浴場
皇女はお風呂狂いである。ほとんど毎日入浴をしていた。真夏の暑い日や吹雪の降る真冬の日などは、日に二回も入ることもある。〈皇妃の館〉の私室には浴室があり、乳白色の浴槽が置かれている。リリィは入ったことがないが、浴室のかげにはお湯を沸かすための部屋があった。侍女たちはそこから桶でお湯をくんでいるのだ。
お風呂狂いといえば、皇妃もかなりの入浴好きである。やぎの乳風呂や雄鶏の血液で満たした風呂。ハーブやミントを浮かべたバスタブ。皇女とは違って、もっぱら美容や若返りの効果を期待したものだ。浴槽もずっと広く、一度に五十人でも入れそうなくらいだった。
事件以来、皇女の〈崖の家〉の立ち入り禁止令は解かれている。リリィは最近になって、この館の浴室を頻繁に利用するようになった。浴室は館の客人なら誰でも利用できる共有のものだ。独立した別館にあり、格子状の扉から海をのぞくことができる。
普段からこの浴場を利用する者はいない。それに外で待機している使用人が気を利かしてくれるので、誰かと鉢合わせするなんて心配もなかった。
昼間からこの広い浴場で身を沈めることほど、幸福なことはない。
思わず笑みがこぼれた。試しにひと泳ぎしてみる。浴槽から出て、滑らかな木の寝床に横たわると、四肢に甘い倦怠感が広がった。木のやわらかい匂いがする。自然の匂いだ。
不意に人声がした。誰なんだろう?強い調子で何かを訴えている。
リリィは浴槽から肩を出し、入り口の方をじっと見つめた。
メアリーがよろけて浴場へ入ってくる。菫色のドレスを着ていた。シフォンの布地の髪飾りで金髪をまとめている。お風呂場にふさわしい服装ではない。
二人はレイチェルのことがあってからお互いに口を聞いていなかった。メアリーはリリィの前に姿を見せる勇気はなかったし、リリィの方は幼馴染の非情な行いに憤りを覚えていたのだ。ひょっとしたら死ぬまで絶交を通すかもしれない。難しいことではなかった。二人とも結婚が近いのだ。
メアリーは許しを乞わずにいられなかった。普段から身勝手なメアリーだって、黒魔術的な残忍さの持ち主ではない。
レイチェルの一件で、初めてみずから懺悔に出向くことになった。司教は窮屈な告解室で、神妙な顔をして「あなたの罪は赦された」と言ってくれたけれど、それでは不十分だ。
リリィは咄嗟に胸を隠して、なぜか顔を赤らめた。かつての親友を前に、裸を恥じるのが腹立たしい。メアリーがリリィの羞恥を察したのも、ますます腹立たしい。彼女が馬鹿馬鹿しいほどきちんとした格好をしていて(なんて言ったって、ガウンの下に五枚ほどの下着を重ねているのだ)、自分が裸なのも忌々《いまいま》しかった。
「出てって。あなたの顔なんて見たくもない」
リリィが低い、抑えた声で言う。
「お願い、話を聞いて。あなたは全部を知らないのよ」
メアリーが拝むような目でリリィを見た。
リリィはためらう。レイチェルにあんな酷い目に遭わせるなんて、普通の女の子にはよっぽどできそうにない。よくも悪くも、メアリーがやりそうなことだ。
だが、皇女はメアリーを知り過ぎていた。家族同然に、もう一人のかたわれのように感じていたのだ。
二人の絆の前では、どんな大罪も関係ない。もはや許すとか許さないとかの問題ではないのだ。
「いいわ。話を聞いてあげましょう。でもその前に、あなたも浴槽に浸かってね」
リリィは甘い敗北感を味わいながら言った。もうメアリーをゆるしていたのだ。




