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皇女リリィの結婚物語  作者: 緑みどり
海と断崖
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人魚の声

 アレックスは海に屋根付きの小舟を出した。星空と夜の海を楽しもう、という計画だ。舟には軽食とワイン、クッションが積まれた。ヴァイオリン弾きも乗っている。その頃にはレイチェルももう起きていて、この冒険に付き合うことになった。夕食を寝過ごして食べていなかったレイチェルは、リリィやメアリーがはしゃぐ横で、パンを小さくかじっている。マティアスがさっきの埋め合わせをするかのように、レイチェルと打ち解けない会話をしていた。


「それで、君はどこからやってきたの?」

 マティアスがパンをちぎって言う。


「トーイェンヤッハから。両親は小さな領地で暮らしているの」

 レイチェルがかじっていたパンをスカートの上に置いて言った。


「トーイェンヤッハ!それじゃぁ、僕の祖父の領地のすぐ近くだ。あそこはここみたいに赤い風が吹かないだろう?」

 マティアスが言う。


「そうね。そこらじゅう羊だらけだし」

 レイチェルがちょっと笑った。故郷を思い出して懐かしくなったのだ。


「洞窟の中にターコイズ色の湖があるんだっけ」

 マティアスがついで言う。


「あの洞窟ね!神秘的で、探検に行ったこともあったわ。服が汚れたこと以外、何も起こらなかったけれど」


「日曜日に行けば、魔女の婆さんが釣りをしているのが見られるよ。そんなに近くだったら、会っててもおかしくなかったのにな。僕らは夏の間しか帰らないから。〈兵舎〉に入ってからは、夏の帰省さえなくなっちゃったし」


 しばらくすると、舟の上でみんなが開放的な気分になった。満天の星空に、言葉が出てこない。ヴァイオリン弾きがうっとりするようなメロディーを奏でる。


 その内、みんなが野放図で、どことなく子どものような振る舞いをし始めた。レイチェルが船縁ふなべりから手を伸ばして、波に触れようとする。みんなほろ酔い気分だった。アレックスやマティアスでさえ、歯止めがきかない。


 出し抜けに、レイチェルがキャッと悲鳴をあげた。驚いた目で水面を見つめている。


「どうしたのよ?」

 メアリーが声を張り上げた。


「しっぽが、顔が……」

 レイチェルが混乱したまま、言葉を口走る。


くじらでも見たのかい?」

 マティアスがたずねた。


「人魚よ」

 レイチェルがそう言って、顔を真っ青にする。


「ありえないわ」真っ先にメアリーが言った。「マティアスの言う通り、イルカでも見たのよ」


「レイチェル、そんな嘘はないぜ」

 ジョンもメアリーに便乗して言う。レイチェルは困り顔でマティアスを見た。嘘をついてる様子はない。


 リリィは波の合間に目を凝らした。人魚でもクジラでも、何か泳いでいないかしら。

 歌声が聴こえてきた。この世のものとは思えないほど、美しい歌声。言葉を喋っているのではない、コーラスである。どこから聴こえてくるのだろう。辺り一帯から響いているような気がする。


「とっても、きれいな歌声だわ」

 リリィがアレックスに向かって言った。アレックスが用意してくれたものだと思っていたのだ。


「歌声?リリィ、そんなの聴こえないよ」

 アレックスが言う。大真面目な顔をしていた。

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