踊るよ。異論はゆるさないぞ、君だって王女をさしおいてメアリーと踊っただろ」
ジョンが初老の貴族と話すメアリーをちらりと見て言った。
「勝手にしろ。だけど、メアリーもリリィも周囲に誤解がないようにな」
アレックスの次には、エドマンド王子と踊った。ダンスはそれなりに上手く、お世辞だって若い娘の気に入りそうなことを言ってくれる。だが、心ここに在らずでリリィを軽んじているのが言葉の端々《はしばし》から感じ取られた。メアリー=ジェインだ、と思う。
王子が次の曲も続けて誘ってきた時には、リリィもひどく悲しくなった。この人は、将来妻となる女性の気持ちなど、どうでもいいのだ。そして、自分はそういう思いやりのない人と結婚する運命にあるのだ。
踊るのは大好きだった。息が乱れ、頬が紅潮し、スカートがひらひらと宙に舞う。体は妖精かなんかのように軽くなった。
ひどい頭痛がする、と言い、ひんやりとした廊下に出る。従僕と一人の青年以外、人の姿は見当たらなかった。
「お兄さまとワルツを踊りました」
リリィが青年の横に並んで言う。
「それで、兄はどうでした?」
レネーはあくまでも冷淡な調子で言った。
「礼儀正しく、ダンスの上手な方です。それに、女心のよくわかってる方なのね」
レネーが冷笑を浮かべる。二人は互いに腕を取り、廊下を歩き出した。
「何か悩んでいらっしゃるんですね。兄も馬鹿だ、あなたの美しさに目も向けないとは」
青年がひとりごちて言う。
「エドマンドとの婚約は確実なんですの?それに、愛人はどうなるんですの?」
リリィがいきなり、切羽詰まった調子で言った。エイダの王子との婚約話が持ち上がってから今日までずっと悩んでいたのだ。
「皇帝は兄に不満みたいだな。だが、父はまだ意見を譲らない。メアリー=ジェインは兄に正妻ができたところで、引くような女ではありませんよ。だが、こういう話はやめにしましょう。姫君には残酷すぎるものですから。悪臭のする話ですよ」
レネーがそう言ってうやむやにしようとする。
「いいえ、やめないで」リリィは必死になって言った。「もしあなたに愛する方がいないのなら、私に求婚してください。お兄様と共にする孤独には耐えられません。あなたは英雄で賢い方です。きっとあなたなら、私も愛することができるでしょう。私のことをはしたない女だとお思いでしょう?でも、夫になってくれるのなら、私も妻としての義務を果たします」
レネーは珍しい動物でも見るかのようにリリィを観察した。何か考え深げな顔だ。
「姫君、あなたは崖っぷちにいるんです。僕が吹きこんだ悪口を真に受けて。それにしても、僕と共にする孤独のことは考えたことがあるんですか?それに、兄があなたや父という支えを失った時のことは?兄は良いやつです。それでも天は二物を与えず、あれは愚かなんです。あなたのような正妻がいなければ、いずれ暗殺か反乱で命を落とす。メアリー=ジェインのような女は兄を破滅に導くだけで救いの天使にはなりません。しょせん土臭い淫婦か、宮廷にまぎれこんだ売女といったところでしょう。兄の運命は、兄の命はあなたの選択にかかってるんですよ。姫君は兄の命の価値をよく吟味されたのですか」
レネーが小難しい話をする。
「少なくとも、あなたには愛人はいません。私のような世慣れない娘にとっては夫の愛人など耐え難い試練なんです。夫婦の愛ならいずれ学ぶこともできますわ。でも情欲のこととなると、治すのはそう簡単ではありません。私はあなたに熱情なんて求めていません。あなたを尊敬していますし、私に妻への敬意を払ってくれたらそれで十分なのです。お兄様のことなら、私たち弟夫婦が支えることができるでしょう?」
リリィはねばって反論した。
「お嬢様、あなたはまるっきりわかっていない。今あなたは兄の運命の女神だというのに。あなたは兄の天使になることだってできるんですよ。それなのに、僕のような冷血漢に微笑みかけようとしている……」




