ほとぼりさめて
大広間から皇女の寝室に帰ると思いがけない人物がいた。夜明けごろ、舞踏会から帰る道すがら、メアリーはマットがどんな風に話しかけてきたか、反芻していた。彼はメアリーがマティアスと踊り終わるとすぐに声をかけてきた。
「今日皇子殿下とその妹君とお話しました。皇女とは幼い頃からの知り合いなのだとか?」
メアリーは微笑んで男を見つめた。
「ええ、姉妹のようなものです。あなたは?殿下とお知り合い?」
「姫君ほどでは」
マットが謙遜する。メアリーは微笑を浮かべたまま、男を見据えた。何も言わず、見つめ合う。
「メアリー」誰か若い男が背後からやってきて、メアリーの手を取った。
ジョン・トルナドーレである。
メアリーはこの時ほどジョンを疎ましく思ったことはなかった。せっかく城の外へ出る足がかりができそうなのに!しかも、いきなり手を取ってくるとは、大した度胸なものだ!
「マットも久しぶりだな。知り合いだったのか?」
ジョンがなおも聞く。
「今知り合ったの。というより、あなたが紹介してくれたら有難いわ。実はまだ名前も知らないの」
メアリーは宣言通り、マットとは踊らなかった。マットが一回も誘ってかなかったのだ。ただ、メアリーがトルナドーレ兄弟や、他の男性たちと踊っているのを遠回しに見ているだけである。これはちょっと心に引っかかった。誘う機会ならあったのに。
「おかえり、メアリー」
真夜中を遠にすぎ、空が白み始めた頃、リリィが寝ぼけ眼でメアリーを迎えた。
「ただいま、起きてたのね」
メアリーは髪飾りを外してリリィの鏡台の上に置く。香水とアルコールの匂いがガウンに染み付いていた。早く着替えて、居室の長椅子で眠りたい。
「居間に行ってちょうだいよ。アレックスがいるの。アビゲイルが夜会に呼ばれていなかったから、ずっと二人で話してたのよ。鏡なんか見なくていいから。あなた綺麗よ。それより私、もう眠くてたまんない」
リリィがあくびを噛み殺しながら言った。
「本当に?」
思わず声が裏返る。
本当なのだろうか?夢みたい。きれいなドレスを着て、たくさんの人と踊って、皇妃にチヤホヤされて、楽しい時間を過ごした。けれど、何かが物足りないと思っていた。アレックスは夜会に来ていなかったのだ。
アレックスはまだ夜着に着替えていない。長椅子に座って、本を読んでいる。どうやらリリィに薦められた本らしい。妖精の伝説をまとめたものだ。皇子はメアリーの姿を見ると本を閉じて脇においた。
「会いたかったわ」メアリーが言う。「皇妃さまの夜会に行かなかったのね」
「行っても皇妃に歓迎されないからね。今日はジョンと口聞いてあげたか?」
「ええ。それどころか二曲も一緒に踊ったわ。あなたのお友達のマットとも話せたし」
メアリーはそう言って、アレックスの反応を見た。マットの話をすれば、〈崖の家〉の時と同じように怒るのではないかと思っていたのだ。
しかし、アレックスは怒らなかった。
「トマス卿が君やアビゲイルを連れてエル城に帰るかもしれないんだってね」
メアリーは一瞬言葉が出なかった。
「それって本当?どうして私やママを連れて帰る必要があるの?だって、あの人は私たちのことが嫌いなのよ」泣きそうになりながら言う。「アレックス、なんとかしてちょうだい。エル城に帰るなんて絶対嫌だわ」




