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皇女リリィの結婚物語  作者: 緑みどり
海と断崖
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火のはぜる音、一夜の夢

 アレックスとジョンが火のそばにやってきて、妹たちの近くに立った。


「今夜寝てる間に人魚がやってきて、さらっていってくれたらいいのに」

 リリィがトロンとした目でつぶやく。体はぽかぽかと暖かい。いつになく穏やかな気分で、有史(ゆうし)以来、戦争など起こったこともなく、これからだって永遠に平和なままなのだ、と言われても信じてしまっただろう。


 皇女は暖炉の中に揺れる炎を見ながら、海の深くで繰り広げられる冒険を夢見ていた。海の底深くでは、色とりどりの珊瑚(さんご)の宮殿があり、その中には人魚の王様と王妃様が暮らしているはずだ。珊瑚の宮殿は変幻自在(へんげんじざい)で、部屋が増えたり減ったりするはずだ。宮殿の意志ひとつで、昼間の〈玉座の間〉は夜のダンスホールに様変(さまが)わりする。鍵付きの部屋もなく、お姫様が宮殿の中に閉じ込められるなんてことはない。乗馬代わりに、大きなタツノオトシゴに乗って鮫狩りに行く……


 人魚はイリヤ帝国を象徴するものである。およほ三百年前、当時国王だったトレドー・シャンディルが後継ぎを遺さずに死んだ。王朝の断絶が起こったのだ。

 

 トレドーは若くして死んだ。王朝の最後の王ということ以外は特に記憶に残らない王である。ところが彼こそが血で血を洗う戦争を引き起こした張本人でもあったのである。王は子どもを残さず、後継者も指名しない。彼の死後すぐな覇権争いが起こった。以後、内紛は三十年近く続く。


 だが、熾烈(しれつ)を極めた内戦も終わりは突然だった。ある夏の日、一隻の船がイリヤの海岸に漂着する。男たちが船から降りてきて崖の上に石の砦をつくり始めた。その日の真夜中、また一隻、二隻と船が漂着する。船の中には女や子どもたちもいた。海の向こうからやってきて、氏族ごと移住するつもりなのだ。夜明けごろ、砦に人魚の旗がなびいていた。

 それこそが帝国とリロイの名前の伝説の始まりだったのだ。リロイの一族は海の向こうに残してきた親戚と協力して貿易を行い、富を蓄積していった。前触れもなく荒れ狂う海もリロイ家には味方だった。


 リロイ家に生まれた者は二百年以上前のイリヤの繁栄と征服の話を誇りにしていた。リリィは人魚をかたどった王旗を見るたび、誇らしい気持ちでいっぱいになる。迷信深いことは嫌うアレックスでさえも人魚の話となると、絶対に軽んじることがない。それどころか妹に人魚の伝説を話したり、図書館に行ってわざわざ調べたりするほどだ。 


「人魚にさらっていってほしいなんて、言葉にするもんじゃない」

 アレックスがそう言うと、まじめくさった顔をした。 


「人魚にさらわれた人でもいるの?」

 メアリーが聞いた。


「僕の聞く限りではいないけどな」

 ジョンが何やらつまらなさそうな顔をする。人魚の伝説など信じていないのだ。普段は理性的なアレックスが人魚に夢中になっているので、余計気分が悪くなる。


「人魚は気まぐれなんだ。繊細な魔力の持ち主でもある」

 アレックスは親友の怪訝(けげん)そうな顔にも気づかずに、話を続けた。リリィとメアリーが前屈みになって、アレックスの話を聞く。ジョンは首を振って、やれやれと思った。この調子では、アレックスの奴、一晩中人魚のことを話し続けるぞ。

