黄金色のドレス
「メアリーなら喜ぶわ。紹介してあげてもいいのに」
リリィがマットのたくましい背中を見ながら言った。メアリーは社交好きなのだ。〈兵舎〉にはトルナドーレ兄弟以外に知り合いがいないはずだから、マットを取り巻きの一人にできたらさぞ嬉しがることだろう。だが、アレックスはとりつく島もない。
「社交界の中だったら、火遊びも安全だ。だが、宮廷の外に出て、それ以上の刺激を求めてはいけない」
「本気でおっしゃっているの、お兄さま?」リリィが思わず言った。「メアリーがお兄さまの言うことを聞くかしら?」
「聞かないだろうね。だけど、黙って見てられない。もし何かあったら一生ものだ」
アレックスもリリィもメアリーの激しい気性を知りすぎていた。メアリーが望むなら、マットは必ず《《いい友だち》》のうちの一人になるだろう。
「マットは良い人に見えたわ。問題はマットじゃない。メアリーの性格でしょう?」
アレックスは苦笑いした。
「黄金色のドレスのこと、覚えているか。テディア卿夫人の身につけていたガウンだよ。メアリーが欲しがっていた。そっくり同じものを着てきたときは驚いたよ。メアリーってそういう子だ」
リリィは微笑んで兄を見つめた。ジュリア・テディアがメアリーにドレスの型を送ってやったのだ。
「驚くわね。ああいう性格でも崇拝者が絶えないのは。お世辞にも心優しいなんて言えないでしょ。ジョンもマティアスはメアリーの我慢ならない気性を知りすぎるくらい知っているのに、恋人になろうとしている」
「それだけじゃないのさ。メアリーってやり手だよ。頭がきれる。美人だし」
アレックスがほがらかな口調で言う。
「メアリーって、私の嫁入りについてくるって言うけれど、王や将軍の妻になった方がいいわ。実際、そうなるような気がするの」
アレックスが怪訝な顔をしてかぶりを振った。
「メアリーが王妃になったら国が滅ぶよ」
「それか繁栄するかも。私、求婚者が王だろうが皇帝だろうが、一文無しの騎士だろうが、メアリーは手放すつもりよ。彼女が独身を貫くなんて、世界中の男性方の大いなる損失だもの」
メアリーは衣装部屋で、たくさんのドレスの中に埋もれていた。リリィお披露目の舞踏会に向けて、衣装部屋を整理しようとしていたのだ。
あまりにドレスやら宝飾品やらが多すぎて、手のつけようがない。サテンのドレスも紅玉の首飾りも毛皮のマントも、部屋のいたるところ、箪笥の角や鏡、椅子の上に引っ掛けられている。部屋はぐしゃぐしゃだ。足の踏み場もなかった。
なんの気なしに、金と黄色のダイヤモンドの首飾りを手に取る。鏡の前に立ってつけてみた。首飾りは素敵だ。だが、自分には似合わない。リリィだったら似合うかしら。きっと似合うだろう。灰色の瞳の、透き通るような肌をした、あの子なら。
浅いため息をつくと、首飾りは宝石箱に入れて箪笥の中にしまった。自分が憎たらしい。
誰かが部屋に入ってきた。向こうの方の、メアリーの居室だ。軽やかな足音が聴こえる。メアリーはさっと鏡から離れると、笑みを浮かべて振り向いた。
「探してたのよ。まさか部屋にこもってるなんて。あなたらしくないわね。今夜も夜会に出るの、じゃあ?」
リリィは頬を上気させて衣装部屋に入ってきた。乗馬の帰りなのだろう。晴れやかな瞳をしている。
「夜会に行くわ。でもドレスで悩んでるんじゃないの。この散らかり具合、どうにかしたくって。もう心が折れたわ」
メアリーは弱々しい笑みを浮かべて、手近な椅子に座った。
「手伝うわ。それにしても多いわね。私よりも多い」
リリィがそう言って、部屋に散らばったドレスを見回す。ちょうど白のレースの襟飾りとレモン色の夏物のガウンを足で踏んでいた。
「手伝わなくていいわ。捨てるか譲るつもりなの。踏んだからって謝らないでね。それ、似合わないの」
メアリーが覇気のない声を出す。
赤毛だったらよく似合っただろうに。そう思ったけれど、口には出さなかった。リリィが言ったところで、メアリーがお気に入りの金髪を捨てるわけない。
衣装部屋はとにかく乱雑だった。リリィの整理された、質素な衣装部屋とは大違いだ。メアリーは飽き性で、次から次へとドレスを替える。《《恋人たち》》から贈り物をもらうこともあるらしい。
窓の近くの椅子にかかった絹のガウンがリリィの目をひいた。夕暮れ前の薄暗い部屋の中、そのガウンは淡い金色の光を放っている。十八歳の女が着るにしては小さなドレスだ。
「テディア卿夫人のドレスね。あなたがよく自慢してきてたわ。まだあったなんて」
リリィが嬉しそうな声を出した。
「想い出なの。娘に着せるつもりよ。それかあなたの娘に」
「あら、可愛らしい」
二人はひっそりと微笑んだ。
「私を探してたって言ってたけれど、嘘ね。乗馬に行ってきたんでしょう?草の匂いがするわ」
出し抜けにメアリーが鏡に向き直って言う。
鏡のある机にはなぜか本が一冊とココナッツ油の入った瓶が置かれていた。瓶は赤色で、人魚の模様が入っている。なかなかに綺麗だ。
「ええ、お兄さまとね。あなたの話をしてたの」
鏡の中のきつい感じの目がこちらを見据えている。
「どんな話?」
メアリーが探りを入れる。
「そうね。ちょうどこのドレスの話とか。魔女って覚えてる?金髪にしてくれたでしょ。もちろんあなたの悪口も言ったわ」
リリィはおどけてみせた。メアリーは風見鶏のようだ。気分がころころと変わる。いちいち不機嫌に付き合ってられなかった。
「悪口ですって。それも嘘ね」
メアリーがクスクス笑って言った。
「いいえ、本当なんだから。あなたって大胆不敵。美人で男たちを手玉にとって……。その上、性悪よ!お兄さまもあなたの無謀ぶりに頭を抱えてらっしゃるの」
リリィが茶目っ気たっぷりの目でメアリーを見る。メアリーがたちまち機嫌をなおして立ち上がった。魅惑的な曲線美が露わになる。
「アレックスがどうこう悩むことじゃないのよ。でも何をそう悩んでるのかしら」
「お兄さまは私とメアリーのこととなると、過保護よね。さっきなんて〈兵舎〉の騎士があなたに《《ぞっこん》》だって言うのに、退けてしまうんですもの」
「まあ変な人。それだったら馬上槍試合で会うことになるでしょうに」
メアリーが髪を櫛でとかしながら言った。
「ええ、マットがそう言っていたわ。でもアレックス、あの人にメアリーはやめといた方がいいって説得しようとしてた。メアリーを振り向かせるにはまずドレスが千着必要だからって」
メアリーが笑った。ドレスが千着。当たってないこともない。