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皇女リリィの結婚物語  作者: 緑みどり
海と断崖
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りんごと犬

「パパは怖いし、ママは泣き虫なんだからうんざりする」

 メアリーが廊下を歩きながら毒づいた。甲高い声が広い廊下にこだまする。リリィは二人を庇う言葉を探した。二人はメアリーが思っているより悪い人たちではない。ところが、メアリーの方を向き直ると、腰を抜かしてしまった。メアリーが顔を歪めて泣いていたのだ。あの強気でじゃじゃ馬のメアリーが泣くなんて信じられない。しかも、怒りながら涙を見せるのだから、どういう反応をしたものか余計にわからなくなる。


「もしかしたらそうかもしれないわね」リリィは言葉を濁した。「でもあなたらしくないわ、リーのことを悪く言うなんて。今朝アビゲイルと喧嘩でもしたの?」


 メアリーがアビゲイルの悪口を言うのはいつものことだった。だが、リーのこととなると違う。なにか質問しても毎回ダンマリを決め込むのだ。


「してないわ。あのね、あなたパパがどれだけ冷たい人か知ってる?私やママよりもね、エル城のりんご園や狩猟犬の方が大切なのよ。私たちにはまるで興味なし。そのくせ、ちょっと期待はずれのことをすると、信じられないくらいご機嫌斜めになって、そりゃあ大変。今日だってパパが死んでたらって、思っちゃったのよ。でも一瞬だけよ!そう願うのが悪いことだってわかってるわ」


 メアリーは矢継ぎ早に話した。言葉の合間合間には引きつったような笑い方をする。いつもは活き活きとしている、黒い大きな瞳は生気がない。長い金髪だけが文句なしに美しかった。


「ねぇリリィ、マティアスのところに行くのはやめましょう。マティアスだって私たち以外にも会う人はいっぱいいるでしょうし。私、人と会って話すなんてとてもできないわ」


 そういうわけで、二人はマティアスの部屋に向かうのをやめて、歩廊に上がり、〈競技場〉に行くことにした。〈競技場〉は馬上槍試合や決闘に使われていない時は、貴族やその子弟が使うが、今日はなんと言っても休戦日だ。誰もいないだろう。


 リリィはリー・トマスの姿を思い浮かべた。痩せた白髪混じりの男だ。メアリーはこの父親にまったく似ていない。一方でアビゲイルにはそっくりだった。とはいえ、母親の方が娘よりもっと美しく、もっと背が高いのだが。それに母は赤毛だが、娘は金髪である。

 

 リーはリチャードの古くからの知り合いだった。子どもの時分からリリィの父に仕え、忠誠を尽くしてきたという。領地はイリヤ城から遠くない場所にあった。その居城がエル城である。鋭い山々に囲まれた城だ。夏は涼しく、冬は寒い。領主であれ、(そび)え立つ山を周り回って登らないといけないから、我が家に帰るのにも一苦労だ。


 彼は妻と娘のいない城で一年の大半を過ごした。極端に無欲なのか、それとも人嫌いがこうじてか、イリヤ城から二人を呼び戻そうとしないのだ。


 リーのりんごはずばぬけて美味しい。細やかな配慮を行き届かせて、夏のクラッとなるような暑い日も、真冬の凍えるような寒い日も毎朝見に行くのを欠かさないそうだ。


 唯一メアリーがエル城に戻るのは秋から冬にかけての時期である。十月九日の誕生日に合わせて戻るのだ。

 誕生日に父はいない。皇帝から管理を任されている〈王の森〉で過ごしているのだ。寂しかった。リーは寂しさと退屈を訴えても、狩猟に参加すればいいと言うだけだった。そうすればアレックス皇子にも会えるのだ、と。 



「パパは狩猟狂いだわ。私は血みどろなのは御免よ。まったく。あんな大人しい人なのにね、ぜんぜん容赦しないんですもの。信じられる?」

 メアリーは歩廊を歩きながら言った。今まて溜め込んでいたものを吐き出すような、ヒステリックな声だ。


 狩猟好きのリリィとしては耳に痛い。メアリーは狩猟が嫌いなのだ。だから父親がなぜあんなにも狩りに夢中になるのかもわからない。しかし、リリィにはリーの気持ちが理解できた。狩りは人を孤独にする。時機が来るまで、辛抱の要する作業である。獲物を追い詰める時の高揚感。死に際の、つぶらな黒い瞳。

 あれは至高(しこう)の感覚だ。

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