火あぶりにしないと約束しておくれ
皇子はまず魔女に会いに行ったことでメアリーを叱った。なぜ魔女と会って話してはいけないのか、彼女たちがどんな存在なのか説明したのだ。だがメアリーが言うことを聞くはずがない。当然のように言い付けを破ってまた魔女に会う。長く黒い睫毛に悔し涙を浮かべて帰ってくる。そして言うのだ。
「こうして、あたしが魔女に虐待されて泣いてるのもあなたのせいよ!あなたって私がどんなに悲しい思いをしてても平気なんだものね。冷血だわ!」
アレックスは根負けした。九歳の子どもと張り合うのがばがばかしくなったのだ。今のアレックスだったら、何がなんでも魔女と会うのを避けて、衛兵隊に告げて牢屋送りにするだろう。皇子は父のリチャードと同じように魔女や魔術の類を忌み嫌っていた。後継者として魔女を警戒し、排除すべきだと信じていたのだ。だが当時はそれがどれほど深刻なことなのか自覚していなかったのだ。
アレックスはメアリーを城に残して、一人で魔女の棲み家に向かった。腰に金貨がずっしりと重い巾着を下げ、背中には弓矢をおい、小島まで櫂を漕いでゆく。
空は灰色でどんよりと曇っていた。船を進めるうちに、雨がポツリポツリと降ってくる。
小舟を岸につけると、「まるはげの島」全体を見回す。島のつくりは単純すぎるくらいお粗末なものだ。魔女の小屋が真ん中に建ち、丈の短い青草が一面いっぱい。刺客が隠れるような場所もない。丸腰できてもよかったかもしれない。
だが、崩れかけの小屋の扉の前に立ったとき、アレックスは護衛も従者も付けずにやってきたことを後悔した。小屋の煙突から緑の煙がモクモクと出ており、辺りには刺激臭が広がっている。近づくと一人言が聴こえた。合間にクックッと喉を詰まらせたような音で笑っている。
その場で回れ右をして帰るべきだ。本能がそう告げたけれど、アレックスとて、せっかくの冒険のチャンスを逃したくなかった。扉を叩く。魔女の一人言と気味の悪い笑い声がシンと止む。返事はない。
「イリヤの皇子だ。メアリーの秘薬のことで用がある。扉を開けて出てきてくれ」
アレックスが声を張り上げた。何もない島に声はやけに通る。
扉がギーッと音を立てて開いた。部屋の中は薄暗く、魔女の顔はよく見えない。婆さんはこちらを見上げて、ニヤニヤ笑った。
「イリヤの皇子とは大したもんだね。さあ、入った。入った。わしにも訪ねてきた者をもてなすくらいの礼儀は残っているんだからね」
促されて仕方なく小屋の中に入る。廊下には変形して使い物にならなくなった鍋がたくさん転がっていた。大きいの、小さいの、錆だらけの、銅製のもの。とにかく鍋がたくさん。足場はほとんどないし、角には鍋が危なっかしげに積み上げられている。
廊下を抜けて、居間と台所を兼ね備えた部屋に案内された。ここも鍋だらけだ。竃に小さい銀色の鍋がかかっている。ちょうど外で見たのと同じ、緑色の湯気が上がっていた。ピンク色の机には正体不明の液体が入った瓶が並べてある。
「薬をもらいにきた。薬を買いに来たんだ」
アレックスがそう言って丸テーブルの上に金貨の入った布袋を置いた。魔女は金貨の方を一瞥もせずに、古びてこびりついた笑みを浮かべ、アレックスを見据えた。片方だけ目の色が黄色で、もう一方は黒色だ。
「メアリーに言われて来たんだね。まったく。あんたらしいよ。あんなお転婆娘に言いくるめられて来るなんて」
アレックスはムッとしたが、否定もしなかった。魔女の手にのるつもりはない。
「いいですか。僕はあなたと友達になるつもりはないし、長々とお話を続ける気もない。机の上に金貨がある。もっと欲しければ後日従者に届けさせる。そして僕は今日メアリーご所望の秘薬を持って帰る。それで十分だろう?」
途端に魔女が乾いた笑い声を上げた。灰色の肌は表情が動くにつれて何やら奇妙な具合にひき伸びた。いやに気味の悪い婆さんだ。アレックスは魔女が笑いやむまで真顔で見つめ続けた。
「それで十分だって。あぁ坊や、どうやらあんたは世の中金でどうにかできると思っているんだね。ところが《《わたしゃ》》そうは行かない。この島に住んでて金貨の一枚や二枚がなんの役にたつ?それよりもね、私はあんたの妹に会いたいね」
「妹は連れてこれない。城から出ない約束だ」
アレックスの返事は冷淡だった。
魔女がじっとアレックスを見つめる。目はどんよりと落ち窪んでいて、真夜中の沼を思わせた。
ひょっとしたら、この魔女は単なるえせ巫女よりも賢いのかもしれない。何か企んでいるのではないか。
「妹を城の天文台の上に連れて行く。あなたは城壁の階段からイリヤ城の中に入る。天文台の上で妹に会える」
アレックスとて妹を魔女に会わせるには気が進まなかった。だが、城の中の天文台でなら魔女も好きなようにはできない。
「いいだろう。いいだろう。気に入ったよ、あんたの案を。だが一つ約束しておくれ。わしを火炙りにしないでおくれ」
アレックスは腹の底が冷たくなって、一瞬言葉を失った。なんて嫌な婆さんだ。悪鬼が姿を変えたって言われても信じる。
魔女の火刑はイリヤでは日常茶飯事で、処刑広場での火炙りを見るのが皇子としての義務でもあった。アレックスは今すぐにでも魔女裁判に引き渡したくなった。
「リリィに手を出したらその場でお前のはらわたを引き裂いてやる」
アレックスは捨て台詞を残すと、魔女の棲み家を後にした。