砂糖菓子の降る夜
リリィが中庭で垣根の修繕をする庭師と話していると、皇帝の遣いが馬に乗ってやってきた。明日また嵐になるので、崖の上に戻るようにとの話だ。リリィは脳裏にトゥーリーンの横顔が浮かんできて、返事を躊躇してしまった。
「それに、元気になったお姿を父君に見せてはいかがです?陛下も喜ばれますよ」
遣いの兵士が言葉を重なる。
「でも、父は忙しいのでは?」
リリィが言った。
「迷惑することはありません。陛下のご要望ですから」
「わかったわ。レイチェルと行くから、お父さまに伝えておいてくださる?」
リリィが明るい声で頼んだ。
「ここで待ちますよ、皇女様。陛下のご命令です」
リリィは慌てて館に入ると、レイチェルを探してことの経緯を伝えた。
リチャードは〈皇帝の宮〉の書斎にいた。リリィが部屋に入ると、筆をおき、文書から顔をあげる。書記の青年が文机にあった書類ごと、隣の部屋へ消えていった。
「お父さま、本物のお父さまなのね」
リリィはそう言うと、まっすぐ父を抱きしめた。
父の腕の中で、恐怖と緊張がぬけてゆくのかわかる。あの人魚の言ったことが恐ろしかったのだ。いきなり、赤の他人に「娘よ」なんて呼びかけられたら怖いにきまっている。だが今は、父が目の前にいて守ってくれる。
書斎は昼間には蝋燭がつかないので薄暗かった。どの棚、どの抽斗にも紙の文書が山積みになっていて、埃くさい。重々しい雰囲気の部屋だ。
「お前が無事でよかった。奇跡だよ。お前をうしなっていたかと思うと……恐ろしい。だが三日もどこにいた?」
誰もしてこなかった質問だ。リリィは首を振ってまっすぐ父を見た。
「覚えてないんです。でも、砂浜でトゥーリーンという名の少年に命を助けられました。息のできなくなっていた私に薬をのませて、服を与えてくれた……」
父に話せば、トゥーリーンの居場所が知れるかもしれない。彼の正体だって。
「そうか。父親としても、その少年にお礼を言いたいところだな。だが今夜は町に出ないのか?エイダの王子が来る前に、街の夜を見ておきたいだろう?」
「ええ、でも」
リリィが言い淀む。
いろんな感情がごちゃまぜになった。いきなりそんな自由がゆるされていいのだろうか。夜のまちなど皇女が行くのに一番危険そうな場所ではないか。もし許されたとしたら、それはそれは素晴らしいことなのだけれど。
外套の頭巾を目深にかぶり、くるぶしの見えるスカートを履いて町娘のふりをする。雑踏のなか、屋台ではピンからキリまでの品物が売り買いされているはずだ。赤い唐辛子に人魚の鱗、かつての偉大な王の寵妃の髪の毛。砂時計、毛皮のマント、さそりの粉末。とにかく怪しい品がいっぱいだ。異国の奴隷商人だって裏通りにひそんでいるかもしれない。
「エイダの王子をお前の結婚相手に考えている。一度会ってみないとわからないが。お前は気に病むことはない。どこの馬の骨ともわからん奴と結婚させる気はないからな」
皇女は結婚の話を聞いても動揺しなかった。乳母のアビゲイルも母も、結婚に幻想を抱かせることなどしなかった。婚姻は政治であり義務なのである。それは、皇家に生まれた者ならば、男であろうと女であろうと変わらない。
老人のもとに嫁いでいった貴族の娘を知っている。エイダの王子は老人ではないし、結婚の前に顔を合わせてお互いのことを知ることができるので、いい方なのだ。
メアリーは城門の近くで待っていた。リリィが近づくと、頭巾をおろして笑顔で手を振ってくる。リリィは駆け寄っていって、笑顔で挨拶を交わした。
町の夜を二人で連れ立って歩いた。
町は賑わっていた。坂道にそって屋台が所狭しと並んでいる。子どもやカラスがあちこちを飛び回っていた。人混みで熱気がする。銅貨が道端に放り捨てられ、女たちが慌ててエプロンに金貨を詰めていた。
「幸せね。私たちって永遠に若いんだわ」
メアリーが大きな声で言う。
「ええ。そんな気がするわ。私、エイダの王子と結婚するかもしれないの」
「何ですって!」メアリーは素っ頓狂な声を出すと、リリィのほほにキスした。「イリヤの皇女にして未来のエイダの王妃にキスよ」
リリィがくすぐったがって笑い声を上げた。メアリーも曇りのない笑い声を上げる。二人はしあわせで、奇妙なほど孤独だった。




