夢うつつ
夜半過ぎ。眠たかった。
アレックスが枕元にやってきて、リリィを優しく揺り起こす。目を擦り擦り、兄の顔を見た。ハンサムな顔に月の光があたり、陰影が刻まれる。
「どうしたの?どうしてここにいるの?アビゲイルは?」
リリィが寝ぼけ眼で聞く。
いつも同じ部屋で寝ている乳母のアビゲイルがいなかった。アレックスが夜遅くに〈皇妃の館〉にいるのだっておかしい。十歳以上の男性が夜に〈皇妃の館〉に立ち入るのは禁止されている。皇帝から妃への信頼と敬意の表れだろう。〈皇妃の館〉の主人は皇妃ヘレナであり、リチャードの管轄である〈皇帝の宮〉や〈皇帝の宿〉とは独立した体制を持っているのだ。
「メアリーが体調を崩したんだ。アビゲイルは看病に行ってる」
アレックスは寝間着のガウンではなく、チュニックを着ていた。
「風邪でもひいたの?熱がある?」
リリィが慌てて身を起こす。
「そうさ。熱がひどいんだ」
アレックスが答えた。
「私もメアリーの看病をするわ。友達がそばにいた方が心強いでしょう?」
リリィが子どもの無邪気な思いやりを示した。
「いや、リリィは行かない。腕のいい医者とアビゲイルがついているから、メアリーは大丈夫だ。お前には今から会ってほしい人がいる」
メアリーの風邪は作り話だった。アビゲイルをリリィのそばから離すために病気を装ったのだ。仮病など皇女の《《お友だち》》にはお茶の子さいさいである。
リリィは兄のマントにくるまって廊下を進んだ。マントは温かく、まだ寝台の中にいるような気分だ。
兄の手が肩に置かれている。リリィは夢心地で安らぎさえ感じた。兄がそばにいる限り、何人もリリィに手出しできない。片やアレックスは何かに警戒していた。
松明に照らされた城の廊下を歩いてゆく。リリィは軽装の兄が腰に短剣を複数下げていることに気づいた。
「短剣を持ってるわ」
リリィが思わず指摘する。
アレックスが足を止め、リリィに向き合った。
「そう、この通り武器を持っている」腰から短剣を抜いてみせて言う。「伝えておかなければならないことがある。今から会うのは、邪悪で、とても危険な相手だ。本当ならリリィに会わせたくなかったが、メアリーは強情で、こうと決めたら引こうとしない。まったく、彼女の将来が心配だよ」
「怖いけれど、平気よ。お兄さまがいるもの。でも、どんな人なの?」
リリィが信頼しきった様子で言う。アレックスはちょっと良心が痛んだ。メアリーのわがままと自分の不手際のためにリリィを危険に曝すなんて。
「魔女だ。だが本当のところ、魔女なんてこの世には存在しない。だからとんでもない詐欺師といったところだろう。僕はお前を魔女と二人っきりにはしないし、ひと時も目を離さない。絶対に守ってみせる。だが気をつけろ。彼女の言うことに耳を貸すな。言葉は時に剣よりも危ういものだ」
「お父様に魔女の話をされたわ。人を生きたまま食べるんですって。怖いわ」
リリィが身を震わして、義兄を見た。
「生きたまま食べたりしない。僕の従者のエドを知っているだろ、この前馬に乗せてもらった。彼も来ている。エドと僕がいたら、魔女だってタジタジさ。それからあと一つ。今日あったことは父上や母上に話しちゃいけない。今夜のことは全部夢の中で起こったことだ」