古びた知恵
レイチェル・モートンの誘拐から、王に仕える兵士たちの再編がなされていた。ジョンにとって、〈皇妃の館〉のお仕置き部屋ではなく、〈処刑広場〉近くの牢獄に収容されたことは不幸中の幸いだ。皇帝の兵士たちなら中立を保ってくれるだろう。
「若造、牢屋で不貞腐れておるのか?皇妃の甘い蜜を味わっておいてその顔をするのか?高すぎる代償なのだろうな」
鍵のチャリチャリいう音が聴こえて顔を上げると、テリー公が立っていた。
「俺は無実だ。たしかに皇妃とは何度か寝た。だが、無理強いしたはことないし、皇妃のほうから誘ってきたんだ。テリー公、あなたも人の心があるなら俺の言うことを信じてくれ」
ジョンが足枷を引きずりながら、無実を訴える。
「実を言うと、私は君が有罪か無罪かなどに興味はない。君が主張するなら無罪なのだろう。だが、裁判では皇妃が確実に有罪にしようとする。裏切り者の首がほしいわけだ。一度体をゆるした相手なら尚更だろう。だいたいありのままの真実を打ち明けたところで無罪になるのか?皇妃との不義密通は重大な反逆罪だ」
ジョンはうなだれて、顔をおおった。
「しかしだ、幸いにして君には私という味方がいる。トルナドーレ君、つまり君は火炙りを免れたも同然だということだ。早速君には腕のいいの弁護士を雇った」
テリー公が飄々《ひょうひょう》として言う。
「ありがたい!あなたは俺の命の恩人だ。でもどうして俺を救おうって言うんです?言っておくが、祖父のトルナドーレ卿は俺の命に大した値段をつけないでしょう。俺はあなたのずる賢いユーモアが好きだったが、あなたが俺を特別好いていたなんて記憶はない。それなのにどうして救おうとするんです?」
「君は皇子と親しくしている。それ以上に皇子の信頼できる部下でもある。おそらく皇妃が婦女暴行などという不名誉な罪を着せたのもそのためだろう。私は君や皇帝などと違って、皇妃を好かん。彼女と裸の付き合いをするのは遠慮しておきたいし、その野心の奴隷になるなんて以ての外だ。敵の敵は味方であり、友人だろう?君を助けても不思議はないはずだ」
ジョンはテリー公の演説にニヤリと笑った。天晴れだ。なんていう老獪だろう。
「握手をしてほしい。こんな手枷足枷ついていて申し訳ないが、心打たれたんです。牢獄じゃなければ乾杯でもしたいところだ」
テリー公は手を差し出してニヤリと笑った。
奇妙なくらい深い眠りに陥っていた。視界は真っ暗。水のポチャン、ポチャンという音。
恐る恐る目を開けた。狭い洞窟の中だ。空気が薄くて息苦しい。奥の方に濁った水たまりがある。水たまりというか池なのだろうか?不思議な水の色だ。液体だというのに不純で、白っぽいターコイズブルーの色だった。
魔女と少年がいる。荒々しい目つきをした少年。小麦色の肌荒れと、細く、しなやかな剥き出しの足。
「リリィを助けて!金髪なんていらないから!」
メアリーは体を起こすなり、かすれた声でそう叫んだ。
「水を飲んで」
少年が皮袋を差し出して言う。
「飲まないわ、飲めない」
メアリーは猜疑心に駆られて言った。
魔女のすむ島に着いた途端、眠気に襲われ、気づいたらこの薄気味の悪い洞窟にいたのだ。魔女も薬も恐ろしかった。
「僕はリリィの友達だ。嵐の晩、波にさらわれた王女を助けたのは僕なんだ。飲まないと城には帰れない、そんな体では」
少年はそう言って一口飲んでみせる。とりあえず毒入りではないらしい。
メアリーは水を衣服にこぼしながら飲んだ。渇きを覚えていたのだ。体だってふらふらだった。
「何が起きたのか知ってるよ。あんたにはお城じゃ味方がいない。四面楚歌の状態だよ。大好きなアレックスはいないしね。いいだろう、取り引きを受けてやろう。金髪のかわりに赤毛を。赤毛の代わりに皇女を。これを飲むんだよ」
魔女が瓶入りの薬をメアリーに投げてよこす。
メアリーは緑色の濁った薬を前に、躊躇した。
「飲んでも死なない」
少年が保証する。
二人が見守るなか、瓶を開けて飲んだ。たちまち激痛が体に走る。悶え苦しんだ。体の中を毒蛇がのたうちまわり、咬まれるような苦痛、目を潰されるような痛み。
やがて苦痛は終わった。メアリーは貧血を起こし、痛みの衝撃で喘いでいる。手をついて前屈みになると、燃えるような赤毛が目に入った。
「立って、池の中に入るんだよ。その中で皇女に会えるからね」
魔女が容赦ない声で言う。
少年が立ち上がるのに手を貸してくれた。メアリーがおぼつかない足取りで池の中に入ってゆく様子を見守っている。
一瞬目に見えるものすべてが真っ白になった。水が体にまとわりつき、痛みも疲労も忘れる。
リリィの背中が見えた。白い簡素なドレスを着ている。漆黒の髪、透き通るような肌。振り返ってメアリーを見る。澄んだ瞳だ。口元には微笑さえ浮かんでいる。
「リリィ、無事だったのね!今までのこと、全部ごめんなさい。恐ろしく卑劣で、自分勝手だったわ!これからは心を入れ替えるの!」
メアリーが泣きながら言った。
「なんの話?私はこの通り、無垢で幸せよ。謝ることなんで何一つないわ」
リリィの声がこだまする。肌がうっすらと輝いて見えた。
メアリーは混乱して、とにかく水の外に出ることにした。
ところがどうだろう。池の外に出た途端、この手にあったはずの白い、華奢な手は音もなく消え、肩が痛みと疲労でずっしりと重たくなった。
魔女のしゃがれた高笑いが聴こえる。メアリーの手から七色に輝く石が落ちた。




