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皇女リリィの結婚物語  作者: 緑みどり
黒い秘密
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夢の駆け落ち

 アビゲイルは手紙を書くのを嫌った。外国から帰り、愛人になってからも旅先から手紙を送ったものだが、一度も返事が帰ってきたことはない。


「文字を見るよりも、直接あなたに会いたいのよ」

 年上の美しい愛人はきまってそう言い訳したものだ。


 旅に出ると、手紙をかたくなに書こうとしないアビゲイルが恨みがましく思えてくる。イリヤ城にいる時でさえ、会うのに不自由なのだ。形見の手紙くらい持たせてくれてもいいではないか。だが、一目アビゲイルの姿を見れば、そんな不満は消えてしまう。アビゲイルは既婚きこんとはいえ、まだ若く、美しかった。子どもも娘の一人しか産まなかったのだ。


 アレックスはポケットをまさぐったが、そこにはリリィの書いた手紙しか入っていない。アビゲイルにはもう手紙を書いてしまった。今度はリリィに返事を書こう。



「アレックスに協力してもらうって?メアリーに無断で?でもリリィ、それって馬鹿げてるし、道徳に反するよ。駆け落ちなんて僕にはできない。レイチェルをそんなことに巻き込むなんて不可能だ」

 マティアスはリリィの考えた駆け落ちの計画に断固反対した。リリィの話では、その計画は十分実行可能なのだ。

 彼の人徳が、メアリーとの婚約を裏切ることを許さなかった。


「駆け落ちにはならないわ。ちゃんと司祭さまが婚姻をとり行ってくださるのよ。レイチェルを救うにはこの方法しかないわ。それとも、まだメアリーに未練があるの?あなたの愛情を堂々と踏みにじったあの人に?」

 リリィが説得しようとする。


 皇女だって必死だった。皇妃はレイチェルを殺す機会を、虎視眈々《こしたんたん》と待っているはずだ。いくら皇帝が見て見ぬふりをしようとも、レイチェル・モートンは皇妃の悪行の証人だった。生きていて都合がいいわけがない。アストレアで安全な暮らしが待っているか別として、逃亡は必須だった。


 だいたいマティアスの心変わりを誰が責めるだろうか。事情を知っている友人なら、メアリーとの婚約を破棄すべきだと進言するだろう。


「本当にここから離れたらレイチェル救えるんだね?」

 何か考えが浮かんだのか、マティアスがそう訊ねた。


「お義母様の近くに安全はないわ」

 リリィが言う。


「わかった。いいだろう。だが、レイチェルが落ち着いてる時にしか船には乗らない。それに、メアリーには僕が直接話す。そうしてからじゃないと、司祭は呼ばない。彼女には知る権利があるはずだ」


「メアリーに話すのは、あまりいい案には思えないけれど。私は彼女の性格をよく知ってるわ。見栄っ張りで、気分屋でわがまま。自分以外に注目をあびている人がいれば許せなくなる。あなたがレイチェルへの美しい愛を打ち明けても、メアリーは今まで通り、償いに身を捧げる聖女でいられるかしら」


 マティアスはそれでもメアリーの権利の一点張りで、意見を譲らなかった。リリィも仕方ない、と思う。二人の婚礼が近づいていた。マッツが納得してくれるやり方で、計画を進めるしかない。なんてったって、アレックスが二人のために船を出すと言ってくれたのだ。


 だが、義兄あにも駆け落ちへの協力に条件をつけた。レイチェルが皇妃の隠し部屋で見たものを洗いざらい話す、ということである。彼には情報が必要だった。リリィは悪夢のような記憶からレイチェルを守るためにも、ヘンリー・トンプソンとの取り引きを本気で考え始めている。彼とのはしたない駆け引きは、もとはジョンのすすめたことだ。だが、リリィは硬い顔をして、ヘンリー・トンプソンのもとへ毎日通った。彼の痛いほどの恋心に気づいていても、もはや止めるつもりはなかった。

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