情熱のおもむくまま
皇帝の愛人になったのだという意識はなかった。ただ情熱のままに彼を愛しただけだ。それなのに、しがらみが後からやってくる。
「結婚するのか?」
アレックスが驚いてたずねる。
「いいえ、でもするべきじゃないかしら」
発作のようだった。いきなり結婚しなければならない、と考え出すのだ。
「じゃあテリー公に知れないように内密にことを運ぼう。証人は二人でいい。司祭には礼金をはずんで……」
アレックスが夢中になって喋り出す。
「アレックス、あなたと結婚するんじゃないわ。だって、リリィもリシャールも人質になっていて、帝国は不安定。それに私とあなたでは身分が違うの。テリー公じゃなくたって結婚すべきじゃないってわかるわ」
メアリーが相手の言葉をさえぎって言った。
アレックスは一瞬唖然とする。
「じゃあ誰と結婚すべきなんだ?」
怒ってるというよりも戸惑った口調だった。
「さあ。本当は誰とも結婚したくないの。もちろんあなたと結婚できたら素敵よ。問題はあなたの結婚なの。富と立派な家柄のある娘と結婚するべきだわ」
メアリーが言う。
「僕は自分の意志で結婚する。テリー公の言いなりにはならない。君と結婚したいんだ」
アレックスがひどく真剣な様子で言った。メアリーが無言でかぶりを振る。アレックスの顔に失望が浮かんだ。
「わからないよ。君はトマス卿の娘で立派な家の出身だ。僕のこともあんなに情熱的に愛してくれた。それなのになぜ結婚したがらない?まるで僕をからかってるみたいだ」
「からかってるなんて。違うの、あなたも私も帝国のことを考えなくちゃならない。愛のための結婚はできないわ」
メアリーが必死になって弁明した。
「僕は君を愛してる。カリーヌと結婚してわかったよ。愛のない結婚がどれほど惨めで、どれほど欺瞞に満ちたものか。君は結婚してからくるものに恐れてるんだ。だから僕とも誰とも結婚しようとしない」
「ええ、その通りよ」
メアリーはそう言うと、姿見の前に立って髪を指に巻きつけた。どこか疲れたような表情が浮かんでいる。
「なんて冷たい女だ」
アレックスが言った。
「ええ。あなたを愛してる、だけど……」
それ以上何を言えばいいのだろう?アレックスを愛していた。それもおそらく熱情的に。でも結婚したくはない。結婚するべきでもなかった。アレックスは妻が魔女だと知れば許せないだろう。だが、魔女の愛人ならそれほどひどくないはずだ。それに、テリー公が油断のならない人物に思えて仕方ない。
皇帝と恋人は城中が寝静まってから浜辺に出た。ああいう会話の後で、もうベッドの上にいたくなかったのだ。
海岸の砂が星の光を受けて、きらきらと輝いていた。美しい。
「私たちのこと、もう噂が広まっているわ。きっと離れておくべきね」
メアリーが言った。
寒くて思わず肩を縮こませる。
この人と離れているなんてできない、と思った。
「離れる?君と?そんなことできるもんか」
アレックスが寒さに震えるメアリーを抱きしめる。
「ええ、そうね。できっこないわ。でもテリー公なの」
メアリーが言った。震えた、頼りなさげな声だ。
波がやってきて、海の彼方まで押し流してくれればいい。二人だけで、裸で、愛し合うだろう。
「あなたがドレント王国の王女と結婚したらテリー公も黙るわ」
意思に反して口が動く。
本当はアレックスが誰かと結婚すべきだなんて思っていなかった。そんなこと、愛ある人間として、間違ったことだから。
「いいかい、メアリー、結婚なんて話しないでくれ。黙って」
アレックスがそう言ってメアリーに情熱的なキスをする。
とろけるようなキスだった。彼に身を任せたい、と思う。だけどそんなことはできない。
魔女はメアリーの情事をかぎつけた。なんとアレックスが相手だということも知っていたのだ。
「結婚したっていいだろうさ。だが、決して自分よりも夫や子どもを愛しちゃいけないよ」
メアリーの瞳に涙が浮かんだ。