愛のてほどき
このエピソードには性暴力の描写が含まれます。苦手な方はご遠慮ください。
次のエピソードに話の流れがわかるように、要約を載せておきます。
喉がかわいた。水がのみたい。お腹だってはらぺこ。熱いお風呂に入りたい。ちゃんとしたベッドが欲しかった。何よりもこの部屋から出たい。
そして、マティアスとレイチェルに伝えなければならなかった。
リリィは皇妃の隠し部屋に監禁されていた。レイチェルがここでされたことを思うと、ぞっとする。だが、部屋の中には拷問器具などない。暗い秘密は跡形もなく消され、部屋の中は美しい調度品で飾られていた。
メアリーはレイチェル・モートンとマティアスの亡命の計画を、最初から暴露するつもりだったのだ。やはり彼女には話すべきではなかった。メアリーに聖女なんて役目向いているはずがない。彼女が心を入れ替えて謙虚さを身につけた暁には天地がひっくり返ってしまうはずだ。
リリィはマッツの馬鹿さ加減を呪い、メアリーの性悪を呪った。メアリーを信じた自分が一番バカバカしい。
皇妃は衣装部屋の外で、二人の会話を立ち聞きしていた。第六感が働いたのだ。
ヘレナは寝室にいる情夫のもとから娘たちのところへ戻ってくると、メアリーに都合をつけて帰らせた。リリィはその時の親友の横顔を忘れられない。復讐の女神に取り憑かれた顔だ。涼しい顔をしていた。どれだけメアリーにすがりたかったことだろう。皇妃の目がなければ土下座だってしていたはずだ。レイチェルの未来が、レイチェルの命がかかっていると言うのに、メアリーは冷たい手でリリィの肩に触れるだけで、こちらを見ようともしなかった。
「あなたは私の期待通り、美しくなったわ。期待以上、というべきかしら。見る人によっては、あなたほど美しい娘は見たことがない、と思うでしょうね」
ヘレナが隠し部屋に戻ってきていう。部屋着姿で、リリィの長い髪をくしでとかしている。皇女は身を固くして、母親の話を大人しくきいていた。
「女にとって容姿は重要なのよ。男は見てくれしか気にしていない。私たち女にとって不運なのはね、権力は男が手にするものと信じ込まれていることだわ。男と同様、多くの女だって愚かということね。
たしかに、あなたの美貌は武器だわ。もし、正しく使いこなせれば……」
リリィはヘレナを恐れていた。何の話をしているのかがわからない。この話がどこに行き着くのかも。わかるのは母がなにか企んでいるということだけだ。
「何か食べる?パンでも果物でも、スープでも好きなものを食べれるわ。お腹減ったでしょう?」
ヘレナが俄然口調を変えていった。
「ええ、お母様。できればお水も」
リリィはそう言って、こわばった笑みを付け足す。
ヘレナはさっと立ち上がると隠し部屋の外に出て呼び鈴を鳴らした。
皇妃が席を外したすきに、部屋の入り口を確認する。無論鍵がかかっていた。扉以外に、この監禁部屋から出られる場所はないようだ。
リリィは肩を落とした。だがあまり時間はない。急いで考えをめぐらした。
レイチェルは図書館の地下にいる限り安全だ。おそらくヘレナには探し当てられないだろう。だいたい図書館に入れる者だって少ないのだ。
ヘレナはアレックスの船を捜索するか、破壊するかもしれない。無事に出航できたとして、「不幸が起こって」、途中で海賊に船を襲われるかもしれない。リリィは何としてでもマティアスに警告したかった。アレックスがいてくれたらいいのだが、生憎エイダのカリーヌ王女の護衛についていて、あと二週間ほどは帰ってこない。二週間経つ前に、マティアスとメアリーの婚礼が強行される可能性もあった。
どうやったら、母に気に入られるかわからない。これまでほとんど親子の会話というものをしたことがないのだ。だが、今こそ試してみなければならなかった。
やがて、盲の老女中が食事ののったお盆を運んできた。
食べ物は喉を通らない。水だけを飲んで、他の食べ物は手をつけるふりをした。ヘレナは上機嫌で、果物を口にしている。
「あなたにね、母親として教えておきたいことがあるの。もう嫁に行く身ですもの」ヘレナが果物を脇において切り出した。「あら全然口にしていないじゃない。食べなさいよ、これから体力がいるのよ」
皇妃がじっとこちらを見つめてくる。仕方なく、パンを口に含んだ。口の中がカサカサで、パンをのみくだせそうにない。
「母親の私のために、あなたは世界中の男たちを操る女になるわ。手始めに夫からね。夫の心を手に入れるには、訓練が必要よ。それも、実地での訓練がね」
ヘレナは男と共に部屋に戻ってきた。あなた達二人に嬉しい驚きよ!こちらはジョン・トルナドーレ。そしてジョン、こちらは私の愛する娘よ。どうして静かなの?昔からの知り合いでしょ?
