春の暖炉
春の暖炉は嫌いだ。さっさと火の妖精の置き物を置くか、ふさぐかしてしまいたいのに、まだ時季じゃないからできない。灰が散らかってる様子も、火もたかれず、奥に無駄な空間が広がっているのも嫌い。春の暖炉に火がついているのはもっと嫌い。暖炉の中の揺らめく炎を見ていると、頭痛がしてくる。
メアリーはマティアスが船出の前に残していった手紙を、最後にもう一度読んだ。
メアリーへ
こんな形で別れることになるなんて残念だ。君は僕の決断に納得してくれなかった。だいたい怒って当然さ。僕はメアリーがそうだったように最後まで君に誠実ではいられなかったのだから。それでもわかっていただろう、僕らが一緒になったところで幸せなんてない、と。一度も愛してるって言ってくれなかった。
僕とレイチェルは船に乗って、遠いところへ行く。君にはもう会えないだろう。会えたとしても何年も経っていて、もう白髪頭かもしれないね。
とにかく、君の幸せを祈っている。君は野心家で、なんとしてでも自分の望みをかなえるはずだ。誇り高い君にだってわかっている、僕と結婚すれば、君の野心を満足させるためにも、夫は邪魔な存在になる、と。僕をいつかゆるしてほしい。
リリィが心配だ。皇妃から守ってやってくれ。〈風と波の宿〉で僕らは家族同然だった。その中でも、リリィはみんなの妹だったよね。君でさえ、リリィのことは愛してたんだから。
それから、僕からリリィへ別れの言葉を伝えておいてほしい。彼女には別れを言えなかった。
君の不実なマッツより
メアリーは神経質に目を瞬いた。頬が冷たい涙で濡れている。
他の女に男を盗られるって、なんて嫌なことなんだろう。マッツってなんて嫌な奴だろう!耐えがたい屈辱だった。
手紙を細かくちぎり、暖炉の炎の上に散らす。ひらひらと炎の中にまぎれ、跡形もなく消えた。暑さでめまいがする。冷たい汗が額を流れていた。
リリィは皇妃の私室に行ってから帰ってきていなかった。昨夜、まんじりともせずに皇女の帰りを待っていたというのに。
ジョンの逮捕劇といい、皇妃の苛立った様子といい、笑い事じゃない。
皇妃はジョン・トルナドーレについては、ひたすら死罪の主張していた。そうしなければ怒りがおさまらないのだろう、とジュリア・テディアが言っていたっけ。
テリー公はトルナドーレの弁護人についた。皇帝は皇妃とジョン、どちらの味方でもないらしい。公正な裁判を行うつもりだ、と宣言している。
メアリーは冤罪だと信じていた。でも、それを誰に訴えればいいのだろう?マティアスもアレックスもいない。母はジョン・トルナドーレの名前を聞いただけで肩を震わせるのだ。
リリィを救うためにも、何か行動を起こさねばならなかった。
真夜中。赤いベルベットのドレスの裾が波打ち際につく。海水は背筋がひゅっとなるほど冷たい。漁師が二人がかりで小舟をおして波に乗せようとしていた。
「お嬢さん、ほら、早く船に乗ってくだせえ。まったくそんなドレス!貴婦人みたいだ。海じゃ役に立たんが」
メアリーは素早く船に乗り込んだ。長いドレスを着ているにしては、上出来な動きだ。男二人も後から乗り込む。
「また陸に上がるもの。それに私お嬢さんなんかじゃないわ。奴隷の子なのよ、シセイジなの!」
漁師は二人して顔を見合わせた。あんまりに無邪気に「私生児」とか「奴隷」とか言われたので、どう反応していいものか、わからなかったのだ。
「それで、行き先は魔女のところだね。変わった娘さんだよ、たいした度胸だ」
メアリーは漁師たちがほめそやすので、にっこりと笑って「そんなことない」と謙遜した。
本当は悪魔に魂を売るつもりでお城を抜け出してきたのだ。そうしなければリリィを救うことはできない。そう思っていた。