 ジョンは腕組みして構えた。


 ジョン・トルナドーレの懸念(けねん)は杞憂になった。アレックスが延々と人魚の伝説を話し続けるなんてことはなかった。


 話題はリロイ家の英雄や人魚の伝説から戦場での思い出話に代わり、これには程度の差こそあれ、四人全員が興味を示した。戦争は日常茶飯事で、女の子でさえ、剣技や戦闘での名誉を重んじ、他国の愚かさと自国の正当性を信じている。リリィはもっと幼い頃、父に騎士にしてくれるよう頼んだこともあった。もちろん願いは叶わなかったが。皇女たる者が戦場に立つなど許されるはずがない。だが、父はアレックスから剣術や弓術を教わるのを止めはしなかった。メアリーの方は戦争よりもドレスや化粧に興味があったが、父親も出征する身なので、無関心でいられるわけでもない。


 アレックスとジョンはすでに出陣を経験している。初陣(ういじん)は共に十六歳の時である。


 度々話題に上がるのはエイダ王家との争いの戦局についてだった。国境沿いに流れるドゥーサ川の通行権について争っているのだ。


「お父様の見立てでは、もっと早く勝負がつくはずだったのよ」

 リリィが難しそうな顔をする。


「そうだったな。最近では父上の軍も撤退を始めている」

 アレックスが相槌を打った。


「ドゥーサ川の通行を諦めるなんて、お父様らしくないわ」

 河川の通行は物品・食糧の輸出入に欠かせない。イリヤ城の脇を流れ、海まで続くドゥーサ川はイリヤが手放していいものではなかったのだ。


「諦めることはないさ。今まで通り、エイダもイリヤも河を独占することはないよ。癪しゃくだけど、奴らと戦場で顔を合わせないとなると、気分も晴れやかってもんさ」

 ジョンは彼らしく楽観的だった。一度はこの戦いに参加したのだ。だが、祖父の頼みと皇帝からの命令あってイリヤ城に帰ってきている。リチャードもどうやら本格的にエイダとの戦争を終わらせるつもりらしい。 


「イリヤがエイダに負けるなんて、ちょっと考えられないわ。あなた達のお父様、ドゥーサ川にはこだわりがないのね」

 メアリーもそうは言ってみたものの、戦争には辟易(へきえき)しているらしい。父のリー・トマスが今戦っているのだ。父親のことは好きじゃなかったが、命を危険に曝しているのではどうしても心配になる。


 リリィは欠伸をもらすと、気難しそうな表情をしたメアリーの手を取った。メアリーが表情を和らげ、親友の肩にもたれかかる。


「そろそろ寝る時間だ。お嬢さん方、今のうちに寝室に行った方がいい。こんなところで寝てたら風邪をひく」

 アレックスがリリィの眠たげな顔を見ていった。



 メアリーが隣の部屋から話しかけてくるのが聴こえる。だが、リリィも睡魔で朦朧(もうろう)とした頭では何も聞き取れなかった。ただ、ガウンを脱いでベットに入るので精一杯。そして、布団をかぶるなり眠ってしまったのだ。


 翌朝。目を開くとまず人魚が目に入った。天井に人魚の絵が描かれていたのだ。真珠の冠をかぶった王女と若者。二人の周りにも人魚たち。長い槍を手にしている。どうやら婚礼の様子らしい。周りの者たちが若い二人を祝福していた。色鮮やかな絵画だった。


 陽の光が窓の隙間から差し込んでくる。リリィは瞼をこすりこすり、上半身を起こした。ベッドから出て窓を開ける。お昼前の陽光はまぶしい。寄せては返す波の音が聴こえた。気持ちのいい朝だ。


 軽い足音が聴こえてきて、部屋の扉が開いた。メアリーが着替えもお化粧も済ませた、きっちりとした姿で立っている。

「おはよう。ゆうべはよく眠れたわ」

 リリィがにこやかに言う。


「そう、それならよかった。ずいぶんお寝坊ですもの。朝食を知らせにきたの。早く降りてきてくださいな。アレックスとジョンはもう起きてるわ」

 メアリーは早口で言いたいことだけ言うと、また階下へと去っていった。

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