三人目の証人
リリィはレイチェル・モートンの寝起きしている粗末な部屋のことを知ると、居ても立ってもいられなくなった。暗く、寝床も固く、独房のような場所だ。田舎から都へ上ってきたばかりの女の子はみんなこんなものだ、とレイチェルは言う。リリィが心配しても、やめてくれるよう懇願されるだけだ。
困り果てたリリィはメアリーに相談した。これはうまい手ではない。リリィだって、メアリーがレイチェルを好いていないことを知っていたのだ。だが、メアリーは皇妃のお気に入りだった。そして皇妃は〈皇妃の館〉で宮仕えをする者たちの全采配を取っている。レイチェルが冬に凍えず、夏に無風で気狂いにならないためには、メアリーに頼むのがもっとも確実な方法なのだ。
「お断りだわ」
メアリーがまぶしそうに目を細めて言う。二人は原っぱで乗馬を楽しんでいた。
「あなたがレイチェルのことを嫌いなのは知っているわ。別に責めてもいない。でもメアリー、あなたは皇妃のお気に入りじゃないの。口を聞けばすぐに頼みを聞いてくれるわ。私と違ってね。あなたはお母様の秘蔵っ子でしょう?」
リリィが粘る。
メアリーが鋭い目つきでリリィを見た。
「何言われてもお断りよ。あんなぼけっとした子。あの娘、ちょっと知恵が遅れてるんじゃないかしら。この前、あたしがメアリー=ジェインのことをどう思うか聞いたら、『妹がいるなんて知らなかった』って答えてきたのよ。どうにかしてるわ。それにね、あなただって、レイチェルと仲良くするのは勝手だけど、私とあのデブが『なかよしこよし』になるなんて期待しないでちょうだい。金輪際ありえないわ」
ひどい口調だ。ほとんど気違いじみていた。
リリィもさすがにそれ以上メアリーにレイチェルの話をしていられなくなった。
今度はアレックスに困りごとを相談した。アレックスはメアリーよりも遥かに友好的だった。いつでも〈風と波の宿〉に来てもかまわない、いつでもレイチェルの食事が用意されている、と言ってくれたのだ。
「お兄様の寛大なお話には感謝しているけれど、私、ここの海が怖いの」
夜、レイチェルが言った。
リリィは浴室でお湯に浸かっている。レイチェルは深刻そうな顔をして、お湯の中にバラの花びらを浮かべていた。
「怖い?どうして?」
皇女が鎖骨の上の、くぼみに花びらを挟んできく。薔薇の香りがして、身体から疲れが抜けてゆくのがわかった。
「あなたが流された晩、人魚を見たの。濁流のなかを、悠々と泳いでいたわ。女の、ひどくきれいな人魚だった。ジョンも私と鐘楼の中に一緒にいて、流されないように守ってくれたわ。でも、彼は人魚を見なかったの。あんなにハッキリと見えたのに。舟に乗ったときに見たのも人魚よ。本当なの。だから怖いの」
出し抜けに寝室の方から何か落ちる音が聴こえた。続いて、軽い、擦るような足音がする。
「人よ」
リリィは低い声でそう言って、そのまま寝室へ駆けつけた。裸の体を水が滴り落ち、カーペットをぬらす。レイチェルが急いで体を覆うための布を持ってやってきた。
人影はない。リリィが寝室にやってきた時、居室の扉が閉まるのが見えた。皇女はなおも後を追おうとしたが、レイチェルが止めた。いくら〈皇妃の館〉といえども、布一枚で廊下を歩くのは危険だ。さらにはしたないことでもある。
「誰だったのかしら。侍女の一人なのかもしれないわ」
リリィは楽観的だった。
だが、レイチェルは違う。
「気味が悪いわ。聞かれてはならない話だったのに」




