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皇女リリィの結婚物語  作者: 緑みどり
黒い秘密
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拷問

 リリィはアビゲイルを寝室にかえすと、その足で父親のもとへ向かった。それにしても、メアリーがリリィの寝室で取った態度は信じがたい。人間の心を持った者がするような行動とは思えなかった。まるで冷血だ。

 メアリーかレイチェルの失踪に関与しているのではないか、と不安になる。嫉妬しつとのなせる、恐ろしい罪だ。同時に、メアリーが、唯一無二の親友がそんなけがれたことに関わり合うはずがない、と信じてもいた。


 父の書斎に行くと例の書記の青年がいた。頬骨ほおぼねの下にほくろのある男である。


「皇女様、陛下は外出中でございます」

 書記は律儀りちぎにお辞儀して言った。


「外出?城の外に?それとも城内かしら」


 青年は忙しそうにしていた。何枚もの書類を分類したり、作成したりしている。リリィがこの場から立ち去るように望んでいるような気もした。


「城内でしょう、皇女様」

 書記が答える。


「城内のどこに?」

 リリィが青年の冷淡な返事を無視して聞いた。何か不都合なことがあるのだ。おそらく、父はリリィに秘密にしていることがある。皇女として生まれたリリィは、こういう扱いは慣れっこだった。真実を知りたいなら、粘り強くならなければならない。


「存じません、姫君」

 青年がちらりとリリィを見て言った。彼はかたくなにリリィと目を合わせるのを拒んでいた。


「そう。なら書斎で帰りを待つまでね。どうしても、父に会って話したいんですもの。よければお手伝いさせてもらうわ。父や母に怒られなければいいんだけど」

 リリィは妙に活気づいた口調で言った。青年がたじろぐのをよそに、どんどん近づいていって、肩と肩が触れそうなくらいの距離に立つ。


 今やリリィは怖いくらい青年の目を一心に見つめていた。皇女の顔が、毛穴が見えそうなくらい近くにある。青年は娘の吐息といきがくちびるにかかるのを感じた。


「早く指示を出してくださいな、書記さん。いつ父が帰ってくるともわかんないんですもの。それとも父の友人かしら。そうなったら、何もかもおじゃんでしょ?」

 リリィが甘えるような声を出す。


 皇女がしていたのは、無論むろん恋の駆け引きや誘惑ではなく、脅しだった。リリィと妙な仲になれば、青年の首はとぶ。


「陛下は地下にいらっしゃいます、皇女様」

 青年が慌てて距離をとった。リリィをさそりかなんかのように思ってるみたいだ。


「地下に?」

 リリィは一度も〈皇帝の宮〉の地下に足を踏み入れたことはなかった。


「ええ、皇女様」

 書記が冷や汗をたらしながら言う。


 リリィは礼を言うと、急いで地下に向かった。


 

 父のもとに向かう途中、メアリーに行きあった。リリィはさっきの喧嘩を覚えていたので、話しかける気はなかった。だが、メアリーは怯えて泣いていたのだ。こちらに気づく様子もない。只事ただごとではない何かを察した。


「メアリー、どうしたのよ?」

 できるだけ優しい口調で話しかけようとしたが、失敗に終わった。意に反して刺々《とげとげ》しい声が飛び出す。


 メアリーは唐突に顔を上げると、ギロリとこちらを睨んだ。

「放っておいてよ、この気取り屋!」


「さっきは悪かったわよ。でも貴女あなたひどいありさまだわ」

 リリィがいくらか繊細な口調で言った。


「お願いだから、放っておいて。アレックスに会いに行くんだから」

 メアリーは自棄やけになってそう叫ぶと、逃げるようにどこかへ行ってしまった。


 

 地下の入り口は一階の一番奥に位置している。狭く、床から三分の一ほどしか突き出ていないので、見逃されてしまう。

 リリィは意を決して地下に降りていった。地下はジメジメと湿っていて、肌寒い。鉄とかびのまじった奇妙な匂いがした。腹の底まで冷え上がるような不気味な臭いである。ドレスの裾が床につかないよう、持ち上げて進む。階段はせまく、息苦しかった。松明のあかりが廊下を仄暗ほのぐらく照らすだけで、何もはっきりとは見えない。長い廊下を歩くと、曲がり角に突き当たった。その先にまた階段がある。地下の地下へと続く階段だ。扉がついていたが、運良く鍵が開いている。


 進んだ先に微かな金属音がした。よく耳を澄ますと、人の話し声がする。リリィは息をひそめ、注意深く歩いた。


 人声に近づけば近づくほど、滑稽こっけいで空恐ろしい金属音は大きくなる。引き返そうという思いが脳裏のうりに浮かんだ。だが、暗く恐ろしい秘密に吸いつけられるように、体がひとりでに動いてゆく。ここまで来たのなら、真実を知らなければならないのだ。


 やがて人声は男のうめき声と血も凍るほど沈着冷静な声に変わった。一方の男は苦しみに耐えかねてあえいでいる。もう一方の男はあくまでも事務的で、声には大儀たいぎそうな調子がにじんでいた。


「言ったろ、俺はただの雇われで何も知らない。したの下っ端だった。殺そうが、肉を切り刻もうが、どうにもならない……」

 男の言葉は途切れ、長い悲鳴に変わった。


「情報を言え」拷問者が淡々とした調子で言う。「誰に雇われた?レイチェル・モートンはどこだ?目的はなんだ?」


 男は答えなかった。うめごえがして、際限さいげんのない苦痛が繰り返されるだけ。


 リリィの目に独房がうつった。鉄格子てつごおしの中に男が三人。一人は服をはがれて裸にされ、牢の奥で宙吊りにされている。顔は汗と泥で汚れ、血の気がせて黄色になっていた。胸は見るも無惨むざんな切り傷で覆われている。皇女はこの男に見覚えがあった。近衛兵の一人で、何回か護衛されたこともある。

 他の二人は横に並んで、何やら相談をしている。一方は大柄の金髪で、黒い外套がいとうを身につけていた。直接手を下しているのはもう一人の男らしい。無造作にナイフを振り回すたびに、宙吊りになった男が怯えるのがわかった。


 不意に男と目が合った。長い拷問に疲弊しきって、目が血走っている。救いを乞うかのような瞳だ。リリィは途端とたんに恐ろしくなった。何よりもこのあわれな男が恐ろしかった。


 急いで引き返す。だが、ドレスの裾を踏んで、不吉な音がなった。二人の男の素早いやり取り。リリィは逃げようとする。ドレスはまた破れ、今度こそは逃れようがない。


 髪をむんずと掴まれた。痛みは感じない。背筋が凍るような思いだった。冷たいナイフが喉元にあたる。生温かい男の吐息が首筋にふきかかった。


 独房まで引きずっていかれた。金髪の男が振り向き、リリィの方へ近づいてくる。

 リリィは男への嫌悪と恐怖で思わず身を震わせた。

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