リリィは頭が真っ白になって絶句した。ジョンは皇妃の愛人だったのだ。だが、リリィ以上にジョンが驚いていた。おそらく皇女は監禁されている。それをジョンに隠さないということは……
「ジョン、愛しいあなたにはね、娘の練習台になってほしいの」ヘレナが猫撫で声で言う。「リリィには『愛の手ほどき』が必要だわ。さあ、服を脱いで。心配ないわ、最初の結婚まで娘の純潔は守るつもりだから」
ジョンは皇妃から後退りして首を横にふった。顔がひきつっている。嫌悪で表情がゆがんだ。
「俺はこれでもモラルには疎い方だ。皇帝に不義をはたらいて妃のあなたとは寝たし、下町の娼館ではどんちゃん騒ぎだってやらかしてきた。だからひとの事をとやかく言うつもりはない。だが、あなたはどうにかしている。実の娘と自分の愛人にこんなことを勧めるなんて」
ヘレナは腕組みして、アーチ型の眉を粋な様子で吊り上げた。まるで朝食の席にいるかのような晴れやかな顔である。美しかった、蝋人形のようで。
「待って」リリィは立ち去ろうとするジョンの腕をつかんで言った。「私、あなたのことを愛してるの。結婚できなくても、こういうことならあなたとしたいわ」
ジョンは顔をしかめて、またしてもかぶりを振る。リリィは微笑んで、ジョンを長椅子の上に座らせ、背中に腕を回した。
「レイチェルの駆け落ちのことを知ってるの。メアリーよ。マッツと逃がして。武装させて」
かすれた声でささやく。彼が頼みの綱だったのだ。信じていた、たとえ皇妃と寝ていようとも、心では皇子アレックスに忠実だと。
ジョンは首にキスしようとするリリィを手荒に押しのけた。
「なんてことだ!親子そろって気が狂ってる。今まで受けた恩義と愛に免じて、このことは口外しない。だが皇妃殿、あなたとはこれっきりだ!」
リリィは再びひとりぼっちになった。味方は誰もいない。
それから皇女の身に起こったことは、口にするのも憚られるようなものだ。
皇妃はまた男を呼んだ。彼にズボンを脱がせ、リリィに「愛の」妙技を伝授する。
男が目の前で喘ぎ声を出して果てると、リリィは糸が切れたように泣き出した。皇妃が来て、娘の顎を上げさせ、男の前で泣くんじゃない、と言う。男の前では笑っていなさい、ほら、彼を見て笑うのよ。
こんな不道徳な状況で自分に欲情してきた男の顔など見たくなかった。怖かったのだ。男の顔を見たら一生忘れられなくなりそうだった。
それなのに顔を上げる。なんとか笑顔を形にしようとした。男のだらしない、紅潮した顔が見える。
練習台の男は貧弱な見た目をしていた。リリィは慄然としてしまう。他の場所で見たら、気弱そうな、優しそうな男と思うだろう。
良心の呵責を感じている様子もなかった。ただ、そこにいるだけ。リリィだって地べたに座り込んでいるだけ。惨めで、たまらなく消えてしまいたかった。




